1 / 1
潮野と左藤
全く以てついていない。今日は朝からついてなさ過ぎてもう涙が出そうだ。
左藤 という俺の名前で響きは砂糖と甘く聞こえても、伝ってきそうな涙の味は実にしょっぱいものだ。涙で甘いとかなに、気持ち悪いとかそんな次元じゃないぞ俺。
――ああ、いや、そうじゃない。
担任の教師はインフルエンザにかかって一週間休むと聞いた。しかし、その代理の教師が教卓に立つ姿を見るのが嫌になってきた……初っ端だぞ。
初っ端一日目からこの気持ちってどうよ。……俺の漢字は【左藤】であって【佐藤】じゃない!
ニンベンを付けるな!
何度も何度も黒板にニンベンとヒダリの字を書きやがって!
こういう時に限って日直で書かれたり、なにかの当番決めで名前を書く機会があったりで、何度も恥という恥をかいてきたからな。 今 日 一 日 で 。
思春期年齢バカにするなよな。こんなちょっとの事でも恥ずかしく思うんだ。
そしてもう一つ。……俺も、俺自身も、なんとなく予想はしていたんだ。
付き合ってる彼女がいて、だけど連絡も疎かになってきてて、なんだか感じる雰囲気というかオーラというか……冷たくなってきた彼女の態度。
休み時間に呼び出されては“私達、別れましょう”なんて言われちゃってさぁ!
俺なんなの! 俺ってばなんなんだ!?
しかも、さっき思ったように連絡が疎かになってきたせいでお互いに感じ取る自然消滅の危機。自然もなにもなくなったわ。
彼女はちゃんと俺に伝えてきて、ちゃんと言いたい言葉を口にして、俺の反応をちゃんと見ては、ちゃんとしたお別れをしてきた。――これでも好きだったよ……!
あともう一つ。
今日だけでどんだけいろんな目にあってるんだ、と言われたらそれはもうこの世じゃないモノにクレームつけてくれ、としか言えない。
風の噂の創作では人の人生を暇潰しにサイコロを振って出た道を敷かせたと……まじでふざけるなって感じだ。
別れを告げられた次の休み時間――それは昼休みにあたる時間なんだが、落ち込む俺に数人の友人からパァッと遊ぼう!と誘ってきてバスケをすることになった。
俺含めた五対五の人数集めは後輩先輩と片っ端から声を掛けた人々だ。またまた気を遣ってくれたのか俺の見知った人達で楽しくプレイする事が出来たんだけど……ひねったよ。
足をひねった……先輩から貰いそうになったボールを敵チームである後輩にスティールといってボールを俺に渡さないように割り込んできた瞬間、あっちもバランスを崩して俺にどーん、って。
どーんって来て俺を押し倒すように、俺をクッションにしたかのように、あいつは無傷で俺はギュイッと足がさ。いや、いいんだ。
その後もあいつは涙目で土下座しながら謝ってきたし。さすが運動部、上下関係がちゃんとなっていて帰宅部の俺はさすがに引いてしまったわけだが。
今の俺の足首には応急処置程度の湿布がペタッと貼られている。が、しかし、酷いものなのか腫れてて学校指定靴であるローファーが履けてない状態だ。
かかとのところを踏んでゆっくり、ゆーっくり歩くのが精一杯。……あぁ、そうさ。俺は一人で家に向かってる。
以上、この三点とプラス――大雨だ。
天気予報士すら伝えてくれなかった。その予報してくれなかった大雨が今降ってる。やばい。勢いが強過ぎてやばい。傘なんて持ってなければ常備すらもしていない俺はびっちょびちょのぐっしょぐしょだ。
頭からつま先まで濡れに濡れまくってる。携帯が防水対応のものでよかった。じゃなかったら鞄の中まで濡れてしまってるからぶっ壊れてた。……ノートは諦めよう。
新品だったけど諦める……買お。
この三点+αの出来事は今日一日で起きたものだ。信じられるか?
俺は信じられないな。
――びしゃぁぁぁ――
「……」
「す、すみません……!」
もともと、突然の大雨で濡れていた体だから気にしていないんだ。そう、もともと、な。
こうなる前から俺はずぶ濡れで青春謳歌していますっ!――な、高校生に見えず、人によってはきったない男がもっさもっさ歩いてやがると思うような格好。……だからって、だけどって、さすがに白シャツが茶色に変わるまで汚い男では、なかったはずなんだが……。
「あ、ああ!どどどどうしよう……!汚れたね、汚しちゃったね……!」
「……いや、あの、」
ゆっくり歩いていたせいで、傘を持たずに歩いていたせいで、車ではねてきた水が俺にかかったのだ。
大胆にも、全身から。
「僕のせいだよね……」
汚い俺に声をかけてくれたのは黒の立派な傘に、ピシッとしたスーツを着た男の人。こんな雨に打たれたら人々を敵に回しちゃいそうなほど清楚な大人が心配そうな目で俺を見てはあたふたしていた。
この男の人の後ろには白い車が止まっている。……大雨なのに、いろいろと大変そうな車だ。
「制服まで汚しちゃったな……本当にごめんね」
「……っ」
そのピシッとしたスーツのポケットからこれまたピシッとしたハンカチが出てきて俺を拭こうとしてきた。
ふっ、と不意に避けては首を横に振る俺。
あんなハンカチが汚れるぐらいなら俺はこのままでいい!
母親に怒られて洗濯してもらうんだ……!
明日から三連休なんだからズボンも合わせて余裕な乾きだろ。予備はなるべく出したくないものだしな。
「……じゃ、せめてものお詫びに、」
首を振って間が出来た。
どのぐらいの間が出来たのかは正直わからないが、男の人は垂れる眉にまだ心配そうな目で、顔で、俺の腕を掴んで頭を撫でてきた。――意味がわからない。
そのまま肩から腕、手首と下りてきた相手の手に目で追ってればグイッと掴まれて歩かされた。
どんだけ強引なんだってぐらいの勢いで歩かされて、いろいろ大変そうな車のドアを開けては『入って?』なんて言われる。……だから、意味がわからないぞ。
「あの……」
とはいえ相手になにも言えないのが俺だ。
こんな汚くなった俺をこんな綺麗すぎるシートに尻を置きたくない……!
「僕の家はすぐそこなんだ。せめてお風呂に入ろう?僕のせいなんだから、そんな濡れた姿じゃ返せないよ」
「……だから、」
なんで泣きそうな顔で言うんだ……。
立派な傘なんてお構いなしに真っ逆さまで地面に放り投げだされている。この人も大雨のせいでびしょびしょだ。立派過ぎるスーツも濡れててどうしようもない。
男二人、こんな雨の中、濡れっぱなしでさすがに周りの目も気にするようになった俺は目だけでも伝わる男の必死さを受け止めて、おろおろしながら車へ乗りこんでしまった。
なるべく汚くなる面積は狭くしたいと思い前の方へちょこんと座らせてもらったけど、シートベルトをしなくちゃいけなくて普通に座る形になったのは無駄過ぎる努力だったけど――男の名前は潮野 というらしい。
きっと学生の頃は塩野と書かれていたに違いない。
「寒い?どっちにしても風邪引いちゃうかもしれないから、はやく」
「……っ」
急かされるように玄関へ足を踏み入れた場所は一戸建ての俺の家よりマンションであるこの家の方が綺麗で広くて戸惑った。
道路に置きっぱなしとなった立派な傘や無意味に濡れてしまったあのスーツやハンカチを見る限り潮野さんはなんかとりあえずすげぇ人なんだろうなとは思っていた。
思っていたけど、住んでる家まですごいとは……思っていたが、予想をはるかに上回るような光景だ。
ひとっ、一人暮らし……か?
それにしても廊下が長すぎる。俺ん家なんて玄関入ってすぐ階段か五歩ぐらい進めばリビングに繋がるドアがあるのに、ここは真っ直ぐ真っ直ぐ歩いてやっとドアが見えるぐらい長い。
目眩しそう。
「あ、タオル」
思い出したかのように潮野さんは小走りで見えるドアを開けては、また小走りで俺のところに戻ってきた。自分も濡れているのに気にしていないのかピカピカな廊下も水浸しで足跡が残っている。
ふわっと香る柔軟剤の匂いとともに頭からかけられて、敷いてある玄関マッドの上にまた違うタオルを置かれては、靴脱いで?と言われた。
「いや、潮野さん、俺帰りますよ?迷惑かけてるし……」
「いーや、酷い風邪でも引かれたらこっちが後味悪過ぎるよ……本当、ぶっかけちゃってごめんね。お風呂にもはやく入っちゃいなよ。気付いてる?手、震えてるよ」
「……」
そう言って潮野さんは、寒さで震えてるらしい俺の手を取って、口に近付けた。――やっぱり意味がわからねぇ……!
「おっ……おじゃましまーす……!」
なんというか、危機的状況に陥った気がする。いや、もう落ちてる?
なんで男の手の甲にチューなんてすんの。外国人?
つか外国人でも男相手にしないだろ。
つーか!
潮野さんは外国人じゃないし!
見た目からして日本男児っぽいし!
いやいや綺麗だったけど……ハッ、もしかして女性だったんじゃ……――あり得な過ぎる。……俺ってば、必死過ぎる。
とりあえず、風呂から上がったら雨が止んでなくてもムリヤリ帰ろう。ここ危ない気がするー。
風邪を引こうがなんだろうが運が悪過ぎた、ってことで片付けようじゃないの。
「あの子、なかなかイイ拳だったなァ……」
――ふぁ、この家のシャンプーすっげぇ良い匂い!
(親切心の、裏調教心)
*END*
ともだちにシェアしよう!