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第1話
【恋愛倶楽部】
高校二年、春。リビングのテーブルに置かれたデジタル時計は朝の六時を示している。
俺は、いつものように昨晩作り置きしておいたおかずを二段弁当箱の一段目に詰め、炊飯器の白米を軽く混ぜると二段目の弁当箱に敷き詰め蓋をする。
二段まとめてバンドでまとめると、弁当用の手提げに箸と一緒にしまい込む。
ここまでやって、ようやく俺の朝は始まるのだ。
テレビはつけない。理由は簡単で、支払いが高くついてしまうからだ。
バイトは体力があまりないからかけ持ちができないのが現状。それでもなんとかやっていけるのは、心優しい親戚の仕送りと慣れ。これだけだ。
十年前、ある日突然父親は何も言わず夜逃げを決行した。俺と、母さんと、ローンが残った一軒家のマイホームを残して。
そして三年前、ローンの返済を死にものぐるいで残り10万まで返して母親は疲労でこの世を去った。
突然姿を消した父を恨みはしたけど、そんな環境に置かれた俺自身が 【かわいそう】だと思うことは無かった。
この世界、父親と母親がいない子供なんてごまんといる。ましてや、俺には毎月仕送りをしてくれる心優しい親戚もいる。むしろ、幸せな方だ。
家事全般も、今ではもうこなれたもので和食洋食中華なら一通り作れるようにもなった。洗濯や掃除も、別に苦じゃない。父親が消えてから、仕事で家をあける母さんの代わりにずっとやってきた事だから 【慣れ】としか本当に言いようがない。
デジタル時計のアラームが鳴る。7時半、そろそろ家を出る時間だ。
忘れ物はないかな、と昨晩用意済みの学校用リュックのファスナーを開けると中身を再度確認して、また閉じる。
誰も座っていないもう一つの椅子にかけられたブレザーに袖を通すと、リュックを背負って玄関へ向かう。
玄関にある俺の胸くらいの高さの下駄箱の上には、昔撮った家族写真。その写真に向かって、いってきますと告げてスニーカーにつま先から入れる。
当たり前だけど、返事なんてない。これだけは、どうにも……何年経っても寂しさは拭えない。
意味の無い挨拶かもしれない。それでも、言わずにはいられないんだ。
どんなに慣れても寂しさだけはどうにも出来なくて、たまに無性に泣きたくなる時がある。
こんな時、恋人がいてくれたらどんなに心が晴れるのだろうか……なんて夢を見ることもしばしば。
この年まで童貞なんだ、許して欲しい。
きゅ、と踵まで指先でスニーカーを広げると履き終わる。とんとん、とつま先を何度か地面に打ち付けると俺は玄関へ手を伸ばし誰もいない静かな家を後にした。
***
「恋愛倶楽部、今度私も行ってみようかな〜」
昼休み、ざわめきのやまない教室の中でそう友人に告げる女子生徒の台詞が耳をつく。
【恋愛倶楽部】……それは、俺が通うこの学校の中にあるひとつの部活動だ。その活動内容は、恋愛について語り合う……というのは名目で、恋に臆病になった人や恋をする勇気が持てない、そんな人を応援する為期限付きで擬似恋人に部員がなってくれる……というものらしい。
確か、金銭のやりとりはなくて菓子折りで引き受けてくれるとか、なんとか……?
……実は、俺も前から気になっていたりする。
「恋人かぁ……」
手提げ袋に入れられたままの弁当を傍らに、頬杖をついてため息をもらす。
この際、偽物でもいいと思い始めている。今日までの人生で俺は充分思い知ったんだ、この世界には与えられる選択肢なんてほんの僅かで、自らの意思で選び得られるものなんてちり程度もないんだって――。
とにかく、誰かにそばにいてほしい。誰でもいいなんて、きっと軽蔑されるだろう。俺なら、軽蔑するし止めると思う。
それでも、期間限定でも……この虚しさが少しでも晴れるなら俺はそこへ縋りたい。
性別なんてなんでもいい、俺と一緒にいてくれる誰かに、出会いたい。
――……そう思う俺は、傲慢だろうか。いけないことなのだろうか。
「高遠〜、おまたせ!」
「シゲ、全然。ちょっと考え事してたから大丈夫」
クラスメイトの中でも1番よく絡むシゲこと滋野歩。陸上部でめちゃくちゃ足が速いんだよなぁ。
頭も馬鹿、ってわけじゃないんだけど本番に弱いらしくていつも赤点ギリギリをさ迷ってる。
「なになに、どんなん?」
そう言って、シゲは近くの椅子を引き寄せると机を挟んで俺と向かい合わせになるように座っては購買の袋を机に置いた。
「恋愛倶楽部ってどう思う?」
「なにそれ」
言うと思った。
シゲは走る事と食べること以外はあまり興味が無いらしくて、それ以外の時はよく寝てる。
それでも、彼の周りには常に人が集まるしやっぱり人柄は強みだなぁ……なんて、シゲといるとそんな可愛げのないことばかり考えてしまう。
「期間限定で恋人ごっこしてくれるんだって」
「ちゅーとかできんの?」
「さあ……?もしかしたら、出来るのかも?」
そこまでは女子達の会話からは分からなかった。
俺が首を傾げていると「そっかあ」と特に気にもとめていない様子で購買の袋から、ひとつコッペパンを取り出すと無造作に開け口へ運ぶ。
「おいしい?」
「ん!」
俺の問いにシゲはパンを加えたまま満面の笑みを浮かべ親指を立ててみせる。シゲといると、飽きることがない。さっきまで鬱々としてたことさえ、薄らいでいく。
不思議なやつだと、思う。そんな彼が、俺は気に入っているんだ。友達になれてよかったと心の底から思う。
恥ずかしくて、本人にはそんなこと言えないけど。
「さっきの話だけどさあ」
「うん?」
俺が思い出したように手提げ袋から弁当箱を取り出し、蓋を開けているとおもむろにシゲが口を開いた。
「そーゆーのも、ありだよなあ」
「え?」
「恋愛感情がそこにあるにしろ、ないにしろさ」
「うん」
「お互い了承してそゆことしてる訳じゃん。だったら、いいと思うよ恋愛倶楽部」
それになんか、楽しそうだよな。そう言って、シゲはまた別のパンを取り出した。
「確かに、そうかも」
「だろだろ〜、それこそ恋愛じゃんね。お互い好きでやってることなんだから周りがどうもこうもないっしょー」
シゲの言うことは、いつも核心をついていてずっと聞いていたくなる。
この軽い口調に騙されそうになるけれど、シゲは多分かなり自分の意見をしっかり持っていてしかもそれを確実に相手に伝えられる人間。
だから、人が集まるのかな、なんて勝手に納得したら思わず笑ってしまった。
「ふふ」
「え、なに!? 俺の食ってる顔って笑うほど不細工!?」
真顔でそんな事聞いてくるから、余計に笑ってしまう。
「ふふ、ううん、カッコイイよ」
「よせやい照れるわ」
心なしかご満悦そうな表情で言えば、手に取ったパンを袋から取り出しぱくりと口へ放り込む。
その様子が、なんだかとても動物的で素直に 【可愛いな】と思えた。
――――恋愛倶楽部、やっぱり気になるな……。
話だけ、話だけでも……今日の放課後、聞きに行ってみよう。
そう心の中で呟いては、箸を手に取りお手製のだし巻き卵をそっとつまんだ。それから口に運ぶまで、やたらシゲの飢えた視線を感じたのはここだけの話。
二話へつづく。
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