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風雪と葉理

   ――葉理(はり)くん、今日会いたい。  その声は、とても甘えたものだ。 「ダメだ。明日はセンター試験だろ?我慢しろ」  自分ではなるべく柔らかく言ったつもりでも、幼馴染みの高校三年生、風雪(ふうせ)にはキツく聞こえたみたいで携帯越しから『うっ……』と小さな声が耳に届いた。 「もう嫌だ。葉理くんとどんだけ会ってないか!最後に会ったのいつー?えーっと、」  嫌味かのように日数を数えはじめた風雪。  最後に会ったのはハロウィンの時だから二ヶ月ちょっとだぞ。  高三とはいえ、風雪はもう少しで高校を卒業する。明日に来る試験で合格するまでわからない未来でも、大学生になる。  小さい頃からなにかと俺の後ろをくっついて来た男。歳が一つ違いでも風雪の身長は俺より小さく、さらに同い年の子達よりももっと小さかった。  病弱気味でもあり、俺が知る限り小学生の時なんて半分は早退前提で学校に行ってた気がする。 『休めよ』と言っても耳に入れようとしない風雪は必ず『葉理くん行こう!』と。この言葉だけ元気に言ってくるから、小学生なのに頭を俺は抱えたもんだ。  ついには風雪の母親――おばさんから『よろしくね、葉理ちゃん』なんて言われちゃって、俺の母さんも調子に乗るもんだから『お兄ちゃん頑張って』って。  みんなどんだけ俺が苦労してるか知ってるか? 「ほら、二ヶ月と23日も会ってない。葉理くん、これは大問題だ……っ」 「随分と細かいな。ハロウィンの時じゃなかったっけ」 「違うって!誰と会ってたんだよ!」 「あー?おかしいなぁ」  情緒不安定な風雪。  おばさんもおじさんも知らないであろう風雪のもう一つの姿。俺の人生はこいつの不安定要素のせいでいくつも選択を変えたもんだ。  ある私立中学校に行きたいと思っていた俺は母さんや父さんに相談していた時期があった。変に大人っぽくなってこの先どうするのよ、なんて言われていたが小学校を卒業したら自動的に行くであろう市立中学校の手続きをされたら困るじゃないか。  あいにく、平凡に暮らしていたこの家もほんの少しだが金に余裕があるのも、知っていたしな。  しかし、相談に相談を積み重ねてあとちょっとで親からの了承を得れるかもしれない――と思っていた時、あいつが知っちゃったみたいで。 「てかハロウィンの日も会おうって誘ったじゃん!」 「その日に誘いがあろうが違う日だろうが、受験年であるお前と結果がわかるまであまり会う気なかったけど」 「んーーー!俺もう泣くよ!?」 「はははっ、もう泣いてんだろ?」 『――なんでさ!なんで県外の学校に行っちゃうんだよ!ずっと遊ぼうって約束しただろ!葉理くんは嘘吐きだ!鬼だ!裏切り者だ!』 「葉理くんは本当に意地悪だなぁ……。ね、恋人イジメて楽しい?」 「まぁ、な」 「恋人には、甘くしないと」  風雪の涙は止まることを知らず、周りを気にせずギャンギャン吐き出す俺への暴言。  その歳にしてそんな汚い言葉を知っていたのか、なんて今思い出せば疑問に思うほど言われてた気がする。それに耐えきれなかった自分自身も情けない話、自動的に行くことになっていた近所の市立中学校に決めた。  変えられた選択。  それで、そのあと風雪に言われた『好きです』『付き合ってください』  答えが一択しかない返事は、このざまだ。 「……葉理くん、どうしても?」 「どうしても。合格かどうかわかるまで」 「……」 「どっちでもいい。結果がわかるその日、そっちに行くよ。もう一個の方は決まってて確実なんだから、またしばらく連絡が出来て、時間が合えば会えるだろ?」  なかなか反応しなくなった風雪に首を傾げそうになったが、今は電話中だ。風雪と電話をしてて、目の前に誰もいないまま首なんて傾げたらおかしな奴だと思われるだろ。  それともわざと周りから携帯を見せる角度にするか? 「風雪、もうこっちはバイトだから切るぞ。明日は頑張れよ?」  ――俺と同じ大学なんだから。    *   *   *  店長の『今日はもうみんな上がりなー!』という声でやっと終わる。 「ふぅ……ん?」  出したくもない溜め息に更衣室で一休みしながらスマホをイジっていると不在着信が数件あった。最初の方は風雪で埋め尽くされていたが、一番上に表示されていた名前は母さんの名前。  時間も、俺やみんなが上がる20分前。  んー、23時過ぎてるけど……起きてるかな。そう思いながら母さんには電話をかけ直して風雪を無視する。ぶっちゃけ、風雪には俺の大学に来てもらいたいし。  プルルルルル――と鳴り響く無機質音。  このコールで出なければ切ろう、と決めながらバイトの制服から私服に着替えてると聞き慣れた声で『もしもし?葉理ちゃん?』と。 「いい加減、葉理ちゃんなんてやめろよ……で、さっきの電話なに?バイトだったから出れなかったよ」 「ああ、それはごめんなさいね。ちょっと聞きたい事あって」  いくら聞き慣れた声とはいえ、風雪とおなじぐらい会ってない母さんの声はまた新鮮だった。忘れてもいない声なのに、こんな声だったっけ?とか思って。  まあ話の内容にもよる声のトーンだけど。 「聞きたい事?」 「そ、風雪ちゃんのこと」 「……風雪?」  風雪ならバイト前に電話しましたけど。 「ほらあの子、ストレス溜まりやすいじゃない?どこから拾ってきたのか知らないけどさ。風雪ママから聞いたんだけどねー……」 『さっき、壁に頭を打ち続けて怪我しちゃったみたいなのよ』 「はぁッ!?」 「ちょっ、もう、なに!急に大きな声出して!出したくなる気持ちもわかるけど!」 「いや、なに、そんな、サラッと……!」  つい数時間前まで、会いたいだの、意地悪だの、恋人には甘く、だの。冗談な言い方で喋ってたじゃねぇか……いつ怪我した?  さっき、とか言ってたな。  さっき、なんて、どこから――。 「……失敗したか」  気付いた時にはもう電車の中。これを逃せばもうあとはない。地元行きで可能な選択肢は、タクシーになる。だけど間に合ってしまった終電に揺られ揺れ動くだけ。  まだ喋っていた母さんの電話は切ってしまい、着替え途中だった服も急いで私服になって、いつもは持ち帰ってた制服はロッカーのなか。  ちょうど明日のシフトが目の前にあって、ちゃんとオフなのを確認したあと『お疲れ様でした』とみんなに挨拶。そしてダッシュ。駅まで走る。  駅近のバイト先は5分ほどで駅についたが、改札のところで電車が来る音楽が聞こえてさらにさらにダッシュだ。駆け込み乗車は危険だと何度も目にしてる文字も流して、駅員の注意する笛の音さえ無視して乗り込む。  満員電車じゃないこの時間帯は駆け込み乗車が目立つ目立つ。目立ち過ぎて息するのも忘れたが、すぐにゼェハァと荒い息で深呼吸。 「はあ、はあ……ふぅ……」  失敗したのは、距離を置き過ぎたこと。バイト前の風雪からの電話は、破裂する寸前の助けだったに違いない。  溜めに溜め込んだストレスはまるで風船かのように膨らみ、入れ過ぎた空気(ストレス)のせいで破裂することがある風雪。破裂という暴走にはいろいろあるが、主に多いのは今回みたいな自傷行為だ。  私立中学校にしようとした時は口から悪いのを吐き出して、太ももを殴る行為で大きな痣を作っていた。高校の受験も実家からじゃ遠いところだと聞いたらしい風雪は、俺の目の前でカッターを取り出して頬へ傷を付けた。  部活関係にたいしても一緒に入るか、入らず帰宅部の選択を言われた時も、否定してみたらボールペンで手のひらを刺す瞬間を見てしまった。  いや、全部見せつけられていた? 『好きなんだよ、葉理くんっ……行っちゃ、やだ……』  それらの自傷行為は、風雪に弱い――俺の性格を知ってからやっていた行為だと、わかった。  だから俺の大学受験の時は目を瞑って、視界から風雪を消して、一言。 『俺も好きだよ。だから一年後、待ってる』  一人暮らしになる予定は言わなかったが、落ち着いた風雪は俺の言葉を信じて勉強に励むようになった。とはいえ、俺の学校はそんなに偏差値は高くない。  あいつは病弱だったくせに頭は良かったし、きっと記憶力も良いんだと思う。見聞きしたものはだいたい覚えてる奴だからそんなに勉強はしなくても、いけると思ってる。  けど受験に集中させた方が風雪のためであって、俺のためだからな。  実家を、地元を離れてから、なにかない限り近付かず、でも様子見で風雪にも会う。そんなバランスの良い毎日を送っていたはずなんだが……失敗したみたいだ。  風雪は、風雪自身は、破裂した――っぽい。 「はあ、はあ、キッツ……」  電車で一本。終点まで揺られて、またダッシュ。  今度は駅近じゃない風雪の家までダッシュ。こんな時だけタクシーが見当たらないからショック。  もう時間は1時を過ぎている。  きっと数日前なら風雪の部屋の窓から明かりが漏れてて、勉強してるのがよくわかるような雰囲気のはずだ。でも今日は違う。  日付的にも今日は、風雪の勝負どころだ。  本当はこっちに来る予定だった風雪。家全体が真っ暗な風雪の家。おそらくおばさんもおじさんも寝てるんだろうな。車はあるし、病院行きまでの騒動じゃなかったらしい。  どうしよう。  隣の俺の家に行って、俺の部屋から風雪の部屋に伝って行こうか……でも戸締りされてたら入れないよなぁ。……あー、玄関前の傘立ての下、に貼り付けられてる、鍵。  おばさんから『葉理ちゃんがいつでも来れるようにね』と、俺だけに教えてもらってる“らしい”場所。  実際は一度も使った事ないが、今でもあるなら使わせてもらおうかな。 「あった」  変なドキドキを味わいながら見つけた銀の鍵。駅から走ってきた呼吸もおさまってきたが、また深呼吸だ。そしてそのまま鍵穴に鍵をさして、遠慮気味のカチャンッ、という音を立てる。  本当に開いてしまった……この鍵の場所って本当に俺だけ知ってるんだろうか。危ないから、おばさんにもういいよ、って言っとこう。  マジで危ない。  とんとんとん、と上がる階段は風雪の部屋とゲストルームと物置として使ってる部屋しかないらしい。  おばさんとおじさんの寝室は一階で洗濯干し場は小さな庭で済んでるから、ほとんど二階に来る機会もないと聞いた記憶がある。  まあ、今はそんなのどうでもいいんだけど。 「……」  風雪の部屋に入ってベッドに目を向ければ案の定、寝ていた。  横向きで壁側に体を向けている。小さく動いてる掛け布団にホッ、と一安心な息を吐きながら、頭に巻かれてる包帯に手を伸ばた。  少し周りが暗いせいだろうか。……コメカミ辺り、一部色が濃い気がする。……まさか血じゃないよな。  ゾワッとした寒気に怪我の原因になったであろう壁を見つめながら“明日の試験に合格しないと本当にこいつ危ないんじゃないか?”なんていう心配にまでおかされる。  もう一つ決まってる学校は確かに俺が住んでるところから近いが、同じ学校じゃない。けど今よりはたくさん会えるし、口実として一緒に暮らせるのかもしれないからさ。  風雪が自らくらうダメージは浅いんだろうけど……それでも怪我なんてさせたくないだろ。  今なんて頭やってんだぞ、こいつ。 「はあ……よ、っと」  俺って今日は溜め息しか吐いてないのかもしれない。幸せは逃げてもいいんだけど。  そう思いながら遠慮なく風雪のベッドのなかに入る俺。いや、だって眠いし。  ゆっくりゆっくり、風雪に気付かれないように、風雪を起こさないように。俺は掛け布団をめくり、体を滑り込ませる。最後にめくった掛け布団を自分の肩までかけたら、おしまいだ。  俺は寝れる。 「……」  目の前にある大きな背中は確かに風雪の背中だ。  いつの間にか俺より肩幅も広くなってて、ついでに身長も抜かれてて、病弱だった体はどこにいったのか健康体に成長していた。  泣き虫なのは今でも変わらないが、それまでなくなってたら俺のいる意味がなくなるんじゃないかな。  俺でストレスを溜め込んでるなら、針で空気抜きをしてやらないと。  風船ってさ、ある部分を針で刺せば破裂せずに大人しく縮むじゃん。それと同じように、爆発しないように、同じ過ちを犯さないように。  しっかり抜いてやらないと。 「風雪――」 「ん……んんっ、ぁ、はり、くん……?」 「おう」  思わずギュッと背中を抱いてしまったせいで風雪が起きてしまった。  こりゃまた失敗したなー。  腹まで回った俺の腕。俺の手のひらはシャツから入り込んで風雪の素肌に触れる。手が冷たかったのか一瞬、体をビクッと震わせてたけどすぐに周りの理解をしようと寝起きで考えつくから、よかった。  ここで大きな声を出されても困るしな。  けど、起きちゃったかー。 「葉理くんっ、葉理くんだ!」 「風雪、シーッ」 「葉理くっ、ん……!」  体ごと振り返ろうとする風雪の大きな背中をなんとかおさえて、且つ、口を塞いどいた。  本当に嬉しいんだろうな、と伝わってこっちは恥ずかしくなりそうだけど。 「頭、大丈夫か?」  包帯越しの頭を優しく撫でる。 「だ、いじょーぶ」 「勉強した分がぶっ飛んでなきゃいいけど。ちゃんと合格しろよ?一緒に行きたいんだから」 「俺も行きたい、てか行く」 「すげぇ言い切りだ」  怪我してる頭をまだ撫でる。きっとすっげぇ痛いんだろうけど、撫で続ける。  俺の方に振り返られないせいか、かわりに俺の腕をガッチリと掴んで指と指を絡めてくる風雪。別にこれから帰ろうとするわけじゃないんだけど。  むしろ『帰っちゃうとか?』なんて聞いて来たらぶっ飛ばすぞ。 「それだけ自信あれば平気だなァ?風雪」 「ん、葉理くんと会えたから。今日は頑張れる」 「見送りもしてやる」 「やったぁ!それって朝まで葉理くんと一緒ってことだよなー!」  声だけでわかった、空気が抜ける音。  成功か? 「風雪、今日終わったらうちに泊まるか?」 「マジで?いいの!?」 (気持ちのイイ空気抜き方法は――その後だ、) *END*  

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