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炎天と男前

 ジワジワと蝉の鳴く声が忙しなく、太陽は生きとし生けるものを焼き尽くす勢いでギラギラ輝いている。 ――夏だ。 「……くそ、あっちぃ……」  誰にともなく呟いて、手元の缶コーヒーを煽る。  黒いスーツの上着は脱いでいるものの、照りつける日差しのお陰でワイシャツが肌に張り付いて気持ちが悪い。  木製のベンチもすっかり熱を持っていて、座っているのもしんどいくらいだ。  少し遅くなった昼休憩。気分転換にと事務所の屋上に出たのが間違いだった。 「……間違いだった……」  はぁ、とため息と共に心の声が思わず口をついて出る。  無意識のうちに左の親指で薬指の付け根を擦り、そうしてまた、ため息が漏れた。  気分が乗らない時、イライラした時、手持ち無沙汰な時。とにかく気持ちが動揺した時に、薬指の指輪を親指で弄るのが癖になっていた。  が、そこにはめられていた指輪は今はもう無い。  正確に言えば、昨日から無い。 「他人の結婚の事ばかりで、私たちの結婚生活については何も考えていないじゃない」  そう言われ、緑色で書かれた届け出を突きつけられたのが三週間前。  そこからたっぷり話し合いを重ね、これはもう修復のしようが無いと悟ったのが五日前。  慰謝料代わりに売っぱらうからと言われて届け出と一緒に指輪を渡し、一人暮らしになったのが昨日。  ことの流れを上司に報告して「代わりの指輪をはめておくように」と渋い顔をされたのがついさっきのことだ。  代わりの指輪って何だよ。くそ。  ……いや。解っては、いる。  何せ仕事が仕事…… 「ブライダルプランナーが離婚とか、担当のお客様にバレたらタイヘンっすねぇ」 「ぶふっ!」  唐突に背後から耳元で囁かれ、ビクッと身体が跳ねて口に含んでいたコーヒーを盛大に吹き出した。  ブライダルプランナー。それが俺の仕事だ。  読んで字の如く、主に結婚式のプランニングを担う職業である。  現在、打ち合わせ継続中の担当案件を複数抱えている。今までしていた薬指の指輪が無くなっているなんて、これから結婚式をしようという新郎新婦に縁起の悪い勘ぐりをさせたくない。  もしかしたら、今までのクチコミで俺を指名してくれる新たな顧客が現れるかもしれないし、有難いことに実際、今の顧客にも友人からの紹介でという方が居る。  そんな時に、「あの人、未婚なの?」「えー? ウチの時は結婚指輪してたけど」「じゃあもしかして、離婚……?」なんて会話をさせる訳にはいないのだ。  故に、『代わりの指輪』なのである。 ――なのだが。 「……夏木、お前なぁ……」  口元を拭いながら恨めしい表情を向けると、声の主は整った顔をくしゃりと崩して人懐こい笑顔を浮かべた。 「つか、何で知ってんだよ。情報早すぎだろ」 「女性が多い職場をナメてっと痛い目見るっすよ、先輩」  俺と同じ缶コーヒーを開けながら、にしし、とイタズラっぽく笑うこの男は、夏木紡(なつきつむぐ)という入社3年目の後輩社員だ。  夏の木を紡ぐ。その名前は夏にぴったりで、しかしこのギラついた暑さよりも、そよ風の吹く高原の方がしっくりとくる。  炎天下で着こなす黒いスーツが、どういう訳か涼しく見えたりするのだから大したもんだ。  それはコイツの凛と整った顔立ちと高身長のせいなのか、それとも爽やかに振りまかれる愛想の賜物なのか。  いや両方か、とひとりごちて、天は二物を与えずなんて嘘っぱちだと改めて思う。 「独り言多いと、一人暮らしでテレビと会話するようになっちゃいますよ」  耳ざとく俺の独り言を拾い上げて、夏木がニヨリと嫌味に笑う。『一人暮らし』をやたらと強調してくるあたり、よほど嫌味だ。  この男、お客様や他の社員には礼儀正しく、言葉遣いもそれは綺麗なものだが、俺にだけはチャラい大学生を型押ししたみたいなフランクさで接してくる。 「懐かれてんのよ」と豪快に笑ったのは同期の女子社員だが、俺はどうにもナメられている気がしてならない。  十も年下の後輩にナメられていいのか、俺。 「誰だ。誰が発信源だ?」  じっとりとした視線を投げつつ噂の出処を吐かせようとすると、夏木は俺の横に腰を下ろしながら、やれやれと言わんばかりに首を振った。 「いやいや。だって先輩、ちょっと前からあからさまに元気ないし」 「……そうだったか?」 「そうですよ! そしたら今日、指輪してないんすもん。分かりやすすぎっすよ」  なるほど。どうやら発信源は他でもない自分自身だったらしい。  男の夏木が気付くくらいだ。感の鋭い女子社員たちはまるっと全部お見通しだったに違いない。 「男が気付くくらいだから女性陣に気付かれてないはずないよなぁ、とか思ってるでしょ」 「エスパーかよ! 怖っ!」  心の内をそのままズバリ言い当てられ、思わずツッコミを入れる。  人の心の機微を敏感に感じ取っているのか、夏木と話していると度々こういうことがある。  それが結果的に『先回りのプランニングをする』という事に繋がっているようで、顧客からの評判はすこぶる高い。  俺には無い部分なのでそこは素直に凄いと思うし、何なら少し悔しくもある。 「先輩、ほんとそういうとこアレっすよねぇ」 「どういうとこがナンだっつーんだ」 「もうちょっと人の『雰囲気』気にした方がいっすよ。だから奥さんにも逃げられたんじゃないすかー?」 「あのなぁ……」  と、反論しようとしたものの、「貴方、私が髪を切ったのもいつもと違う料理を出したのも、全く気付かなかったわね」という嫁……元嫁の言葉が思い出され、ぐうの音も出ず缶コーヒーに逃げる。  すっかり温くなってしまったコーヒーは、あまったるいだけで非常に美味しくなかった。 「お客様にはできるのに、どーしてなんすかね?」 「んなモン俺が聞きてぇわ」  言って、また砂糖の塊みたいなコーヒーを一口。 「先輩、ザンネンっす」 「……」  しばしの沈黙。  さほど涼しくもない風に乗って聞こえてきたオルガンの賛美歌が、蝉の声と交じる。  事務所から少し離れた場所に建てられている教会では、式の真っ最中である。  ちなみに今日の俺は担当の打ち合わせもなく、式のスタッフにも配置されていないため、事務書類をひたすらこなすのが仕事だ。  お離婚したての身にはちょうど良い。今日ばかりは笑顔を作るのも少々精神的にクルものがある。 「ま、オレならそんな先輩でも一生添い遂げる自信あるっすけど」  内心でやさぐれていると、夏木が軽口を叩いて俺の頭をくしゃくしゃと撫で回してきた。 「そりゃどうもだよ。あーあー、後輩に曷入れられた挙句に励まされるとは」  頭に乗せられた夏木の手を退けつつ、背もたれに両腕を預けて凶悪な太陽を仰ぎ見る。焦げる、という表現は決して大袈裟なものではなく、じりじりと音がしてもおかしくない程だ。  諸々のショックと暑さで軽い目眩を感じていると、ふいに頬に冷たいものが触れた。 「冗談じゃないすよ」  首だけ動かして横を見ると、夏木がまだ冷たい缶コーヒーを俺の頰に当てている。  へらりと笑ってはいるものの、その瞳は表情とは真逆に真剣そのもので、俺はただただ面食らって固まった。 「……は?」  冗談だろ、という言葉は先回りですでに否定されている。  なんと答えて良いか分からず、間抜けな声が漏れた。 「ほらな。先輩、やっぱり全然気付いてない」 「いや、何が……」 「だーかーらー!」  苛ついたようにカツンとベンチに缶を置いて、夏木がすっくと立ち上がる。それから俺の前に立って、上から覆い被さるようにベンチの背もたれに手を着いた。 「オレ、先輩のこと好きっす。狙ってます」 「あ……え?」  これは、何だ。狙ってるってどういうことだ、つーか好きってなんだ。  思考が追いつかずにぐるぐる回る。口をぱくぱくさせていると、至近距離で男前の顔がふっと崩れた――ように見えた。 「入社した時から狙ってたんすよ。一目惚れっす。でも先輩結婚してたし、まぁ近くで一緒に仕事できればいっかと思ってたんすけど、こんなチャンスもうねぇなって」 「ちょ、待て待て。もしかして、お前ってソッチ系……?」  しまった、我ながらなんてデリカシーの無い聞き方だと口に出してからハッとする。  しかし夏木は、背もたれに着いた手を離して呆れ顔を作り、これみよがしに溜息を吐いた。 「たぶん、大方のスタッフは気付いてるっすよ。オレがゲイだってことも、先輩のこと狙ってるってことも」 「お……おう……?」  言われ、夏木にナメられてるのかも、と愚痴をこぼした同期の女子社員を思い出す。  あの時豪快に笑っていたのは、そういう事だったのか。  何より、ほとんどのスタッフが気付いていることにすら気付けていなかった自分のポンコツ具合にうっすら涙が出る。  夏木がゲイだなんて微塵も思わなかった。なにより、俺のことが好きだなんて。  ……好き? と、言うと?  この場合の好きは、LIKEの好き……ではなさそうだ。  つか、狙ってるって言わなかったか?  そうなると、残された選択肢はLOVEの……。  LOVEの? 夏木が? 俺を!?    好きの意味をようやく理解して、心臓が跳ねた。  俄に押し寄せる動揺を隠しきれない。 「おう、そっか、うん、そっかそっか。いや、悪い。でもほら、俺って離婚したばっかだし、これから独り身で気持ちも新たにっつーか、なんつーか、ほら」  思考回路が上手く回らずしどろもどろの俺の左手を、夏木がぐいと掴んで引き寄せる。  突然のことに驚いて成されるがままになっていると、手を掴んだままスラックスのポケットをまさぐって何かを取り出した。  しなやかな手付きですいと薬指にはめられたのは、銀色の細い指輪で。 「これ、無いと落ち着かないっすよね」  どうやら例の癖が出ていたらしい。薬指を親指で擦る仕草をしながら、夏木が笑った。 「いや、夏木クン……? この指輪は……?」 「こないだ業者がくれた型落ちのサンプル品っすよ。先輩の為に用意したとかじゃないんで安心してください。明日から無いと困るでしょ」  確かに明日は担当の打ち合わせが三件入っているし、今日の仕事終わりに『代わりの』指輪を買いに行かなくてはならないところだった。  夏木は本当に人のことをよく見ている。 「オレがよく見てるのは先輩だけっすよ」 「へあ!?」  またしても思考を読まれ、それも今度は真剣な眼差しを向けられているものだから、余計に変な声が出る。  心臓がよく分からない速さで動いていて、これは何だ、夏木がやたら男前なのがいけないのか。  それとも男前に手を掴まれたままっつーのがいけないのか。  そうなるとやっぱりアレか、コイツが男前なのが一番の原因だ。そうだ、そうに違いない。 「先輩」  この状況とこの暑さでオーバーヒート寸前の頭が意味不明な結論に落ち着いたところで、掴まれた手がさらに引き寄せられた。 「ちょ……!」  ちょっと待て、と言うより早く、薬指の指輪に口付けが落とされる。  混乱。  この二文字以上に今の俺を的確に表現出来る言葉が思い付かない。  もはや自分がどんな顔をしているのかさえ分からない始末。  そんな俺を見下ろして、夏木はニッと右の口角を上げて不敵に笑んだ。 「ここ、予約させてください。オレ、絶対に先輩のこと落としますから」  男前はさらりと男前にそう言って、「じゃ、先行きますんで」とさっさと屋上を後にした。 「……ぇえー……?」  おいおい、マジか。  こんなんドラマか宝塚くらいでしか見たことねぇよ。  寒い。実際サムイよな、だって薬指の指輪にチューだぞ。  俺が同じことしてみろ、シラケて終わるわ。  でもなんで? どうしてこんなにドキドキしてんだ、俺の心臓。  男にときめいてんのか、俺は。  これが男前フィルターってやつか。  こんなに破壊力あるもんなのか、おい、夏木!  悶々とすればするほど、ジリジリ照らす太陽よりも熱く熱を帯びる薬指。  向こうの方で、リンゴーン、と教会の鐘が鳴り響いた。  クソ暑い夏の日、クソ暑い屋上で、クソ生意気な後輩(男)に告白されるとは是如何に。  俺は微妙にサイズの合わない指輪を左の薬指にはめたまま、夏木の消えた方向をしばらく見つめていた。 【ハッピーサマーウェディング・完】

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