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第6話:特別な親友

 湊が居候をはじめて、二週間。  その間、大きな変化はなかったが、二人の距離は以前よりも確実に近くなっていた。  ただ、それは湊がいつもの調子で隆司に迫ったからではなく、隆司が自然に湊の方を向くようになったからだ。  湊の妄想に鋭い突っこみを入れる点は変わっていないが、部屋の中でくっついてくる湊を邪険に扱わなくなった。事件がない日はすぐに自宅に帰るようになったし、その時に電話をして何か必要なものはないかと、世の夫達のような行動をとるようにもなった。  とにかく、二人の時間が前よりも長くなったのだ。  それでも隆司の鬱憤がたまることはない。 そんな関係を、いつの間にか作りあげてしまったようだ。  何もかもが順風満帆で、快晴の空のような生活は、早くに親を亡くした隆司にとって特別なものになりつつあった。 「――――ん? こんな時間に誰だ?」 「新聞屋さん……でしょうか」  時刻が夜の八時を回ったところで鳴ったインターフォンの音に、二人揃って首を傾げる。 「こんな時間に新聞屋が勧誘にくるわけないだろ。いい、俺が出る」  少し遅めの夕食の準備をしている湊を残して、隆司が席を立つ。  対応に出た玄関の扉の向こう側にいたのは、隆司にとっても意外な人物だった。 「久しぶり。急に来ちゃってごめん」  隆司のマンションに前触れもなく現れた白い肌の男は、最後の記憶よりもずっと白く、寧ろ青白いと言うべき色に塗り替えられていた。昔から華奢だということは知っていたが、今は着ているスーツのラインも合わないほど痩せてしまっている。  儚いというよりも、触れた途端に崩れ落ちそうな印象。当人は持って生まれた知性的な顔に、器用に作った笑顔を貼りつけているが、隆司にはすぐに彼が酷く疲れていることが分かった。  大丈夫だろうか、と不安が一瞬で募る。 「ビールとつまみだけはたくさん買ってきたつもりだけど、これだけで足りるかな?」  手に持っていた大きなビニール袋を持ち上げて、浅倉克也が静かに微笑む。それは今から飲もうという合図だった。しかし、スーツの袖から覗く細い手首と、大量の酒類が入った大袋が強い違和感を覚えるほど不似合いで、隆司は無意識の内に克也から荷物を奪う。 「足りるとか、足りないとかの前に、来るなら電話の一本ぐらい寄越せよ。今日、事件入ってたらどうするつもりだったんだ?」 「あー、そうだったね。そこまで考えてなかったよ」  ただ連絡を忘れていただけと言うが、多分嘘だろう。  この男は仕事で壁にぶつかり、どうしようもなく追いこまれた時だけ一時の休息を求めるがごとく、隆司の下を訪れる。今がその時で、恐らく当人は連絡を入れる余裕もなく、ここへきたのだ。  克也のこの癖は三年前、二人が警察学校を卒業してそれぞれの道を歩み出した後からはじまった。  隆司のようなノンキャリア――――地方公務員としてではなく、国家公務員として警察庁へ入庁した克也の仕事は、多忙と言われる刑事課の刑事達よりも忙しく、上下関係も厳しい。職場では常に気を張っていなければならないし、同期は皆ライバルだから馴れ合うこともできない。そんな環境で疲れきってしまった時に、克也は親友である隆司に手を伸ばすのだ。  隆司と克也は高校時代からの同級生で、親友同士。同じ大学に進み、更に警察官という同じ道も選んだ。二人は働いている部署が違うため頻繁に会うことはできないが、今でも関係は切れないでいる。 「五ヶ月ぶりか? ご無沙汰だったから、とうとう忘れられたのかと思ったぞ」  隆司は荷物を持っていない方の手で、当たり前のように克也の前髪に触れる。克也は男同士でおかしいと嫌がることなく、整った笑みを浮かべた。  そんな阿吽の呼吸にも似た空気が流れる二人の間、というよりも隆司が勝手に決めたことだが、決まっているルールがある。  それは克也が精神的に参っているのが分かっていても、何も聞かない。心配もしない。わざと何も知らない振りをする、というものだ。理由は勿論、克也自身が聞いて欲しくないと思っていることを隆司が察しているからだ。  多分、克也は隆司と親友として、いつまでも対等でいたいと願っている。ならば、その通りに接してやるのがいいと思っていた。 「忘れてなんかないよ。ちょっと仕事が溜まってただけ。それよりもそっちはどう? 刑事課はやっぱり大変?」 「ああ、想像通りの激務で、時々やさぐれそうになる」 「刑事がやさぐれちゃ駄目でしょ」  オレンジ色の室内灯の下、二人で笑い合う。すると、不意に背後にあるリビングへ続く扉が開いた。 「隆司さん、お客さん誰でし――――あっ」 「あれ? 隆司、先客だった?」  隆司を挟んで、湊と克也が顔を合わせる。そのまま二人は、驚いた顔のまま固まっていた。恐らく、お互いが隆司の友人と鉢合わせてしまったことに驚いているのだろう。 「あの、隆司さん、ごめんなさい……」 「ごめん、隆司……マズかったかな?」  ばつの悪そうな顔で、隆司を見遣る二人。視線を向けられた隆司の方も、どう返答していいのか迷った。 「いや、別にどっちも悪くはないけど……」  湊には克也のことを話していない。克也にも湊がどうしてこの部屋にいるのか教えていない。二人の間に入った隆司は、何から話せばいいのか考えあぐねる。  しかしその気不味い空気を、湊が一番に断ちきった。 「あ、あの……僕、外に出てますね」  隆司の隣を擦り抜け、湊が外に出て行こうとする。その腕を、隆司は何も考えないまま掴んだ。 「別に、出て行かなくったっていいだろ」  どうして湊が出ていくのだ。そんな必要はないし、いつもなら妙な自己主張を挟んでくるのに。少しだけいつもと違う湊に、調子が狂いそうになる。 「でも、僕がいたら……」  いい歳の男が二人、同じ屋根の下に住んでいるなんて知られたら不味い。おおよそ湊は、そんな下らないことでも気にしたのだろう。しかし、だからといって上着も持たずに出ていくなんて賛成できるはずがない。風邪でも引いたら、どうするというのだ。  それに、今の隆司にとって湊は邪魔な存在などではない。隣にいたって恥ずかしいとも思わないし、隠したいとも思わない。 「お前が出て行く必要なんてないし、逆に出て行かれた方が困る」 「困る?」 「……俺も克也も、料理は壊滅的に下手なんだよ。お前が出て行ったら、今日の夕飯が菓子と揚げ物、それとカップ麺で終わりになる」  克也から奪った袋の口を開けて、湊に見せる。同時に自分も中を覗いてみたら、やはり酒以外に入っていたのはナッツやさきイカ、チキンナゲットにカップラーメンと、予想した通りのものしか入っていなかった。  隆司は高校の時から、克也も大学を卒業してからと、一人暮らしは長いはずなのだが、二人ともに何故か料理だけは何度作っても上達しなかった。焼けば焦げる、煮れば蒸発すると、どれだけ料理本を見ながら作っても完成した料理は見るも無惨なものになった。だから湊が居候になるまでずっと、コンビニ弁当や定食屋、あとはレトルト商品で生きてきたのだ。 「三人分作るのが大変なら俺もできるかぎり手伝うから、今夜は克也の分も作ってやってくれないか?」 「そういうことなら、僕は構いませんよ」 「克也も、今夜はこいつと一緒でもいいか? こいつ、今わけあってここに置いてるんだ」  克也の方を向き直して「理由は後で話すから」と言うと、出来た親友は穏やかに笑って頷いた。 「急に来ちゃったのは僕の方だから、二人がいいなら僕はどういう形でも構わないよ。それに、飲むなら人が多い方が楽しいしね」 「サンキュ。じゃあ上がれよ。ホラ、湊も行くぞ」  克也を先に部屋に入れ、自分達も入ろうとする。すると、背後からクイッと服の裾を引かれた。 「本当にいいんですか? せっかくお友達が訪ねてきてくれたのに、他人の僕がいて……」 「他人って何だ、他人って。血が繋がってないって意味なら克也も他人だし、友人知人って意味なら克也もお前も一緒だろ。変な気ばっかり使うな」  少し前の隆司なら面倒臭いと一蹴していたところだが、今日は下を向いた湊の旋毛を隠すように手を乗せ、クシャクシャと柔らかな髪を掻き混ぜた。 「お前を邪魔だなんて思ってないから。それに、最近お前の料理に慣れたせいで、菓子やカップ麺ばかり食べると胃がもたれるようになったんだよ。だから責任取って飯作れ」  行くぞ、という意味をこめて湊の腕を引く。すると自分が必要だと言われたことが嬉しかったのか、顔を上げた湊の顔に花のような笑顔が咲いた。 「はいっ!」  ああ、やっぱり湊は笑顔のほうがいい。隆司は、ただただ素直にそう思いながらリビングに向かう。  それから二人はすぐにキッチンへと向かい、夕食の準備をはじめた。

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