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5-2 お咎めなしで教室へ

 廊下に出てドアを閉めるまで、(かい)を掴んだ手を離さなかった。  最寄りの階段を半階上った踊り場でやっと安堵の息をつき、歩調を緩める。 「うまくいったな。お(とが)めなしでラッキー」  あ。素の凱だ。 「お前のイイコちゃん演技のおかげだよ。よく、口調だけじゃなく雰囲気もあれだけ変えられるな」 「やるなら徹底的にやんねぇとな」 「嘘もうまいじゃん」 「必要な時はねー」 「鷲尾がムカつくこと言っても、ちゃんと抑えられるし」 「あーゆーのに反応しちゃうとよけい面倒になんの、知ってるからさ」 「お前、実は賢いよね」  目が合った凱が、狡猾そうな瞳で笑う。 「ほかの人間にはバレねぇようにするよ。委員長」 「委員長って呼ぶな」 「嫌なの? じゃあ、早瀬」 「……將梧(そうご)だ。凱」 「へぇ……」  何その意外そうな顔。  ヤメテ。照れるんだけど。 「何だよ。お前のことだって名前で呼んでるだろ?」 「うん。たださー嬉しかっただけ」  何が?って問いを視線に込めて、俺は僅かに眉を寄せた。 「ここ来て最初に話したお前が、普通の友達の好意を持ってくれたみたいだから。俺とやりたいって思う種類のじゃなく」  その通りだ。  たった2時間一緒にいただけで、俺はコイツを好ましく思ってる。あくまでも友達として。  恋とか愛に発展しない類の好意。  もちろん、性的な欲望も介在しない感情で。  きっと、凱のほうも同じだからだよな。俺がそう思えるのは。 「俺と気が合うんだろ? お前の勘じゃ」 「当たるって認めてくれてもいーよ」  声を出さずに笑った。 「あ、そーだ。將梧。転校生ソーウケって何?」  3階に着いて各クラスの教室がある第一校舎に出ると、廊下は静まり返っていた。  5限目終了まで15分足らず。  2年生5クラス中3クラスの教室は空。生徒たちはそれぞれ理科の選択科目別の教室に散ってるからだ。  凱の質問への回答はお預けした。  転校生総受けは学園モノBLの設定のひとつだって説明するには、腐女子とBLからの理解が必要で。 『総受けは、腐女子と関連した言葉だから今度まとめてな』  凱は素直に承諾。  そして、残された俺の疑問。  鷲尾の口からBL用語……何故!?  普通さぁ、31歳の男性教師が言わないよね?  転校生総受けの印象って……本人にだよ? 本人わかってないけどもさ。  考えたくないけど、鷲尾も隠れ腐男子か!? 俺と同類!?  だとしたら……なんか嫌。  でもまぁ、この件は放置しとこう。追々真実がわかる日が来る……かもしれない。  凱と俺は2-Bの教室に入って自席に腰を落ち着けた。 「さっきみたいな喋り方出来るんなら、お前もマジメな生徒でいけば?」  俺の提案に凱はウンザリした顔をする。 「いっつもあんなんでいられるわけねぇだろ」  う……そりゃそうか。絶対疲れるよな。 「それに、ノンケのマジメキャラなだけでセーフなの?」 「いや。見た目おとなしそうだったり気が弱いとターゲットにされるな。あと、中性的とかかわいい感じだと」  あ。つい攻め目線から見ちゃったけど、ビッチの襲い受けも警戒しないとな。  イイコ演技なしなら攻めに見えなくもないし、実際リバだし。 「逆に、かわいい子に迫られることもあり得るよ」 「ふーん。ムリヤリしそーなヤツ、あとでリストにして教えて。前科あるヤツも」 「お前、やっぱり不安なのか?」  リストまでほしがるのは襲われる可能性を考えて、それを防ぎたいから。  今までも嫌な目にあったのかもしれない。  そう思って聞いた俺を見て、凱は目を少し見開いてからおもしろそうに笑う。 「全然。そーゆー人間は許せねぇだけ。言っただろ? 襲われたら……」 「殴り倒すのはなしで。トラブルが3倍になる」 「でも、抵抗はするぜ? そんで倒しても正当防衛だろ」 「まぁ、しょうがない……かな」  さすがに、おとなしくやられろとは言えないしね。 「だけど、ノンケでいくんなら相手するのは控えろよ」 「そーね。暫くはやんねぇよ。あ。もひとつ」  暫くは……いや、ツッコむまい。  ここに馴染んだら素でいけるかもしれないしな。 「この学校、先生はまとも? 生徒に手出したりする?」 「え……先生? するわけないだろ。ゲイもバイもいるけどさ」 「ならいーや。んじゃ、とりあえず」  う、うん?  先生のことはもういいのね? 「俺、軽い感じのノンケでいくね」 「は? チャラ男風味ってこと?」 「そー。あんま無理なく。お前とかぶんないキャラのほうが、何かあった時便利だしな」 「へぇ……」  なるほどねと思ったところで、5限目終了のチャイム。 「ヤバ! みんな帰って来た時、二人でここにいたらあやしいじゃん。そうだ! トイレ行っとこう。急げ!」 「昼前と逆だな」  俺たちはトイレへと急いだ。  トイレの手前で、理科の授業から戻る生徒の第一陣が廊下に現れた。  運よく隣クラス2-Aの集団だったんだけど……ほとんど無意識に、ピタリと足を止める。  涼弥(りょうや)……。  どんどん近づいてくる人影の先頭にいるのは、幼馴染みの杉原(すぎはら)涼弥(りょうや)だ。  俺が気づいた瞬間から、たぶん涼弥も気づいてる。  そして、俺を見てる……ずっと。 「將梧?」  いきなり立ち止まった俺の隣で、凱もその場で様子を見てた。  動かない俺を(いぶか)って名前を呼んだ。  その凱の声が届いたのか、涼弥の眉間に(しわ)が寄る。  涼弥の視線が痛い。  同じ物理を選択してるから、俺のサボりは知ってるわけで。  今日2-Bに転校生が来たことを涼弥が耳にしてたら、一緒にいる凱が何者かを推定するに至るわけで。  そして。  それを涼弥が不快に思ってるのは、今の表情から明らかで。  ただ、その理由が俺にはわからない。  わからないことが、俺には不快。  いや。不安、なんだ。  胸をしめつけられるみたいなこの感覚が何なのか……突き詰めるのが怖い。 「何でもない。行こう」  俺は凱の肩に手を回し、足早にトイレの中に移動した。  半年前まで、家族を除いて一番近い存在だった幼馴染みとの間に生じた溝が……日ごとに深くなっていく。  その現状を打破する策を見つけられないまま、逃げるように涼弥の視界から姿を消すことしか出来ない俺。  意気地なしだよな。

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