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四月一日
何気なく覗いたそのブログに、私は長い間執着している。飾り気のないホームページに、一年前に途絶えた更新、一つだけの記事。私が見ていなければ、インターネットの海に流れ、藻屑となって消えてしまいそうな存在感だ。
それでも私は、毎日のようにそのブログにアクセスしている。
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四月一日
一人で溜め込んでおいても腐らせそうだからここに吐き出す。多分誰も見ないと思うけど。
結論から書くと、俺は自殺オフ会に行って、結局自殺し損ねた。タイミングを逃したんだ。
そんな暗くて特に楽しくない話だけどこうして残せば意味がありそうだから書いておく。
5、6ヶ月前、俺は毎日のように自殺したがってる人が集まる掲示板に入り浸っていた。自分と同じような人々を眺めていると少し心が落ち着くし、目の前で山のように転がってる問題からも目を逸らせた。
色々あって死にたがってる自分の支えになるような人間がいたことは一度もない。それどころか他人に恋心を抱いたことすら無かったかもしれない。
自分を守ってくれる奴も、守りたい奴もいなかった。
昔から行動力が欠落しているのか、口では死にたがってる割に、それらしい行動をとったことはなかった。自殺の名所を下見したり、ホームセンターでロープや七輪を買ったり。思い付いても、シミだらけの畳から体を起こせなかった。背中に根が張ってる感じがした。
そんな俺があのスレッドに出会ったのは十月の半ばごろだったと思う。
自殺オフ会を企画した奴が建てたスレで、俺は何の気なしに開いた。そんな内容のモノは1日に何個もあるのに、だ。今思えばあれは奇跡だったかもしれない。
「男女6人くらいで集まって、一緒に最期を迎えませんか?開催日は十月◯日、集合場所は◯◯駅前です」その書き込みから目を離せなかった。
この機会を逃したら、俺は一生自殺できない、って確信した。理由は下らない。日付が近く、集合場所が最寄駅だったのだ。重い腰を持ち上げるのに時間はかからなかった。なけなしの貯金を崩して服屋に行ったり髪を切ったりした。
そんなこんなであっという間に当日になった。
人の多い駅前で待っていると、参加者が俺の周りに点々と立っていた。俺はそれにすぐ気付けた。明らかに、他の人間と雰囲気が違うのだ。周りの人間は忙しそうに歩いているのに、彼らはボンヤリと力無く立ち尽くしているのだから。お互い名乗らなくても分かった。猫背の中年女性に、学生っぽい女の子、白髪交じりの男性。みんな眼の色が明らかに暗い。目配せして、お互いが仲間だと確認した後、時計台の前に集まった。
すると背後から突然声をかけられた。
「あのー…」と言いながら近寄ってきた男は、見たところ俺よりも少し年下で、人懐っこい笑顔を浮かべていた。大きくて黒目がちの瞳を輝かせながら、俺たちに微笑みかける。彼は俺より背が低いので、上目遣いだ。すれ違った人間が思わず二度見してしまいそうな風貌で、俺は思わず羨ましいと思ってしまった。こんな時、芸能人や俳優に例えれば伝わりやすいかもしれないけど、生憎俺はテレビを部屋に置いていない。
(彼を仮にウサギと書く。理由は後で説明する)
「こんにちは 今日はよろしくお願いします」
ウサギが言葉を発した直後、俺は思わず身震いをして、鳥肌を立ててしまった。
この時俺が感じた不気味さは文章で伝わらないと思う。綺麗な顔を幸せそうに綻ばせているのに、声は地獄から聞こえてきそうなほど低くて小さい。そして早口で、聞き取るのに苦労する、そんな話し方。人に聞かせる気が無いように思えた。
しかしここにいる人間は全員そんな話し方だ。視線を合わせないように斜め下を見ながら、吐き捨てるように発声する。
ウサギが楽しそうな様子だから“自殺オフ会参加者あるある”に当てはまっているのが異様に映るのだろう。そんな風に自分を納得させていると、主催者と名乗る女性が現れた。かなり眠たそうな様子だったので、運転できるのか不安になった。それでも今更引き返す気にはなれなかった。
彼女が所有するワゴンに乗り、目的地まで走り続けた。これから死ぬ人間を乗せた車内の雰囲気は重苦しくなると思いきや、そうではなかった。女の子が「みんなの動機は何ですか」と質問してから、自殺動機暴露大会が始まったのだ。
修学旅行の夜に、好きな人を友達に教える時と似た高揚感が車内に漂っていた。俺は口を動かすのが億劫だったから黙って聞いていたけど、俺とウサギ以外のメンバーは話し続けていた。
正直、このブログに書き込むほどではないようなありふれた理由だった。すごく失礼な感想だと思うけど。きっと他人からすれば俺が死にたがっている理由なんてつまらないモノなのだろうと、その瞬間に気付いてしまった。
隣に座る彼は、口に微笑みを浮かべ、相槌をうってみんなの話を黙って聞いていた。カフェで団欒してても馴染みそうな様子が、何故か異様に見えたので、俺はまた背筋が寒くなった。
目的地に着いても、暴露大会の余韻は残っており、なかなか決行する空気にならなかった。
今日はダメかもしれないな、と何となく察していると肩を軽く叩かれた。振り向くとウサギが俺を見上げるようにして立っていた。
「あの人たち、やらない感じだよね?もう時間の無駄だから抜けちゃおう」
静かな山奥じゃなきゃ聞き取れないような声で誘ってくる彼の手を、俺は振りほどけなかった。引っ張られるように山のさらに奥へと歩き続けた。その間、彼は全く話さず、振り向く事もしなかった。
参加者の気配が完全に消えた頃になって、ウサギが再びこちらを見た。
「多分だけど、皆んなは話し相手が欲しかったんじゃないかな。死ぬ雰囲気じゃ無くなってたし。…まあオレも似たようなモノだから、どうこう言えないけど」
壁に向かって語り掛けるような口調で言った。俺は納得したので黙って頷いていると、ウサギの力が強くなった。華奢な体型からは予想出来ない握力。骨が軋んだような気がした。
このままでは腕が折れると思った。俺はこの状況を変えるため、適当に会話を進めることにした。
「何故、俺だけ連れてあそこから抜けた?」
確かそんな質問をした。するとウサギは手を離したと思いきや、再び俺の腕を掴み、絡みついてきた。恋人に甘えるような仕草だった。
「あなたならオレの誘いを断らないって思ったからだよ。オレは寂しくなるとマジで死ぬんだ」
ウサギみたいな奴だと思った。寂しくなると死ぬ、だなんて陳腐な台詞を恥ずかしげも無く吐く彼を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「寂しいから自殺オフ会に参加したくなる意味が分からない。会って数時間でメンバーとは永遠にお別れだろ」
「断られたらすぐ死ねるように、だよ。
オレはね、寂しくなるとオフ会に参加して、ヤってくれる人を探すんだ。後腐れのない関係を築くには最高の環境だからね。
今のところ断られたことは無い。どうする?」
情報の洪水みたいな言葉を平気で口に出す男だった。「死ぬからどうでもいいや」みたいな態度で物事を見ていた俺にとって、久しぶりの刺激だったと思う。
日が落ちて、薄暗くなり始めた森の中で、ウサギの眼だけが爛々と光っていた。俺は魂が吸い込まれたように、彼の眼をずっと見ていた気がする。
「いいよ」
訊ねられてから、割りとすぐに頷いた。
俺がノーと言えばコイツはあの場に戻って死を選ぶ。そんな理由で断れないと思うほど、オレは優しくなかった。
拒まなかった理由は下らない。何だか興味が湧いただけなのだ。こんな経験、死ぬまで出来ないと思っただけだった。
初めてのセックス、場所は暗い山奥、相手はさっき初めて会った自殺志願者。
頭のネジが数本外れた奴が考えつきそうなシチュエーションが実際に起こってしまうだなんて夢にも思わなかった。
ウサギは俺が断らないと確信していたのか、準備を事前に終わらせていたようだった。
俺は何も知らなかったから、彼にあれこれ指示されて、俺が始める準備を完了させた。時間はそんなにかからなかったと思う。
ウサギと俺は樹にもたれかかるような体位であれこれやった。脳内に数え切れないほどの?と!が浮かんでは消えた。
目の前にある圧倒的な快楽と、非現実的な現実が俺の判断を鈍らせた。
その時に俺は「あ、死ぬのやめよう」という発想が脳からポロリと零れ落ちた。俺という人間は馬鹿で単純で助平だった。こんなに気持ちの良いことを知らずに死ぬところだったと、冷や汗をかいた。
見知らぬ男が与えた快楽が俺の生きる活力になった。本当に間抜けなオチで申し訳ないと思う。
俺が山を降りる計画を練っていると、ウサギが「オレに触って」とねだるように言った。俺が彼の腹を撫でると、何故か肌がボコボコしていた。今思うとあれは古傷やミミズ腫れだった。当時の俺はそれに気付けなかったので、不慣れな触感に眉をひそめるだけだった。
俺の指が這う度に彼は恍惚とした表情を浮かべた。もう目の前にいる俺が見えていないようだった。
事を済ませた後、俺が地面に寝転がっているとウサギが懐に入り込んできた。落ち葉が敷き詰められている地面は柔らかく、湿っていた。
「俺が断ったら、どうするつもりだったんだ」
「あの人達の所に戻って死ぬ予定だった。
あのね、オレの理想はね、みんなで円になった状態で首吊るんだ。そしたら顔合わせてるから一人って感じがしないでしょ」
一を聞けば十で返してくる奴だった。
相変わらず早口で、低音で、不明瞭な話し方だったけど、不思議と心地よかった。遥か昔に聞いた子守唄を思い出してしまった。
「また、こういう事するのか?」
「オレが寂しくなくなるまではずっとね。まあ、参加するにしても参加者が偶数のオフ会だけだよ。誰も余らないから」
ウサギの口から流れる子守唄を聴いているうちに、俺はいつの間にか眠っていた。
樹々の隙間から朝日が射した頃に目を覚ますと、隣にアイツはいなかった。
背中は痛いし、身体中変な虫に刺されるわで最悪の目覚めだった。昨晩の名残のせいでふらつく脚を動かして、他のメンバーがいた場所に戻ったが、人気はなかった。
周りをよく見渡すと、落ち葉に埋もれるようにして寄せ集まったまま動かない数人の男女がいた。
その中にウサギがいない事を確認すると、俺は山を降りた。
その後すぐに働き始めた。それと並行して、あの日の俺を引き止めた快感を探し始めた。色々やったが、結局見つけられずに現在に至る。
次第に俺をこの世に留まらせる効力が薄れているような気がする。
またウサギに会えないだろうか、という淡い期待をしながら、例の掲示板に再び入り浸るようになった。参加者が偶数のオフ会を見つけても既に日付が過ぎていた事もあったが、諦められなかった。
最近耳に入ったことが二つある。
「八人の男女グループが円を描くようにして首を吊った状態で死亡していた」というニュースと、兎は寂しくなっても別に死なないという事。
俺は彼をどう呼べばいいのだろう。
彼は今でも相手を探してオフ会に参加しているのだろうか。
気になって仕方がない。
もしアイツが死んでいたら、俺も死のうと思う。
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