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悪魔の証明 8
待ち合わせ場所はかなりざっくりとした指定だったが、後藤はすぐに見つかった。
付近で何かイベントでもあったのか珍しいほどの人混みだが、ひょっこりと頭ひとつ飛び出している。
特徴的なくせ毛も、背後からでも主張が強い。
躊躇うことなく敬吾が呼びかけるとやはり振り返ったのは後藤だった。
「おう」
「おー」
軽く手を上げた後藤は、記憶の中と何ら変わらないーーやや丸くなった気はするーー表情で、敬吾はなぜかほっとした。
(絶対あいつのせいだ……)
10年来の知り合いを疑わしい目で見るなど御免だった。
相手にだって失礼な話である。
脳裏にちらつく心底不安そうな逸の表情をかき消して、敬吾はそこに拳骨でも食らわせてやりたい気分だった。
少々やけ気味に気持ちを軽くし、敬吾が口を開く。
「どこで飲むよ」
「俺今日刺し身食いたいんだよなあ」
「あ、いいな。……そこにするか」
「ん」
ちょうど視界に入った、海鮮料理を出すらしい居酒屋に入り乾杯をする。
外の喧騒の割にはさほど騒がしくなく、広くて雰囲気も良い店だった。
「んで、どうした突然」
「ん?敬吾くんと飲みたくなっちゃダメすか?」
「いやいや違うけど」
既に中ジョッキを半ば空にしている後藤が苦笑する。
「俺最近こっち引っ越してきたんだよ。したら猿が副会長近くでバイトしてるぞっつって」
「猿……あー、猿沢君?だっけ」
「そうそう、あのチビな」
「全然知らなかった。声かければいーのに……まあでも高校んときも喋ったことなかったか」
「ないだろなー、んでまあ懐かしいなーと思って」
「へー」
高校時代のことを思い返しつつ、敬吾は刺し身をつまんだ。
「しかしまあ、荒れてたもんな」
「ご心配をお掛けしまして」
「ほんっとだよ」
「いやほんとに。散々世話になったもんなー。受験勉強とか敬吾いなかったらほんっとヤバかった」
「代入ってナニ状態だったもんな」
当時のことを思い出して、敬吾は苦笑する。
「おかげで敬吾は体壊して一浪するしもー俺なんて詫ていいやら」
「いや普通にどっかでインフルもらっただけだから。親父さんまで謝りに来てたけどほんと関係ないって」
「え!?親父行ったの!?」
「えっ知らなかったのか」
「うん」
ぽかりと口を開けた後、後藤は呆れたように、しかしあどけなく笑う。
敬吾も微笑ましい気持ちになった。
「仲良いんじゃんか」
「いや、うーん………。まあそれも敬吾くんのおかげですよね」
「それはおかしいだろ……」
敬吾が苦笑すると、後藤は豪快にジョッキを煽り切った。
「ーーや、でもほんとにそう思ってんだよ。そもそも俺が転校してきた時話しかけてくれたのも敬吾だったろ」
「そうだったか?」
「そーだよ。あの頃は俺も可愛い子でねぇ……」
後藤が転校してきたのは小学校のーー中学年の頃だったか。
あの頃の後藤は確かに、背丈も性格もごくごく普通の子供だった。
「もーね、感謝しきり」
「いや別に昔の話だしそんな恩に着なくてもーー……あっもしかしてあれか!?そのせいで俺裏番とか言われてたのか!!?」
「えっそうなの?」
「そうだよ!なんかお前を止めれんのが俺だけだみたいな噂になってて……超迷惑だったんだからな!!」
「えー、すんません」
「そこは本気で謝れ!」
「今日おごるね〜。すいませーん、注文〜瓶ビールと唐揚げと春巻きとー、兄貴あと何食いたいっすか」
「ほんとやめろ!ゲソ焼きとホタテフライで」
後藤がからからと笑い、さっそく運ばれてきたビールを敬吾に注いだ。
「まあ敬吾に頭上がんないのは本当だよな」
「そうでもねーだろ、俺何回喧嘩とかやめろっつった?一回も聞かなかったろ」
「んー、あの頃はなー……。もう頭おかしかったから」
「…………」
「敬吾がいなかったら今でもあのまんまだったと思う」
呆れたように笑いながら後藤が目を伏せる。
敬吾は、「あのまんま」で済んでいたならまだマシだろうと思っていた。
「……まあ、そーなんなくて良かったな」
「ほんとにな」
いつの間に頼んでいたのか冷酒に口をつける後藤に、敬吾はやや驚いた顔をする。
そもそも会うのが数年ぶりなこともあって、飲んでいるところを見たのは初めてだ。かなり強いらしい飲みっぷりである。
後藤の方は、日本酒によく似合う神妙な表情でまた口を開いた。
「ーーで、今日はほんとに礼言おうと思ったんだよ。色々ありがとな」
「………………」
真っ直ぐに見つめられ、敬吾は思わず息を呑んだ。
学生時代の名残なのか、後藤の目の据わりは丸くはなったが良いとは言えない。
それが、なんの含みもなく真摯な視線を寄越すと不思議な迫力があった。
「ーーや、いえいえ」
敬吾が半ば呆けてそう言うと、後藤は可笑しそうに破顔する。
「あともう一個。すげー聞きたいことあんだけど」
「ん、おう」
「敬吾がバイトしてる店にさ、若い子いるだろ背の高い」
「どっちも俺より高いんだけど……。男?女?」
「男」
「ああうん」
「あれ彼氏?」
「んぶっ」
ビールの泡が、鼻の奥で弾けている。
その強烈な痛みに、敬吾は咽に咽た。
「おぉ……ごめんごめん」
「げほ……ごっほっ、う……何言ってんだお前……」
「あれ?違った?」
「ああ喉いてえっ……本気で聞いてんのか?冗談言ってんのか!?」
どちらにしろ笑えない。
胸をさすりさすり敬吾が後藤を睨みつけるも、当の後藤はきょとんとその視線をいなした。
「いや本気で」
「なわけねえだろ、なんだそれ?」
「や、こっち越してきてから一回見かけたんだよ、お前とその子が一緒に歩いてるとこ。んでまあ良い雰囲気だからさー、もしかしてと思って」
「違うっつうの、びっくりした…………普通に後輩だ」
「へー…………」
水を飲みながらもまだ咽ている敬吾を、冷酒をなめながら後藤は観察でもするように見つめている。
やっと敬吾の呼吸が落ち着いて改めて後藤を見やるともう敬吾の方は見ておらず、何事か神妙に考えているようだった。
「変なこと言うなよ……、死ぬかと思ったわ」
「ん?ああ、ごめんごめん」
内心の冷や汗を気取られないよう敬吾は箸を進めた。
下手を踏む訳にはいかない。
「じゃあ彼女とかは?いんの」
「いないいない」
「へえ」
聞いておいて興味もなさそうに、後藤は手酌で冷酒を注いだ。が、空だった。
「なんか飲む?」
「俺一旦ウーロン茶で。お前飲むなー」
「んん、割りとザル」
追加の注文を終えると、改めたように後藤が敬吾に向き直る。
「じゃあ、敬吾さ……」
「ん?」
聞き慣れないような抑えられた声音に、敬吾は少しだけ耳を傾けた。
「俺と付き合わない?」
「ーーーーは、」
「焼酎水割りとウーロン茶、お待たせしましたー!」
「あ、どうも」
掠れた後藤の声も敬吾の困惑も、一時威勢の良い訪いがさらっていってしまった。
それが過ぎ去って後藤が手元にウーロン茶を寄越してくれても敬吾はまだ放心している。
後藤が何も言わずにグラスに口をつけたので、敬吾は仕方なく笑った。
「……何言ってんだよ、冗談か?きつすぎ……」
「冗談じゃねえけど?」
「………………」
後藤の視線がまたまっすぐに敬吾の目を射抜いている。
それに耐えきれずに目をそらし、敬吾はどうにか真正面からでない言葉の返し方を探す。
「……いやいやいや、お前普通に彼女いただろ、いっぱい」
「俺両刀だよ。ホモ寄りだけど」
「ーーーーーー」
「どう?」
「……どうって…………」
何も応えられなかった。
この旧友は一体何を言い出しているのだろう。
自分が両性愛者だとしてもこちらは違うーー厳密には違うとは言い切れないがーー
なのにどうしてこうも躊躇いなくそんなことを言うのだろう。
後藤の感情から逃げるように理詰めで考えていると、逸の声が思い出された。
ーーこちらがどうあれ、好かれることはある。
それを、まともに取り合いもせずにあり得ないと一蹴してしまったことも。
「…………………」
何か言わなくてはと思うのだがどうして良いのか分からない。
ただ断ればいいだけのはずだがそれも上手にできなかった。
どうしても逸の顔がちらついて、完全に男など対象外だという顔をしたいのにそうできない。
真剣に困り果てている敬吾を見ながら、後藤はグラスを空にする。
「出るか?」
不躾でない程度にだけ表情を整えて、敬吾は頷いた。
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