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兎黒と虎之助

   酒は飲んでも飲まれるな。  そういう言葉はよく聞く。  社会人になって五年目。歳も四捨五入すれば三十路になる。だけどまだまだなところもあったりするから年相応な実感がない。  こういうのが自覚足らずなのだろうか。  しかし仕事面も含めればそう甘えていられない。周りからも両親からも『結婚はどうだ?』『相手はもちろんいるんでしょ?』――なんという定型文。  うるさい。俺の勝手だ。……こう、思うあたり結局まだまだ子供な俺なんだ。  だけどちゃんと相手はいる。一緒にも暮らしている。家事全般は任せてある。が、期待を裏切ってしまう。そんな相手だ。  だって男なんだもん。 「ん、」  真っ暗だった目の前が徐々に明るくなり、寝起きの目でも痛くない程度の薄暗さを視界に取り入れた。なんだ?  歪んで見える。なにしてたっけ……。  ボーッと天井らしき天井を見ながら考えてると耳に届いた微かな水音が聞こえた。完全に覚めてない目を擦りながら周りを見てみると、全く見覚えのない周辺に戸惑った。  バッ、と勢いよく起き上がる。  なんだ、なんなんだここは。あれ、俺って本当になにしてたっけ。つーか……え、なんで俺は裸なの。  ベッドサイドにあった時計に目を向ければ日付が変わる五分前。そしてさらに視界に入ったのは、扉からベッドまで伝って脱ぎ散らかしてある、服。  俺のスーツだ。俺のジャケット。俺のネクタイ。俺のシャツにズボン。俺の靴下。  俺の、下着。  その隣に同じく伝って見えたのは、全部女物の服だった。ストッキングだった。  下着、だった。 「え、なになになに……あっ」  焦って焦って焦りまくって、今日が会社の飲み会だったことを思い出す。  恋人であって一緒に暮らしている男の、虎之助(とらのすけ)から――あまり飲みすぎるなよ?――なんて言われてたのに。あまりにもいやらしく置いてあったゴミ箱の中身を覗いて――……急いで脱ぎ散らかしてあった服を身に纏う。  まずは靴下。そして下着。掴むようにズボンも穿いて、シャツを着る。くそ、ボタンが……っ。  そんな慌てにまた耳に届いた音は、ガチャンッという音。 「あれ、兎黒(とぐろ)さん?」 「……っ」  恐る恐る目を向ければ、そこにいたのは真っ白なバスタオル一枚で体を隠した受付嬢の子だった。笑顔の似合う子。会社の、少なくとも俺の課のマドンナ的な存在な子。  今も少し恥のかかった笑みで俺を見ている。  俺の格好がそんなにおかしいだろうか……虎之助が選んでくれた白地黒線のストライプ。この方がシュッとしてて、脱いだらすごい男として見られるかも、って。  でも脱ぐ姿は俺の前だけな、って。虎之助が言ってた。俺に向かって、カッコよくありながらも可愛気が見え隠れしていたその笑顔で。  俺の目からしたらこのマドンナ的な存在の受付嬢の子も負かすような、愛しい顔で。言ってた。  言ってた。 「兎黒さん。誘ってくれて、ありがとうございます」 「……」  近付いて来る女。 「こんな場で、雰囲気で、とても信じてもらえるとは思いませんが、」 「……」  あ。虎之助と同じ匂いだ。香水?……なんだ? 「兎黒さん、私に好きって言ってくれて嬉しかったです……」  あ。 「私も実は、「違う!違うんだっ!」  わかっていたこと。  致してしまったらしい。  わかっていたこと。けど、言い訳になるが、この場でこの雰囲気でとても信じてもらえるとは思えない。  けど、けど! 「間違えた!」  そう叫んで、ジャケット近くに投げ捨てられてた可哀想な俺の鞄から財布を取り出し、二万円を彼女に押し付けてさっさと外へ出て行った。  その時にはもう日付が変わっていた。  情けない。怖気付いた。走ってる足が震えている。ここで神が俺にチャンスを与えたかのように、タクシーの車を視界に入れてくれた。  勢いで手を上げて、止まってもらい、そのまま住んでいる住所とマンション名を正確に伝えては震える体を手で擦る。  タクシーが走り通る道はまさしくラブホテル街で目が痛くなるほどの煌びやかだった。ここは歌舞伎町かよ。風俗店もある。毒々しいネオンに、思わずまぶたを閉じた。  深夜料金でやや高めだった支払いにはやくも財布が寒くなるころ、オートロック式のドアで立ち止まってしまった。まだここを抜けて、エレベーターに乗っては15階までジッとするのに、立ち止まってしまった。  ダメだ。震えが止まらん。27にもなって、これは……いや、でもこの罪は重すぎる……。  だって俺、虎之助がすげぇ好きなんだ。  風呂にも入ってないこの体で、ただいまと言わなきゃいけないとかツラすぎる。いやいや、もしかしたら寝てるかもしれない。  もう一度、時間を確かめようとジャケットのポケットからスマホを取り出してみれば0時40分過ぎ。  うん、きっと寝ているに違いない。だってだって、いつもの飲み会終わりに帰れば普通に寝ている虎之助に悲しい気持ちを抱きながらシャンプーの香りと虎之助の匂いが漂う髪の毛にキスをするんだから。  そんな飲み会の時間も今みたいな深夜だ。  寝ている。  今日は寝室に行くんじゃなくて、風呂直行だ。 「おー、おかえりー。とぐろー」 「たっ……!ただいま……」  なぜだ。 「ふははっ、顔は少し赤めだが制御してきたみたいだな」 「う、ん……控え目にしたんだけど、さ」  なぜ、こんな時は起きてるんだ。 「んんん、けどくっせーのは変わりねぇからはやく風呂に入っちまえ」  洗面所から出てきた虎之助は起きていた。たぶん歯でも磨いていたんだろう。そしてこれから寝室……くそ、もっとエントランスにいればよかった。  どんな勇気がわいてどうどうと帰ってきてるんだよ俺。バカかよ。バカだよ。……記憶のない、性行為を、しちゃってさ……。  どうしようどーしよう。どうしたらいいんだ。  鼻歌まじりでリビングに向かう虎之助の背中を見ながら、なるべくバレないように靴を脱いでネクタイを緩める。鞄は玄関先に置きっぱなしにしてすぐに風呂へ、って――。 「うあ……っ!」 「ふふふーん」  突然、虎之助に胸ぐらを掴まれた。近過ぎる距離に、やっぱりあの受付嬢の子と虎之助の匂いは同じだと気が付く。  香水じゃない。使っているシャンプーの匂いだ。  俺と虎之助は使っているシャンプーが違うから、わけて使っていたりする。  たまに寂しい時は虎之助のシャンプーで洗ったり、逆に虎之助が俺のシャンプーで洗ったりして、小さな満足を得ているんだ。……けど、今回ので本当に失敗した……まさかあのシャンプー、女まで使えるとは。 「兎黒さーん、今回のは酒を控え目にしたわりには暴れたのかなー?」 「え……えッ?」 「シャーーーーツ、」  そう言って腕をジャケットのなかに忍ばせつつ中に閉まっていたはずのシャツ裾を、ペラペラ波を打たせてきた。 「誰かに引っ張られた?暑かったか?酒、飲んでたもんな」 「ん、んん……後輩が、ほら、犬みたいなアイツ!あいつ、飲むと構ってちゃんになるみたいで、それで餌食になっ、──おっわ……!」 「へぇ?」 「……」  今度は目にも止まらぬはやさと技で風呂場に突き飛ばされてしまった。いつドアを開けたのか、そんなの気にする暇などない。ないんだ。  とにかく心臓がバクバクしてて、酒のせいだと思いたい妄想に、俺は現実逃避をしかけてる。バレ、てしまった、のか……? 「なあ、兎黒。お前ほんとーにバカ?そんなんでよくチームのリーダーなんてやってられるな」 「……え、っと、」  会社内で、それぞれのチームにわかれて仕事を進めている。そのチームは仕事内容によって毎回変わるシステム。そこのチームそれぞれには班をまとめるリーダーが付く。  俺の課は、俺を含めて6人だ。出世の近道。この6人で協力しながらも出世にかけて頑張る毎日だ。  だけど相談などは吐き合ってるからギスギスなんてしていない。  仲良しだ。 「今日の飲み会にはその後輩が来ないから楽だ、って朝言ってたよな?あれ、嘘だったのか」 「……」  ここでまさかのミス。ダウト見破りゲームなんてやったら俺は即借金塗れになるだろうよ。いーや、そうじゃない。 「きゅ、急に来ることになっ――「まぁ、そこはいいんだ」――んぶッ」  次はシャワーで冷水を顔面から遠慮なくぶっかけられた。今も続いている。おかげで完全に酔いが醒めてしまった。  その方がいいんだけど。 「はッ、とら……!」 「……やっぱり、ありやがる」 「……っ」  あたる水が苦しくて、虎之助がなにか言っている。言いながら、俺の首元を触っている。虎之助の顔を見たいのにシャワーが邪魔して見れない。  俺が思えるようなことじゃないが、さっきの事がショック過ぎてはやくいろいろなところを洗いたいんだ。そしておきよめかのように虎之助にくっついて、それでそれで、 「てめえ、女と寝たろ」 「……なっ、んで、」  顔面にくらっている水なんて気にもせずに目の前にいる虎之助を見る。  目が痛い。物理的に目が。 「そこは嘘吐かずに反応したことについて褒めようか?」 「とら、のっ」 「……浮気かー……」  違うんだって。違う。俺の話を聞いてくれ。言い訳にしか聞こえない話を、俺の話を聞いてほしい。俺の気持ちだけでも聞いてほしい。  一生懸命、首を横に振って、姿だけでも否定しようとしてみるが虎之助には伝わらず、だんだんと温かくなるシャワーに涙が出そうになった。 「どうだ?俺相手でも突っ込む立場で、女とヤっても当たり前に突っ込む立場のお前は、俺よりさぞ気持ち良くて、楽で、柔らかかったろう」 「ち、が……聞いてくれ、」 「お前は両刀使いになった。このチンコで、男の穴も、女の穴も、満足いく快楽に落ちるだろ……」  虎之助。トラ、とら? 「バカでも、顔は良い兎黒だ」 「……はあ、ん、とらのすけ……」  気付けばシャワーは顔より下に向けられてて、ベルトも外されていた。今の状況に怯えている俺はアソコも表現されてて、萎えに萎えまくっていた。  虎之助に触られても硬くならないソレが、下着から顔を出していることも、いつの間にかだった。 「この先の人生に花を咲かすかもしれない、兎黒だ……」 「……、」  いったい、虎之助はなにを言っているんだ。  この先の人生に花を咲かす、かもしれない……?  なんだかすごく嫌な予感がする。あってはいけないような、だけど今の俺にはそんな権利がなさ過ぎて、再び情けなさが出てくる。  でも俺が想像している先には、いきたくない。酒のせいだと言っても、女とヤったのは、事実。 「ひっ――……!」 「だが、俺はどうすればいいと思う?」 「と、とら、さんッ、あの……!」  思わず敬語。必死になって繋ぎ止めようとした関係。  この先に――別れ話に――転がらないよう、ブロックしようと、したのに……虎之助は切れの良い剃刀を俺のモノにヒタッ、と付けてきた。 「俺はさ、男としてのプライドを捨てたわけじゃん。兎黒が好きで、好きだから、俺に突っ込みたいと言った兎黒に俺のケツをあげたんじゃん。なのにさー?」 「……すっ、ん……くっ、」 「ははっ、なんでお前が泣くの?」  虎之助の笑いが風呂場に響く。  ボディソープを1プッシュした動きが見えた直後にヒンヤリと冷たさが股間に伝わってきた。片手に凶器といえるようなものを持ちながらも塗りたくってくれているもう片方の手は優しくて、虎之助が言う通りバカな俺は、そこで勃起しそうだった。  なんでだ。 「硬くなるなよ」 「と、ら……とらぁ、違うんだ……ぅぅッ」 「決め手に半勃ちしやがって」  意識のし過ぎか、さらに冷たく感じる剃刀の刃に大きくビクつく俺。  虎之助が、動くとホンモノ切っちゃうぞ、なんて脅してきてさらに怖くなってきた。  チンコを切られるのも、関係を切られるのも。いやだ。 「……なのにさ、お前は、やっぱり女の方に、行くんだなァ……」 「うっ……ぁ」  シャワーの音と、恐怖に近いジョリジョリ音。 「これ、飲め」 「んぁ、ん……ごめ、なさい……っ」  口のなかになにか入れられて、それを素直に含ませて飲み込んだ。目の前が怖過ぎてもう両手は目元を塞いでいる。真っ暗。  ちなみに飲まされたものは、なんなのかわからない。味はなかった。形はかろうじて、四角だろうと思えたもの。だけど本当は違うかもしれない。丸だったかも。  でもそんなのはどうでもよくて、やっぱり虎之助と離れたくない俺は、何度も謝った。 「おーわった。兎黒」  気が付けば、手を振る虎之助。  肩に手を置いて揉む仕草をしている。俺が揉んでやるよ?  いつも洗濯に飯に掃除にもろもろ大変そうだもんな。むしろ揉ませてほしい。 「兎黒くん、キミは浮気をしましたか?」  今度はその手で俺の頭をわし掴みをしながら顔を上げさせられた。  なんの事かわからず、しかもあり得ない質問に眠気が晴れないなか俺は答える。 「して、ない……するわけ、ない」 「だよなぁ?」  嬉しそうな虎之助の顔に、俺まで嬉しくなる。  そういえばなんで服着たまま風呂場なんかにいるんだっけ。一緒に入ってたのか?――いや、いいや。やめよう。 「あれ?……おぉ、俺のツルツル……」 「だろー?兎黒のかーわい」 (片方忘れて、片方削除、離れたくないだけだ) *END*  

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