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第1話

 くらい森の中に白い雪が優しく降りつもる。美しいけれど残酷なその風景は、死へ導くカウントダウンのようだと十にも満たない少年は思った。  森の中にはコワイ魔物がいるから入ってはいけないと、この村にやってきた時に言われていたのを覚えている。それを聞いた母親の安らぎの場をやっと見つけたかのような表情も覚えていた。  忠告されたにも関わらず、母親は少年の手をひくと森の奥へと歩きはじめる。  この時、はじめて母親の体温を知った。  それと同時に、あぁ自分はとうとう捨てられるのかと幼いながらに少年は悟ったのだ。  母親に愛されていないことは気づいていた。最初に与えられるはずの名前もなく、外には出してもらえず、話しかけても視線すら向けてくれない。  いない子として育った自分が、出かけると手をひかれたあの時どんなに嬉しかったか。この母親は、しらないのだろう。 「ここで、待っててね」  大きな木の下に座らされ、母親は少年の髪をひとなでするともと来た道を歩き去っていった。  降りつもる雪は少年をおいつめる。何度も閉じそうになるまぶたをムリヤリ開かせる。  死にたくはなかった。せめて、自分が生まれたこの日だけは、どうにか生きていたかった。その想いで必死に眠気とたたかう少年は、とうとうそのまぶたを閉じてしまう。 「どうした、少年」  意識がぼんやりとしてくるなか、声がきこえた。今までどの大人からも聴いたことのないほど、その声は低く、つめたい。 「……すてられたのか?」  声の問いに、少年はゆっくりと頷いた。 「……そうか」  身体がふわりと宙に浮く。 (あんがい、死ぬってあったかいんだ)  傍にぬくもりを感じながら、とうとう死ぬのかとそう思いながら意識を手放した。 *** 「……ナナシ」  名前を呼ばれて、ゆっくりと目を開ける。心地よいシーツの感触と窓から差し込む暖かい日差しに正直まだ寝ていたいと思った。  もう一度寝て、夢の続きをみたい。あれは、幼い頃の記憶の夢で、きっとあのあと大切な宝物をあの人がくれただろうから。 「ナナシ」  もう一度寝ようと布団をかぶると、つよい声とともに布団をはがされた。暖かいという感覚が一気に寒いという感覚に変わる。 「……いい加減起きなさい。そして、服を着なさい」 「……はーい」  布団をはがした人物に、訴えるような視線を送ったあとしぶしぶベットから起き上がった。シーツに身をくるみながら、服を探す。 「ほら」  あまりにも、のそのそと服を探すナナシに見かねたその人は、服を差し出した。差し出された洋服を受け取り、ゆっくり着替える。  ここは、森の奥深くにある大きな洋風のお屋敷。人々からバケモノ屋敷と呼ばれるここにナナシは、起こしに来た彼ノアと二人で住んでいる。  ノアには首から上がない。  それなのに喋るし、動き回る。そのせいで、この屋敷に冷やかしにくる人々に見られ怯えられてバケモノ屋敷なんぞ呼ばれるのだ。  大きなため息をついたナナシに朝が憂鬱だとノアは捉えたのだろう。まるで親のようにくどくどとお説教を始めた。   「朝の食事をおろそかにすることは、一日をおろそかにすることと一緒だからね。きちんと食べるんだよ。ただでさえ君は華奢なのだから……」 「もう、何度も聞いてるからわかってるよ」 「そうかい?ならいいのだけれど」  食べないノアが何をいう。  ノアにそう言われるたびにそんなことを思っていた。  前に一度「そんなノアはいつたべるんだ」と聞いたら「ナナシが見てないところで食べているよ」と返された。あまりにも困ったように笑うから、本当は彼も食事がしたいのかもしれない。  けれど、彼には首がないから食事ができない。そう思うようになってからは、彼の言葉ひとつひとつをよく聞くようになった。 「ナナシ」  ノアが名前を呼ぶ。その声はとても心地よくて、とっくに醒めていた目がまた眠りへと誘われる。 「ナナシ、今日は赤い満月の日だ。わかっているね?」 「……うん」  おちる瞼をこすりながら、ノアの言葉に返事をする。  わかっている。赤い満月の夜は、決して部屋から出てはいけないと幼い頃から言いつけられていた。 「ノア、今日ってなんの日か覚えてる?」 「今日……?」  今日は、ナナシが産まれた日でもありノアと出会った日だ。この日だけは、ノアは毎年朝まで一緒にいてくれていた。 「……あぁ、そうか今日は……」 「ねぇ、ノア。満月の日だけど、今日だけは……」 「ダメだ!!」  あまりの大きな声に、ナナシはびくりと肩を揺らした。ノアはやってしまったというように唇をおさえる。彼のこんな声を聞くのはいつぶりだろうか。 「……すまん。ただ、今日だけはダメだ。ひとりで寝てくれ」 「…………っ!」  彼からの拒絶に、無数の針で身体中を刺されたかのような痛みにおそわれる。ナナシは、大きな音をたててイスから立ち上がると何も言わずに部屋を立ち去った。 「ナナシ!」  扉が閉まる寸前、彼が名前を呼んだ気がしたが閉まる音でかき消されてしまった。  書斎まで走り、扉を閉める。ずるずると背中を引きずりながら床へ座り込み。膝を抱えた。 「…………ノアのバカ」  本独特の香りに囲まれているココはナナシにとって落ち着く場所だ。落ち込んだ時、叱られた時によくきていた。ノアも仕事の時は本に囲まれているのだろう。ノアから同じ匂いがするのだ。  だからだろうか、ここに籠ってしばらく経つとウトウトと眠ってしまうのは。  今日もまた、こくりこくりと頭を揺らしはじめたナナシはいつのまにか綺麗な瞳をまぶたに隠してしまっていた。  ぱちり、と目を開けると辺りは真っ暗になっていた。窓から差し込んでいた光は眩しい太陽から優しい月の光へと変わっている。  いつのまにか眠ってしまっていた。書斎にこもった時はいつものことだと、ナナシは大きなあくびをしながら、伸びをする。ふと、視線を窓へと向けると外を照らす月に釘付けになった。  赤く染まった大きな満月が窓から覗いていた。 《ナナシ、今日は赤い満月の日だ。わかっているね?》  ノアの声が頭の中でリフレインする。早く部屋に戻らなければ、焦って立ち上がった。 「––––––––っ!」  立ち上がって扉へと目を向けたその時、誰かがそこに立っていた。部屋の中が薄暗くてソレが誰かはわからない。ただ、その誰かには頭がある。ノアではないことはわかっていた。 「…………誰だ」  答えはない。  コツリ、コツリ、と影はこちらへ歩みはじめたのでナナシも後ろへと一歩一歩下がる。  けれど、ナナシのすぐ後ろには窓がありそれ以上後ろへは下がらなくなった。 (窓際に追い詰められた––––––––……!)  もうナナシに後がないことを知ってか知らずか、影はその足音をはやめた。  せめて、顔だけでも見てやろうとナナシは影をひたすら睨みつける。 「…………え?」  影の顔が月明かりに照らされて姿を現した。  外に在る赤い満月と同じくらい、いやそれ以上に赤い、ルビーのような瞳をゆらゆらと揺らしながら、ナナシをジッと見つめていた。 「ナナシ」  ナナシと呼ばれ、アクアマリンのような瞳を大きく開かせ、床に縫いとめられた体を動かせなくなった。その声はナナシ自身よく知っているものだった。知っているもののはずなのに、いつもなら低く冷たい印象をうけるその声は、吐息が混じるせいか、熱をもっているような気がする。 「お前が、いけない」  男は、ナナシの首すじへと顔を近づけた。 「ぁ…………っ」  硝子にでも触れるかのように唇が優しく肌に触れた。氷のように冷たく、綿菓子のように優しい触れ方に緊張してかたくなっていた身体がほぐれていく。 「言いつけを破った。これは、そのおしおきだよ」 「いっ……!」  優しく触れていた唇が開き、尖った牙が肌に食い込む。針で指を刺してしまったかのような小さな痛みに微かに声をもらす。  ごくり、ごくり、となにかを飲む音が聞こえるのを黙って聞いていた。男に自分の何を飲まれているのか、そういった疑問よりも男の顔を眺めることに全神経を集中させる。  夜を思わせる深い黒色の髪は長く、尖った耳の近くにはくるりと渦を巻いたツノが生えている。ルビーのように赤い瞳が今は瞼に隠されているのが残念だった。 「ナナシ」  顔あげた男が、悲しげに名前を呼ぶ。彼の唇からは赤い雫が流れ、首すじをつたった。  普段、首から上がないこの男はこんな表情で自分の名前を呼ぶのかとそう思った瞬間に心臓がひときわ強くはねる。 「すまん、抑えられそうにない」  男の指先がナナシのシャツに触れる。ジュッ、と音を立ててシャツは溶け、ナナシの真珠のように白い肌があらわになった。 「すまん」  男はもう一度謝ると、ナナシの胸に唇で触れた。

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