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悪魔の証明 20
『ーーあい』
眠っていたのか、後藤の声はやすりでも掛けたようにささくれだっていた。
敬吾が名乗ると、一瞬の間の後気を取り直したようにおうと言った。が、やはり声は掠れている。
『あーー……………。………この間は悪かった。どーかしてた…………』
呻くようなその声は確かに心苦しそうで、敬吾の眉間から力が抜けた。
浅くなった皺がまだ若干機嫌悪そうに寄ったり伸びたりしている。
「…………うん。トチ狂いすぎだ」
『だよなあ、ほんとすんませんした』
「………………」
『許してくれとは言えないけども……もうちょっかい出す気はないからさ』
「んん」
『まあお前がほんとにあの子のこと好きだって言うならだけど』
「ああ?」
敬吾の眉間がまた深くひび割れる。
後藤は無表情だった。
唇の端に煙草を咥えて、敬吾が何も言わないのを聞き届けると火を点ける。
ふっと煙を吐き出す音が、電話越しだと妙に腹立たしく聞こえた。
『俺全っ然望み無い?』
敬吾はこめかみを抑えた。
同じ問答を繰り返されるのも、白々しい後藤の口調にも腹が立つ。
「……お前何回もなんなんだよ。ほんっとキャラ崩壊してんな」
『してねえよ。お前が知らなかっただけだろ』
こめかみを抑えたままに、苦々しく閉じられていた瞼を敬吾はじわりと開いた。
ーーこれから、何を聞くことになるのだろう。
『お前のこと抱きたいと思ってる俺のことなんか知らなかったろ?』
「ーーーーーーっ………」
『後腐れなかったのは、どうでもいいやつばっか相手にしてたからだ。でも今は……………隙があるなら腕ねじ込んででも引きずり出したい気分だな』
「…………………。」
敬吾は軽い頭痛を覚えた。
腹立たしくごりごりとこめかみを押しながら強く目を瞑る。
「ーー残念ながら望みは全く無い。」
『………………』
「……………ありそうに見えたか?」
しばしの沈黙の後、またふっと煙の音がした。
敬吾は少々切なげに目を開く。
『……………半々だな。二人でいるとこ見た時は、ああこりゃできてんなって思ったけど………別々に見たらあの子の片想いみてえだった』
「そうか」
『……………』
「ーーまあ、俺も隠してるからな。でも本当に、無い」
『惚れてんの?』
「……………んん」
曖昧に返しながら、敬吾は考えていた。
惚れているか、となると……どうなのだろう。
どうも厳密には違うような気もするのだが。
「ーーまあ確かに最初は犬とか弟とか思ってたけどな。」
『うん』
「……けどあいつ以外とどうこうなる気が全然ねえんだよ。お前に何言われても、ふらつく気がしない」
『…………………………………』
「……………………」
長い沈黙の果てに、後藤が咳き込むような大爆笑をした。
敬吾は思わず電話を耳から離す。
『なんっだよ!ベタ惚れじゃねえか!!!あーーー苦しい………………!』
「……………そうか?」
『あっはっはっ、腹いてえ…………!』
後藤の呼吸が落ち着くのを、敬吾は無表情で待っていた。
「どんだけ笑ってんだよ………」
『やーーほんと、ここ三年くらいで一番笑ったわ』
「あーそう」
『ふーーー…………』
「んで?まだ何か言うことあるか?」
さすがに不機嫌そうになった敬吾の声音に、後藤はふと薄く笑う。
耳に馴染んだ懐かしい声だった。
『…………いや。こりゃほんとに望みねえな』
「…………………そう言ってるだろ」
『うん……………』
後藤が小さく笑い、少しの間無言になる。
その微かな風のような音が、敬吾の胸を妙に締め付けた。
後藤が短くなった煙草を消す。
『…………諦めたかったんだよ。ありがとな』
「ーーーーーー」
『じゃあな。あの子にもよろしくー』
いつもの飄々とした態度と声で、後藤はさっさと通話を切った。
端末をぼんやりと眺めながら、敬吾は少し泣きたい気持ちになっていた。
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