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可能選択肢 3
(……………なんか結局…………)
靄がかかったような頭で敬吾はぼんやり考えた。
逸は愛撫が好きだ、それは知っている。
それが今日は遺憾なく発揮されてしまっている。
ミルクティーにでも浸されているような雰囲気に耐えきれなくて自ら言い出したことだけれども、今はもう、蜂蜜だとかとろけたチョコレートだとかバタークリームだとか、率直に砂糖漬けだとか。そんな甘さになってしまっている。
とは言え暗いし、逸は没頭してしまっているから妙なものだが気楽で、先程よりは恥ずかしくはない。
すっかり毒されてしまったのかもしれない。
だがーー
「敬吾さん……」
「う、なに」
呼びかけられるのは苦手だった。
こうなっている時の逸の声は甘いだの優しいだのそんな言葉に収まるものではない。
だだ漏れなのだ。
色気やら愛情やら興奮やらそういったものがすべて。
質量さえあるのではないかと思うほど。
声をかけたくせに二の句を継がず、逸はしばらく左手で繋いだ敬吾の手を眺めていた。
「……、なんだよ?」
痺れを切らして聞き返すと、前髪の間からぎらついた逸の目がちらりと敬吾を見た。
それは普段ならば粗相でもして怯えている犬のような目線の運びなのだが今はもうーー敬吾には狩りをする猛獣の目つきにしか見えなかった。
(こえーよ………)
「今日……」
「ん」
「……前からしたいんですけど」
「あっ?」
これまた低く唸り声のように呟かれ、何か聞き違えたのだろうかと敬吾は希望をかけた。
ーーーーー前から?
「ちょっと足……上げてみますね」
「えぇ!?うわ、やだってやめろ!」
「いけそうですよ」
「無理だって恐い恐い!!」
腰がベッドから離れて不安定なことこの上ない。
これで、あの激しさを受け止めろというのか。
大げさでも方便でもなく本当に無理だ、と思ったのだが、逸は当然のように枕だかクッションだかを腰に噛ませた。
敬吾は何も言えなくなる。
「で、でも、無理だって俺体かたいっ……」
「かなり柔らかくなりましたよ」
「は?」
「ほら、じゃあ……入れないから、形だけ」
「え、」
言うなり逸は敬吾の足をざっくりと割り開いた。
敬吾が言葉にならない喚きを上げて、思わず顔を背ける。恥ずかしすぎた。
それを見下ろす逸の顔が無表情なのもまた怖かった。
逸は何も言わずに敬吾の膝の裏を制圧したまま腰を寄せる。
開かれた足の付け根に逸の腰がひたりと押し当てられて、敬吾の背中が震える。
その部分の皮膚の薄さに戦慄するようだった。
そのまま逸がゆったりと覆いかぶさる。
逸は気遣って入れないと言ったけれども、それが逆にーーいろんなものがいろんなところに当たってしまっている。
「……ね?ほら大丈夫だった」
「………っいてえって」
「嘘ですよ、足余裕で開いてますもん」
「……………っ」
いつの間にか完全に伸し掛かられていて、笑いを含んだ逸の声は耳のごく近くから聞こえた。
その存在感がもう、熱くて重くてーー敬吾はまともに嘘をつき通せなかった。
その間に。
ぬるりと逸の先端が割り入ってくる。
「っ!!!?」
「っあ……良い」
「馬鹿っ、なにして」
敬吾が抗議を始めるなり、逸は僅かに体を起こして淀みなく全てを押し切った。
仰け反る敬吾の喉元を唇で噛む。
その体の上を這うように、乳首を含み、敬吾のものを腹で擦る。
「…………!っ……………」
「ああ、すげ……敬吾さんの顔が見える」
ーーどうしよう、逃げ場がない。
敬吾はいっそ絶望したような気分だった。
平素のように後ろから、ならば。
いくらでも唇を噛んで、いくらでもシーツに縋って、いくらでも自分の腕に顔を埋められる。
だがこの体勢はーー力を失えば失うほど、何かに頼ろうとすればするほど、体が開いてしまう。逸に向けて。
顔の上に腕を乗せても、こんな風にすぐにどけられてしまう。
体をつなげて、指を絡ませて、唇まで合わせて。
もう自分の境界線がどこなのか分からない。
少なくとも悲しくはないのにぼろぼろと涙がこぼれて敬吾は見ないでくれと願うが、そんな時に限って逸はキスを切り上げる。
「!っ敬吾さん、痛い?」
逸があまりに真摯に心配するので敬吾はこの機を逃した。
痛いと言っておけばせめて体勢くらい変えられたかも知れなかった。
「っもー、わけ……わかんね……」
逸はしばし心配そうに敬吾を見つめた後、慰めるようにキスを落とした。
頬と言わず唇と言わず、届くところならどこにでも。
それもまた何故か敬吾の涙を誘う。
何から何まで今までの行為とは違いすぎて不安になる。
後ろから致されているのなら、それはもう一から十まではじめての経験だから我慢ができた。
それが向きを変えただけで、こんなにもーー耐えがたいほど、見られていることを自覚させられて、逸のことも見なければならず、ようやく慣れた内部の感覚もまた、違うところを抉られて。
増えていく。腹に収めなければならない感情が。
「敬吾さん………」
泣きやまない敬吾の顔の横に腕を立てて、逸は戸惑いながらただその顔を見つめていた。
まず単純にどうして泣いているのかが分からなかった。
痛いわけではないらしい。
あまりにも嫌だというわけでもない……と信じたい。
感じ入ってしまって泣いている?その線は、無い。さすがに。
そうして泣いている敬吾を見るにつけ、もちろん心配でもあるのだがそれ以上に興奮してしまっている自分もまた。
敬吾の中に埋めたそれが、わずかに痛んで感じるほど。
「………!?なん、なん、かおま、でかくなっ」
「ごめんなさい」
空気ごと切り落としでもするように謝ってしまって、逸は敬吾の首すじに顔を埋めた。
敬吾の髪に指を差し込みながら、堪え切れずに腰を揺らす。
「んっ…………!」
「っ……すみません……っ」
(………あれ?)
極力自重しているようだが抑えきれない激しさに翻弄されながらも、敬吾はなぜか胸が軽くなるのを感じていた。
(ああ、そうか)
あの視線がないから。
逸の目は今自分の鎖骨あたりを見ているから、幾分気が楽だ。
やっと頭の中が落ち着いて、改めて息を殺すと、それを察したか逸が顔を上げた。
「敬吾さん?ーー落ち着きました?)
なぜこのタイミングで。
逸は心底不思議に、敬吾は心底嘆かわしく同じことを考える。
その先を考えるより先に敬吾の手が出た。
逸の首を、思い切り抱き寄せる。
勢い良く逸の頭が肩にあたり、お互いそれなりに痛い。
が、敬吾はただ必死で、逸はなんという僥倖かと浮ついていた。
「敬吾さん………っそんなされたら俺……!」
「ん、うんっ?」
「我慢できないですよっ……」
「へ……」
言うなり逸は敬吾の膝を強く畳ませ、思い切り腰を打ち付けた。
「ーーーー!」
その衝撃に敬吾が仰け反る。
それを欠片も気にせずに逸は激しく突き上げた。
今までにない重い衝撃と体全体を揺すぶられる不安さに敬吾は幾度も口を開こうとする。だが、試みるたび違う声が出てしまいそうで怖くて挑戦できずにいた。
その度もれる堪え切れないごくちいさな声と呼吸音とが逸に油を注ぐ。
もう泣いても喚かれても止まれる気がしなかった。
首を抱く腕の力が思いの外強くて若干動きづらくはあるのだが。
その不自由さが余計に激しく感じさせて、敬吾はただ必死に耐えていた。
逸の息遣い、貼り付いた肌の熱さ、髪の感触、音、声。
何もかもが恐いくらいに鮮烈で、中を抉られるたびに目が覚めるような気持ちになる。
いっそ意識が飛んでくれれば楽なのにとすら思っていた。
逸が幾度も呼んでいる。これも耐え難かった、あまりに甘く、自分の名前が違うもののように感じられて。
だがその声が催眠術のように正気を奪って、敬吾は少し安心していた。
これで少しは、もはやどこを触られているのか分からないほど、体中に愛撫を施されてあちこちから湧き上がる快感から少しは逃げられるかもしれない。
喉からだけは力を抜かないよう、それでもぼんやりし始めていると。
耳元で逸がふと笑った。
「…………?」
「……敬吾さん、いきそう?」
「…………? …………へっ!?」
逸がまた、今度は弾けるように笑う。
「へって…… 気付いてないですか?中、すごいきゅんきゅんしてますよ」
「え…………っ」
「ほら、また」
「えっえっ、ちが、何」
「あっはは……だって、俺がもう、良すぎてダメですもん……嘘じゃないですよ」
敬吾の顔がかっと熱くなる。
ひっついていた逸の首筋を急に冷たく感じるほど。
ーー意識してみれば確かに、嘘は言われていない。でも、知らなかったのだ、そんなつもりはなかったーー
敬吾はただ困ってしまってまたも泣きそうになる。
その束の間の沈黙に、さっきまで微笑ましげに笑っていた逸が、色気とはこれかと思うような吐息を漏らした。
「……ああ、ほら……なんだろ、切なそう」
「………!?」
「敬吾さん……」
逸の指がそっと腰を撫でて、敬吾が猫のようにしなる。
さっきまで狂ったように触れていた手がいつの間にか静まっていて、その静寂の中ごく柔らかく触れられたものだからすっかり過敏になってしまっている。
一気に敬吾の呼吸が上がった。
「……敬吾さん」
「な、んだよ」
「今日後ろでいってみましょうか?」
「…………へ?」
「後ろで。……いけんじゃねえかなこれ」
「は?なに?何言ってんの……?」
敬吾は心底訝しげに眉根を寄せるが、逸は名探偵もかくやという顔をしていた。
「いや……俺加減してたんですよ、敬吾さん良すぎるの嫌いだし泣いちゃうから」
「うっ、うるさい……」
「でもなんか……」
「いや、待てって話がつながんない……何言ってんの?」
「……?ーーああ、」
逸はそこでやっと思い至った。
敬吾にそもそも知識がないのか。
「そっか、すみません。えーと、だから……」
逸の声が急に遠慮気味になる。
「……こっちは触んないで、イッてみませんか?という」
逸の指が敬吾の中心に控えめに触れた。
それでもまだ敬吾は分からなかった。
あまりにも分からなくて、触れられた感覚も鈍いほど。
「………?そんなのあんの?つーか、何の意味があんの」
「意味って……またそんな冷たいことを……」
「いやそうじゃなくて、単純に不思議なんだよ……なんつーか、お前メインだと思ってた、っていうか……?」
「んー……?あー……」
敬吾はうまく説明できなかったと思っていたが、逸は敬吾が予想するよりも大分確実にその意味を捉えていた。
やや時間はかかったが。
「……なるほど。いや、確かに今のとこ気持ちいいのはほとんど俺なんですけども」
探り探りそこまで口にしたあたりで、逸の脳裏に流れ星のような閃きが走った。
「ーーああ!だから……そっか、」
「?なに」
「いや、あのね敬吾さん……」
ぐちりと嫌な音を立てて腰を揺らされ、不意をつかれた敬吾が鋭く声を上げる。
その恥ずかしさに逸の首をまた強く抱き込んでーー逸が堪え切れない笑みを漏らした。
「……敬吾さんもここで気持ちよくなっていいんですよ」
「………!?何言っ」
「良がったらエッチな子みたいではずかしいなあって思ってたんですか?」
敬吾が呆然と声と表情を失った。
「可愛い………」
首すじに吸い付かれ、腰から体全体を揺すぶられて敬吾の顔が泣いたように歪む。
今の今まで世界の音響設備が壊れてでもいたのかと思うほど、あまりに突然にあの粘着質で激しい音が再開する。
「………っ!?やめ、 ………っ!!」
「やめません……今日は」
「っ…………馬鹿、っも……っ」
「ここ、ね?気持ちいいのは変なことじゃないですよ」
「しなくていい……っ後ろでいき、たいとか、言ってない、だろ俺!!」
「じゃあ俺の願望ってことでいいですよ、敬吾さんのせいじゃないです、変なとこで感じるようになっちゃったのも、後ろでいけそうなのも全部俺が悪いです」
「っ馬鹿にして、ん、のかっ」
「してないですよ、事実ですし」
「っ、……っ……!何が、したいんだお前っ………っ」
「またそんな愚問を」
気が触れそうだった。
暗闇に火でももたらすように明確に、突如として逸が放って寄越した真実に、目が眩む。
認めなければきっと我慢できたのに。
力づくで自覚させられたから。溢れそうになってしまっている。
「敬吾さんを………」
藻掻くように呼吸をするばかりでもう口を開けない敬吾に、逸が追い打ちのように二の句を継ぐ。
「……俺のでいかせたいだけです、まさか本当に分かんなくて聞いたわけじゃないですよね」
ーーああ、もう……。
ぼんやりとそうとだけ考えて、敬吾はただ逸の首にしがみついた。
逸しかもう、頼れるものがない。
この荒波のような雪崩のような快感の中で。
その混沌の中に、激しく火花が散る。
その先はもう覚えていなかった。
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