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【幸せの青い鳥】圭琴子

 『青い鳥』。俺は、子供の頃からこの童話が大好きだった。絵本を読み漁り、やがて原書でも読みたくて高校生でフランス語・ついでに英語を習得し、大学生になってからは海外に渡って原作の舞台劇を観た。大学院で鳥の研究をし、今は鳥類の専門家として写真や文章を提供することで、生計を立てている。 「あっちぃ……」  軽いバードウォッチングは茶飯事だったが、そんな文系で研究室育ちの俺が、何故か今、秘境のジャングルで身長と同じほどの高さのシダ植物をかき分けている。日本にもカワセミ・オオルリ・ルリビタキなど青い鳥は居たが、この秘境のジャングルに、『青い鳥』のモデルになった鳥が居ると聞き付けたからだ。真偽のほどは分からない。でもそんな都市伝説レベルの情報でも確かめずにはいられないほど、俺は『青い鳥』に夢中なのだった。 「おっ」  二時間茂みを歩き続けて、けもの道らしき細い道筋が現れた。とにかく暑いが、湿気がないのでカラッとしていて不快指数は高くなく、危険な動物が居ないのはリサーチ済みだ。  ようやく頭上が(ひら)けて、俺は首から提げた望遠レンズ付きのカメラを手に取る。鬱蒼(うっそう)とした森には、微かな葉ずれの音と、キィキィといった獣の声が充満していた。額の汗を拭って、樹上に鳥影(とりかげ)を探す。だがあいにく、鳥はおろか獣一匹、目には入ってこなかった。  コンパスを出して、方向を確かめる。確かめようとする。そこで俺は蒼くなった。南を目指していた筈が、コンパスの針はグルグル回るばかりだ。脳裏に走馬燈のように、富士の樹海が()ぎって、思わず独りごちる。 「嘘だろ……こんなとこで死ぬのか俺……まだ二十五なのに……死にたくない……!」  冷静だったら英語で叫んでいただろうが、俺は取り乱して、日本語を張り上げた。 「おーい! 誰か! 誰か居ませんか!?」  ――ザザザッ……。  途端、四方八方から何かがシダの茂みを揺らした。ギクリとする。囲まれている。これは、群れで狩りをする、肉食獣の動き方だ。ジャングルで不用意に、大声を上げたことを後悔する……もう、遅いのかもしれないが。  ――ガサッ……。  輪が狭まる。待て、おち、落ち着け。危険な獣は居ない筈……。茂みの中で、何かが光を反射して光った。何だ? だがそれを見極める前に、あっという間に、石の矢尻や槍の穂先に囲まれていた。俺は反射的に、掌を前にして腕を挙げる。ホールドアップだ。 「何シニ来タ!!」  たどたどしい英語が投げかけられる。武器の先端に合っていたフォーカスを絞ると、背後にどれも琥珀色の肌に黒髪の顔、顔、顔。咄嗟に数えられた数は、七~八人くらい。男ばかりだ。全員が焦げ茶色のズボンを履いて、上半身は石の首飾りだけ、頭には白い羽を飾っていた。光を反射したのは、首飾りだ。一見ただの石だが、一部に宝石でも混じっているのか、太陽光をキラキラと時折反射する。俺はホールドアップしたまま、英語で返した。 「武器は持ってない! 研究者だ。ある鳥を探して、日本から来た」 「日本(ジャパン)? ソンナ国ハ知ラナイ。肌ノ白イ奴は、大体奪ウ為ニヤッテクル」 「よく見てくれ。俺の肌は白じゃない、黄色だ。日本から、二十五時間……まる一日以上かけて来た。凄く遠い所からだ」  男たちは、顔を見合わせた。聞き取れない何らかの言語で、幾つか会話が飛び交う。どうやら英語が話せるのは、少し後ろに控える、武器を持っていない一人だけらしい。肩につくかつかないかの所まで伸ばした黒髪を羽で飾り、引き締まった細い左脇腹にはタトゥーなのか、目の覚めるような青と赤で太陽のような丸い紋様(もんよう)(えが)かれている。彫りの深いエキゾチックな濃褐色の瞳の周りには、(しゅ)の顔料でアイメイクが施されていた。俺と同じくらいの歳に見える。 「奪ウ為デハ、ナイノカ」 「何も奪わない、ただ鳥の写真を……ええと、」  どう説明しようかと考える俺を、青年が遮った。 「写真ハ知ッテイル。写真ヲ撮ルダケカ」 「出来れば、動画も……あの、だから、この武器を収めてくれないかな……?」  ひとたび放たれれば、串刺しにされそうな現状を、何とかしたくて引きつった笑顔を作る。青年は、しばらく俺と視線を合わせていたが、何事か短く言った。良かった! 臨戦態勢だった武器が、次々と下ろされる。俺も詰めていた息をほうっと大きく吐き、挙げていた腕を下ろした。 「私ハ、『聖ナル川ニ愛サレシ者』」 「え……それ、名前?」 「ソウダ。呼ビヅラケレバ、(リルヴァ)ト呼ベ。オ前ハ?」 「トオル・イナガキ。トオルと呼んでくれ」 「トール」  発音が微妙に違うが、外国人の名前が正確に発音出来ないのはお互い様だから、敢えて訂正はしない。 「よろしく、リルヴァ」  俺は右手を差し出した。だが、その手が握られることはなかった。 「私タチハ、狩リヲスル。大事ナ利キ手ヲ、ヒトニ預ケル習慣ハナイ」 「あ……そうなんだ。ごめん」  素直に謝ったのが、功を奏したらしい。リルヴァは近付いてきて、ほんのごく僅か、(うっす)らと微笑んだ。そうすると、ひどく魅力的だった。都会的な国には何度も渡航したことがあって、造作(ぞうさ)の違う外国人が美しく思えることには慣れていたが、何だか心臓が高鳴って戸惑った。 「コノ森ハ、旅人ヲ迷ワセル。何モ奪ワナイノナラ、村ニ入レテモ良イ。着イテコイ」  そう言ってリルヴァは、整った顎をしゃくって(きびす)を返した。     *    *    *  彼らの村は、そこから徒歩一時間強のところだった。身軽く通い慣れた道を進んでいくのに、特大のバックパックを背負った俺は着いていけずにゼェゼェと息を荒くしていたら、リルヴァが気付いて一行に声をかけてくれた。リルヴァは……言わば、スポークスマンといったところか。一番後ろを歩く俺の前を歩き、気にかけてくれる。だがこの地域に先住民が居るとは、ネットにも文献にも現地へのリサーチにも載っていなかった。この地域は、情報自体がとても少ない。きっと知るひとぞ知る、って感じなんだろうな。  村は、森が不意に途切れた先にあった。直前まで、気付かなかった。土壁とシダの葉の屋根の家が、ぽつぽつと点在している。村人たちは、男はズボン、女はワンピースのように布を(まと)っていた。皆一様に、焦げ茶色の布だ。布があるということは、何らかの商取り引きがあるのだと想像する。  何だろう。男たちの首飾りみたいに、家の土壁も所々キラキラと太陽光を反射している。一件の大きな家に案内される時に、思わず外壁に触れて観察したら、リルヴァが固い声音を出した。初めて出会った時みたいに。 「ソレニ、興味ガアルノカ?」 「ああ……いや。綺麗だなと思って。安心して、奪わないから。本当に俺は、写真を撮りに来ただけなんだ」 「……ソウカ。ソレハ、『キンバーライト』ト、イウラシイ。聖ナル川ニハ沢山アッテ、外ノ人間ニ渡セバ、布ヤ鍋ト交換シテクレル」 「なるほど。鉱物資源か」  そう呟き、思わず『キンバーライト』をスマホで検索しようとして、電波がないことに苦笑する。 「入レ。首長ノ家ダ」 「え、偉い人に会わせてくれるのか?」 「連レテキタラ、オ前ハ村の客ダカラナ」  これも焦げ茶色の布の仕切りをめくって中に通され、白髪の男性に紹介される。心臓に右手を当てるのが挨拶みたいだったから、俺も真似して手を当てたら、首長は喜んでくれたようだった。家を出て、少し離れた小さめの家に案内される。 「ここは?」 「私ノ家ダ。英語ガ話セルノハ私ダケダカラ、客ノ世話ハ私ガスル」 「そうか」  そう答えてから、現実味のなかった状況が、じわじわと飲み込めてくる。リルヴァたちは常に略奪者に備えていて、ひとたび『奪う者』だと分かれば、あの石弓や石槍で攻撃するのだろう。危ない所だった。それに、ひとりではジャングルの中でのたれ死んでいたかもしれない。本当に俺は幸運だ。 「リルヴァ、俺を客として迎えてくれて、ありがとう。助かったよ。命の恩人だ」  さっきのように、心臓に手を当て礼をする。リルヴァは今度は間違いなく、はにかみがちに微笑んだ。琥珀色の肌に、真っ白な歯が眩しい。そんな些細なことで、初恋みたいに気分が高揚するのが分かる。いや、分からない。何でそんな気持ちになるのか。 「入レ」  家の中に入ると、陽射しが遮られ、ヒヤリと快適な体感温度だった。床にはムシロが敷かれ、クッションにも枕にもなりそうな布の塊があった。触ってみると、日本のそば殻枕みたいな感触がした。 「ところで……」  早速、青い鳥のことを訊こうとしたが。  ――ギュルルルル……。  俺の腹が、盛大に鳴った。リルヴァが、声を上げて笑う。再三思うが、アイメイクを施した顔は中性的で、ほころぶと何だかドキリとさせられる。自分の腹をさすって、リルヴァはクスクス笑いながら言った。 「待ッテロ。今、食事ヲ貰ッテクル」 「お、おう」  跳ねる鼓動を押し隠すと、何だか偉そうな返しになってしまった。一人になって、また部屋の中を見回す。ムシロと枕があるだけの部屋は、寝る為の家なんだろう。台所がないから、きっと同じ布を全ての村人で分け合っているように、食事もひとところで作っているのかもしれない。  ――ピヨ。  その時、奥の薄暗い方から、場違いなさえずりが聞こえた。鳥? 青い鳥!? 俺は奥の隅にあった木の箱を覗き込む。ぽわぽわの綿毛(わたげ)に包まれた、顔の半分以上が口の、黒い雛が俺をキョトンと見上げていた。かっ……可愛い! じゃなくて! 個人から研究者になって、雛を注意深く観察する。これは……何の雛だろう。鳥の専門家としてはスッと学名が出なくてはいけない所だが、幾つか候補が浮かんでは消える。これは……ひょっとしたら、新種の発見になるかもしれない。 「トール」  入り口の布がめくられ、リルヴァが美味しそうな香りと共に入ってきた。振り返ると、シダの葉の上に、焼いた肉やバナナが乗っていた。また、腹が鳴る。 「食エ」 「ありがとう。いただきます」  手を合わせて、俺は食事を摂り始める。慣れない肉体労働で、ひどく腹が減っていた。少し行儀は悪いが、飲み込む合間に、リルヴァに雛について訊く。 「あの鳥は、飼ってるのか?」 「アア、イヤ。高イ巣カラ一羽ダケ落チテイタカラ、親代ワリニナッテイル」 「何て鳥だ?」 「私タチハ、タダ『黒イ雛』と呼ンデイル」 「そうか」  正体が分からず、少しガッカリした。でも、新種発見のチャンスかもしれない。 「あの雛の写真を、撮っても良いか?」 「アア。……トール。首ヲドウシタ?」 「え?」  言われるまで気付かなかった。俺は、首筋をボリボリとかいていた。 「蚊に刺されたんじゃないかな。ちょっと痒い」 「トール、コレヲ身体中ニ塗レ」  差し出されたのは、海外特有のカラフルなペットボトル。中に液体が入っていた。 「何で?」 「虫ガ、災イヲ運ンデクル。コレヲ塗レバ、虫ハ寄ッテコナイ」  なるほど。一応長袖を着て虫除けスプレーをしていたが、更に強力な虫除けが必要らしい。蚊に刺されて病気になるって話は、よく聞いた。これは、現地の人間の言うことを聞いた方がいいだろう。食事を終えた俺は下着一枚になって、身体中にサラサラするその液体を塗り付けた。  その頃には、空が(あかね)色に染まっていた。当然だが、電気がない。日が暮れる前に取り敢えず黒い雛を一枚撮ったが、暗くなってもう撮影は無理だった。また明日、撮れば良い。野生動物にフラッシュは厳禁だ。  振り返って世間話でもしようかと、思春期の少年みたいに緊張しながら息を吸い込んだが、声にならずにそのまま吐いた。リルヴァはもう、枕に頭を乗せて目を閉じていた。仕方なく、俺も枕をして寝転がる。時計のライトを点灯させてみたら、まだ午後七時だった。当然眠れる筈もなく……と思っていたが、急に身体を使ったツケがきたらしい。いつの間にか、眠っていた。     *    *    *  聞き馴染みのない言語が、頭の上で飛び交っている。俺は、薄目を開けた。腫れているのか、目がちゃんと開かない。ああ……頭が痛い。切羽詰まったような言葉の応酬が、こめかみにズキズキと響く。リルヴァの顔が、チラと見えたと思ったが、俺は再び意識を失った。  次に気付いたら、何だかヒヤリとして気持ちよかった。家の中よりもずっと涼しい……。下半身と背を覆う冷たさ、そして、とろけてしまいそうに熱い身体。腕を動かしたらチャプンと音がして、この冷たさは水なのだと知る。やっぱり薄目を開けて見ると、森の中を奇跡のように流れる、澄んだ川の浅瀬に横たえられていた。 「トール」  プールで耳に水が詰まったように、間近に居る筈のリルヴァの声が聞き取りづらい。熱くて、どうにかなってしまいそうだ。 「オ前ニ、虫ガ災イヲ運ンデキタ。デモ安心シロ。私ハ聖ナル川ニ愛サレタ、(マジナ)イ師ダ。治療シテヤル」  そう言うとリルヴァは、自分のアイメイクから親指の腹で(しゅ)を掬い取り、俺の目尻にもそれを塗り込んだ。眼前に、目の覚めるような鮮やかな青と赤のタトゥーが揺れる。リルヴァは、全裸だった。節々(ふしぶし)の痛む腕を動かして自分の身体を探ると、俺も全裸だった。 「あ」  リルヴァの顔が降りてきて、刺された首筋を強く吸われる。チリ、と痛痒く、思わず声が漏れた。視界には、抜けるような青空と、茂った木々の葉、降ってくる色とりどりの花びら。天国なんてものがあるとしたら、きっとこんな風景だろうなとボンヤリ思う。ああ……俺、死ぬんだな。不意に、ピンときた。ゆっくりと瞼が落ちてきて、意識が混濁する。 「トール! トール! 逝クナ! 戻ッテコイ!」  誰かが、耳元で叫んでいる。眠いんだ……寝かせてくれよ。でもしつこく名前を呼ばれて、仕方なしに薄目を開ける。目の前に、美しい顔があった。俺は花に惹かれる蝶のように、ごく自然に腕を回して力を込めた。引き寄せて、口付ける。夢中の口付けに、リップノイズが耳まで犯す。口内に舌をはわせ味わうと、花の香りがふわっとした。  俺は……天使を犯しているんだろうか。だとしたら、地獄行きだろうな。そう思いながらも、本能的に身体をずらして琥珀色の鎖骨を甘く噛む。胸の色付きも()みながら、奥に指を忍ばせた。天使のあそこって、キツいんだなあ。徐々に抜き差しして広げ、もどかしく準備万端の自身を宛がう。何度も名を呼ばれる。水の冷たさ、そして、とろけるチーズみたいに熱く絡み付く内部。俺の腹筋に手を着いてよがる天使を、下から犯して揺さぶった。嬌声が水辺に木霊する。意識が弾ける瞬間、白い羽が一枚、ハラリと鼻先に舞ったから、やっぱり天使に違いない。     *    *    *  俺は、未知の熱病にかかっていたらしい。現地の病院に運び込まれたが、手に負えないと日本大使館に連絡があり、専用機で日本に送られ一週間生死の(さかい)をさまよっていたという。だが熱は一度上がってから少し下がった形跡があり、何らかの治療が施された可能性が高いと言われた。高熱のせいか、俺はここ一ヶ月余りのことを、すっぽりと覚えていなかった。初めに運び込まれた病院のことを聞いても、何故そんな所に居たのか、行ったのか、サッパリだった。  退院する時、持ち物を返却されて、望遠のカメラがあったことから、鳥の取材旅行だろうかと当たりをつける。家に帰って、自室で写真を現像した。これは……確かに鳥だが、まだ生まれたばかりみたいな雛だった。何でこんな写真を、と思ったのも束の間、違和感に気付く。鳥の専門家である自分が、何の鳥だか分からない。新種発見の可能性。そうか、俺はそれで現地に行ったんだな。  だがあと何枚か現像してみて、ひどく落胆する。信じられない。あとの数枚は、全て像を結ばず真っ暗だった。自分がそんなイージーミスをするとは思えなかったが、レンズキャップをはめたままだったらしい。現像室でしっかり(へこ)み終わってから、リビングに戻って何となくスマホを弄る。 「あっ」  驚きに、声が漏れた。スマホの画像フォルダに、さっきの黒い雛が、連写されている。いや、代わり映えしないから連写だと思ったが、それは毎日雛を観察した記録らしい。初めから、俺はスワイプしていった。雛はだんだんと綿毛が抜けて大きくなる。やがて。 「……青い鳥……!」  巣立つ寸前まで育った雛は、雲ひとつない快晴の夏空のようなコバルトブルーの色をしていた。最後に、放鳥したのか、羽を広げて飛び去る姿がブレ気味に映っている。これだけあれば、新種発見の研究材料になる! 俺は興奮して、だが念の為もう一回スワイプした。何だ? 動画が……最後の最後にひとつある。気付いた事をボイスレコーダーに残す習慣はあったが、何の動画だろうかと、(いぶ)かしく思いながらも再生する。 『……トール。鳥ノ写真ハ、撮ッテオイタ。オ前ガ助カルコトヲ、祈ッテイル』  たどたどしい英語だった。朝方か夕方か、灯りのない室内で撮ったものらしく、薄暗くて 顔かたちは分からない。 『聖ナル川ノ治療ハ、成功シタ。コレカラオ前ヲ、街ノ病院ニ連レテイク』  そこで、しばし沈黙があった。表情が分からないので、何を思っての沈黙かは分からない。十五秒ほど沈黙して、動画の人物は再び話し始めた。 『ソノ……トールノ国トハ多分違ウト思ウガ、私タチノ村デハ、男ハヒトリノ妻ト、ヒトリノ夫ヲ持ツ。女ニ子供ヲ生ンデ貰イ、男ト対等ニ愛シ合ウ』  ひどく言いづらそうな調子で、言葉は続く。 『トールハ私ト愛シ合ッタカラ、一族トシテ認メラレタ。『聖ナル川カラ蘇リシ者』トイウ名前ガ与エラレタ。私タチハ、最初ニ愛シ合ッタ者ト、永遠ニ結バレル』  ここで、不意に声音が揺らいだ。溢れそうな涙を、こらえるように。 『コノ誓イヲ破ッタ者ハ、処刑サレル。……ダカラ……ダカラトール、モウコノ村ニ来テハイケナイ。愛シテイル。オ前の人生ノ、幸運ヲ祈ッテイル』  そこで、陽が差し込んだ。どうやら朝方に撮っていて、陽が昇ったらしい。声だけだった人物の、顔が見えるようになる。琥珀色の肌に黒い髪、白い羽飾り、キラキラ朝陽を照り返す首飾り。心を映したように美しく澄んだ瞳から、静かに大粒の涙が零れていた。映像の逆再生のように、脳裏に記憶が(いびつ)に渦を巻く。黒い雛。蚊に刺された。『青い鳥』のモデル。キンバーライト。水の冷たさ、そして、とろける身体。 「リルヴァ……!」  多すぎる情報量に、何から手をつけて良いか分からず、取り敢えず記憶に残る『キンバーライト』を音声検索する。  ――ピコン。 「キンバーライト」 『キンバーライトとは、カンラン石と雲母(うんも)を主要構成鉱物とする火成岩。一部から、ダイヤモンド原石が産出される』 「ダイヤモンドか……!」  あのキラキラは、ダイヤの原石だったのか。価値を知らない彼らを食い物にして、商取り引きを行なっている一部の人間は、あの場所に彼らが居ることが知られたらマズい訳だ。だから、彼らの情報は流出していなかった。俺は、そう気付いた瞬間から、新種発見の学術論文の準備を始めていた。頭の中を、専門用語が飛び交う。新種の発見は、論文の紙面掲載をもって正式に認められ、早くても数ヶ月かかる。大仕事になりそうだった。     *    *    *  三ヶ月後。国際空港のロビーに、数人の男女が集まっていた。 「じゃあ論文、提出しておいてくれ。あとは、頼んだ」  気軽に言って託す俺に、研究者仲間は不安げだ。 「受理が確定されるまで、確認しなくて良いのか?」 「ああ。本当は、一ヶ月目に論文は諦めようかと思ったくらいだ」  新種を発見した場合、その種に命名出来るという名誉が与えられるが、俺にはそれより大切なものがあった。周りからなだめすかされ、渡航の荷作りをしては(ほど)いて、を繰り返し、ようやく出来た論文だった。 「『トール・リルヴァ』という名前だけ、しっかり推しておいてくれよ」 「分かった……止めても聞かないんだろうな」 「前に行った時も、そうだったし」  俺は笑いながら、特大のバックパックを背負う。既視感(きしかん)。 「安心しろ。あの熱病は、一度かかると抗体が出来るそうだ。もう、死にかけることはない」 「気を付けて」 「元気でな」 「ああ」  数年だが、一緒に研究に没頭した仲間たちと、握手を(かわ)す。握手をするのは、これが最後になるかもしれない。(きびす)を返しながら軽く手を振って、あとは振り返らず一直線に、チケットカウンターに向かって歩いた。 「どちらまで?」 「青い鳥のいる地まで。一枚。……片道」  リルヴァは、俺に会ったらどんな顔をするだろう。頭の中はリルヴァのことでいっぱいで、自然と頬が緩んでしまう。出逢った瞬間に運命を感じるだなんて、過度なロマンティストの世迷い言だと思っていたが、自分の身に起こったことに納得せざるを得なかった。飛行機の座席について、リルヴァの動画を何度も再生しては、思い出し笑いをこらえて手で覆う。そのまま俺は、かの地まで二十五時間の旅に出た。幸せの青い鳥は、遠くて近い場所に居た。 End.

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