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ひとりぼっちの僕たちに
細い箸で、祖母の骨を拾い上げたとき、「ご臨終です」と、医師に告げられたより一層、強く、激しい絶望感に襲われた。
自分を守り続けてくれたあの暖かな身体は、それを支えていた芯だけを残して、母の元へ逝ってしまった──。
──俺は、また、残されたのだ──。
溢れかえる人混みが、山女 の気分を憂鬱にさせていた。
改札を抜けると、いつも以上に駅ビルは人で溢れていた。
それもそのはず、今日は土曜のクリスマスイブ。楽しそうに微笑む人々がさきほどから山女の横を抜けていく。
だが、山女にとって、今日が何の日であろうとも、ただの日常の一コマでしかなかった。
それでも、去年までは楽しい思い出がないわけではなかった。家に帰ればワンホールのケーキが待っていて「2人でこんなに食べれないよ」と山女が漏らすと祖母は「なんだか嬉しくなって、つい買っちゃうのよね」と少女のように微笑んでいた。
──もうあれが一年も前の出来事だなんて嘘みたいだ。
山女は空を見上げ、深くため息をつく。
「──あれ? 山女?」
不意に、雑踏の中から自分を呼ぶ声がした。こちらへ向かって歩いてくる小柄な人影にジッと目を凝らすと、その正体はクラスメイトの志水 だった。
「志水……」
「あー、やっぱり山女だった。お前デカイから目立つなっ、お前ン家このへんなの?」
山女の無関心そうな視線も気にせず、志水は陽気に早口で話した。申し訳ない程度に山女は相槌を打つ。
志水は12月だと言うのに、やや薄手のブルゾンに、かなり年季の入った黒のマフラーを巻いただけの出で立ちだった。
さすがに寒いらしく、マフラーから覗く鼻の頭は赤くなり、手袋をしていない華奢な手をさっきから必死に胸前で擦り合わせている。明るく脱色された髪の毛が余計冷たそうに山女には見えた。
「俺、さっきまでそこのビルでバイトしててさ、さすがに週末のイブだよな。ケーキがあっという間に売れてさー、ってこんな話興味ないか」
何を話そうと、表情ひとつ変えない冷ややかな山女に気付いた志水は、鼻で笑って話題を変えた。
「山女って今、暇? 俺ちょっと困っててさあー」
築年数の伺える、お世辞にも防犯が良いとは言えない二階建て木造アパートの一階に、山女は住んでいた。
志水はもっと、平均的な一軒家に住む山女を勝手にイメージしていたので、そのギャップに内心驚いていた。
通された和室の居間は、六畳程度で、電気を点けてもなんだか暗い、どことなく寂しい雰囲気をした部屋だった。
「お邪魔しま~す。てか、なんか想像と違ったわ。お前ひとり? 表札にあった鏑木 って誰の名前?」
「……祖母だよ」
「ばーちゃん、へぇ……」
山女はエアコンを点けると、着ていたコートを脱ぎながら襖続きの奥の部屋へと消えた。志水は着ていたブルゾンとマフラーを脱ぎそのまま畳に置くと、出された座布団に腰を下ろす。
志水は初めて見るクラスメイトの部屋を興味津々に見回し、あるところで視線を止めた。
それは、年老いた女性の遺影と位牌、隣に並ぶ骨壷……。
「え……っ! まさか、ばーちゃんって死んだ……の?」
「──ああ、先々週」
「えっ!」
淡々と山女は告げると志水の横を通り過ぎ台所に赴く。ポットから湯の注がれる音とともに湯気があがり、志水はその静かな背中を黙って見守る。
そう言われてみると何日か、山女が学校にいない日があったのを志水は思い出していた。
「──さっきの話。困ってるって、なに?」
山女は志水の動揺した顔に興味がないのか、向かい合わせに腰を下ろし、相変わらずの無表情で茶を啜る。
「ああ、それね。実は母ちゃんの財布から金抜いたのがバレてさぁ〜」
志水は下品な声で笑いながらブルゾンのポケットからタバコを取り出し、ライターに火を点ける。山女はそこでようやく顔色を変えた。
「おい。吸うなら出て行け」
山女はギロリと睨むように志水を見ている。
「え? なに、ここ禁煙?」
「吸うなら通報するぞ」
志水はその言葉に一瞬黙って目を丸くさせ、そのあと、すぐに吹き出した。
「あっはは! なにそれ、ヤバい! 面白過ぎるんですけどー!」
志水は目の前のローテーブルをバンバンと叩き、大笑いしていた。それでも山女の表情は変わらない。熱のない怒りと、冷ややかな視線を志水に向けたままだ。
それを嘲笑うように、志水は山女をわざと下から覗き込む。
「お前さぁ。そんなんで生きてて楽しいか? 真面目~に生きてさあ、常に学校でもしかめっ面で。成績優秀なのも良いけど、うちの三流高校でソレ、かなり無駄じゃね? もっと頭の良いとこ行けば良かったじゃん。ばあちゃんはそーいうコト、教えてくれなかったの? 可哀想になぁ~ひでぇばあちゃ」
志水は全部も言い終わらないうちに叫声をあげた。
「熱ッ!!」
山女が飲みかけの茶を志水に掛けたのだ。
志水は慌てて濡れたニットを脱ぎ、半袖Tシャツ一枚の状態で山女を睨んだ。
「何すんだテメェ! 火傷したらどうす」
反論の余地も与えて貰えぬまま、志水は山女に平手打ちされ、その急な力に大きな音を立てながら畳に倒れ込む。
瞬間的に怒りが爆発した志村は、倒れた状態のまま山女の肩を左足で思い切り蹴りつけた。掛けていた山女の眼鏡が、嫌な音を立てて畳の上を跳ねるが、それに怯むことなく山女は志水の頭を右手で畳に荒々しく押さえ付けた。
「痛ッ……何っす、んだよっ!」
志水はあまりの力の差に慄きながらも、押さえ付けてくる腕を掴んで引き離そうと必死に暴れる。
「お前に……何がわかる……。お前なんかに……!」
同い年とは思えない、鬼のような形相と唸り声をした山女が、上から志水を睨みつける。その余りの迫力に、志水は痛みよりも恐怖を強く覚えた。それでも力の限り暴れ、その手を外そうと懸命に足掻く。
無我夢中で振り回した右手が、山女の顎に直撃し、呻き声が漏れる。
その口を押さえる手に鮮血が伝い、志水は思わず青くなった。
「ご、ごめ……あっ、俺帰るわっ! 本当、ごめんっ!」
慌ててマフラーとブルゾンを掴み、立ち上がろうとするが、山女にマフラーを踏まれ、志水は起き上がることが出来なかった。マフラーを踏みつけている足から視線を上に送ると、口から血を流した山女が、無表情のままこちらを見下ろしていた。
思わず志水は震え、息を飲んだ。
「──じゃあ、お前は……楽しいのか?」
山女の低く、無機質で無感情な声に、恐怖から目線を合わせられず、志水は無駄とわかりながらも動くことのないマフラーを無言のまま、必死に引っ張る。
「なぁ、志水。お前は、自分の生き方が楽しいのか?」
もうそんな議論は今の志水にとって、どうでも良いことだった。とにかく、この部屋から、この恐怖から早く立ち去りたかった。それでも、そんな弱い自分を山女に知られたくなくて、悔し紛れのように志水は喚いた。
「お前よりはマシじゃね? 可哀想にな、慰めてくれるばーちゃんがいなくなってよ! ああ、どっかに買いに行けば?!」
苦し紛れで出した志水の笑いは、失敗に終わった。
山女の足が急にマフラーから退き、不意を突かれた志水は反動で後ろ側に飛ばされ尻餅をついた。それを追うように山女は志水の前にゆっくりと腰を下ろす。
「──お前の利用価値なんて、何にもないと思ってたけど……あったわ──」
自分が置かれている状況よりも、吐かれた暴言に志水は怒りを抑えられず声を荒げる。
「はあ?!」
更に志水が言葉を継ごうとした次の瞬間、思い切り腹を蹴り上げられた。一瞬息が止まって、吐き気が込み上がるのを我慢し、志水は涙目になりながら腹を抑え、激しく咳き込む。
痛みで動けない体を無理矢理引き起こされ、拾われたマフラーで両手を後ろ手に縛られる。
「……テメェッ、ふざけんな! 離せよっ、オイッ!」
志水は必死にもがくが、マフラーは腕に食い込むだけで決して緩むことはなかった。抵抗できない体を乱暴に畳に叩きつけられ、顔から落ちると、くぐもった声が漏れた。
山女は落ちていた煙草を拾い上げるとライターで火を点け、それを志水の視界に入るようにゆらゆらと動かしてみせた。
「これ──、欲しかったんだろ?」
ビクリと志水の頬が痙攣する。
「──山女……?」
「あげようか?」
「なに……、言って……」
志水の顔は恐怖で引きつっていた。
山女は怒るでも笑うでもなく、ぼんやりとタバコの火を眺めながら無表情で話し続ける。
「──煙草の火の温度って知ってる? 大体で600度以上、一番高い時で900度なんだって。それってね、火葬の温度とほぼ一緒なんだよ──知ってた?」
山女はゆっくりと目線を煙草から志水に移し、火をその顔に少しずつ近付ける。志水は全身から嫌な汗が一気に噴き出し、急激に体温が下がった気がした。
「ずーっと肌に押し続けてみたら、肉が焼けて、そのうち中の骨まで見えるのかな?」
「や、やめて……、俺が悪かったよ! 本心じゃなかったんだ! カッとなって思わず、だから……っ」
「──だから? なに?」
「……ごめんなさい……許して……。お願い、許してください……」
志水は恐怖のあまり、とうとう泣き出していた。
痩せた顔は青白く、びっしょりと汗をかき、手足が小刻みに震えているのが山女にも伝わった。
その姿を見て、まるで肉食動物に喰われる前の、小さな草食動物みたいだと、他人事のように山女は思った。
「──ごめんなさい、か……。志水でも謝ったり出来たんだね……。でもね、俺は知ってるんだ。そんな言葉、なんの役にも立たないってこと──」
山女は温度のない声でそう言うと、志水に淹れた茶の中にタバコを落とした。
「…………やま、め……?」
志水は顔を涙でぐしゃぐしゃにして、震えながら山女を見上げた。目が合った山女は、片方だけ口の端をあげ、見たこともないような笑みを浮かべていた。
「──ねぇ、志水。俺のこと慰めてくれる……?」
聞こえるのはエアコンの音と、壁にかかった時計が刻む秒針の音。それと、不規則な自分の呼吸音──。
志水は両足を縛られ、そのかわりに自由になった両手は使うことを許されず、その手を畳に着いたまま餌を食べる犬のように四つん這いの格好で、山女の性器を口に含まされていた。
初めての感触に躊躇いながらも必死に口で奉仕を続けるが、次第に顎が疲れだし、唾液もうまく飲み込めない。頼んでもいないのにさっきから涙も止まらない。
「──下手くそ」
山女が嫌な溜め息と共に温度なく吐き捨てた。
志水は内心、やったことがないんだから仕方ないだろうと、腹を立てたが、山女の怒りをこれ以上買うのが恐ろしくて、殊勝な態度で「ごめんなさい」とだけ漏らした。
「吐いたり噛み付いたら、殴るからな」
そう冷たく言い放つと、山女は志水の後ろ髪を掴んで頭の自由を奪い、口の中に無理矢理自分の性器を一気に奥まで押し込んだ。そのまま乱暴に前後させ、無抵抗な志水の口の中を好きに犯し、蹂躙する。
志水の瞳は、苦しさからボロボロと涙が溢れだしていた。ギュッと目を瞑ったまま、小さく呻きながら必死に耐える。
次第に抽送が早くなり、最後、根元まで押し挿れると山女は志水の口の中にすべてを吐き出した。
志水は激しく咳き込みながらも、口の中に出されたものは言われた通り必死に飲み込んだ。それでも飲みきれなかったものが志水の小さな唇を卑猥に濡らした。
ようやく終わったと、志水は少し安堵していた。前屈みに両手をついて、へたり込み、必死に呼吸を整えようとしていると、足首の縛られた部分を急に持ち上げられ、勢いよく畳に背中を着いた。
身体を半分に折り曲げられ、自分の胸に膝が当たる。誰にも見せたことのないような恥ずかしい姿と場所を山女に曝け出した状態だ。
「山女っ、やだよ! やめてよ! お願い!」
自分が女のようにされるんだと、志水は一瞬で恐怖を覚えた。
肉付きの悪い臀部を乱暴に掴まれ、小さく悲鳴が出た。何の断りもなしに志水のそこに指が入る。突然のことに志水は動揺し「痛い、痛い」と喚いては暴れた。両手を必死に伸ばすが、山女までは届かない。
山女は狭く拒絶するそこに、容赦なく指を進めた。
志水は何度そこを弄られても、気持ち良くはならなかった。それどころか何か声にしないと、その先に待っているものが志水には恐ろしすぎて、今にも大声で泣き喚いてしまいそうだった──。
「ひっ、山女は、クリス、マス……好き……? うっ、俺、は両親が揃って……た頃までは好きだったなぁ、ケーキも食えるし、プレゼントだって貰えた……」
何かに引っかかったのか、山女は一瞬指を止めた。だが、またすぐに動き始める。志水はそれでも話し続けた。
「7歳が最後、かな……あの日、親父は帰ってこなくて……ケーキもプレゼントもあったけど……母親はずっと泣いてて……。親父は俺たちを捨てて、出てったんだって言われた……」
今度こそ山女の手が完全に止まり、離された両足がばたりと力無く畳に落ちる。志水は痛みから解放され、安堵の溜め息を一つ零すと、滲んだ瞳のまま天井を眺め、ぼんやりと話し続けた。
「──俺にとって……あの日からクリスマスは苦くて、最悪の想い出になった……」
ふと山女は、ケーキを前にして微笑む去年の祖母の姿を思い出す。山女にとって家族と最後のクリスマスは暖かくて、優しい想い出だった。何度だって見ていたい夢のように柔らかだった。
「──次の年のクリスマスには、他人の男が家にいた……。そいつが来ると俺は家に入れなくて、3駅先の図書館まで歩いてって、閉館まで粘って、そのあとは近所の公園で時間を潰した……。あれは本当に寒かったなぁ……」
鮮明にそのシーンが蘇るのか、志水の涙は限界値を超えても尚、その頬をどんどん濡らしていく。
「──色んな男がいた。優しい兄貴みたいな奴もいれば、俺の存在をただ疎ましく思う奴、いきなり殴る奴。今居るあいつも……すぐキレて、殴る。俺はこんなガリガリでチビだから簡単にのされちまう。こんな風に、お前にもな」
志水はククッと喉で笑った。力無いその肢体は確かに痩せていて、年相応のものと呼ぶには余りにも華奢で、ひどく細く思えた。
山女は志水が家庭で何を受けているのか漠然と理解した。会った時に話していた「困っている」とは、この事だったのだ──。
「──なあ、山女。お前、俺に聞いたよな? そんな生き方、楽しいのかって……」
山女は声で返事せずに、小さく頷く。
「──どう? 俺はお前から見て楽しそうに見えるか?」
それまで天井を仰いでいた志水は、薄く儚い笑みを浮かべたまま山女を見た。
それは決して幸福からくる笑顔ではなく、すべてを諦めた、絶望からくるものだった。
──ようやく山女は口を開いた。
「俺は、中学校入学と同時に、母方の祖母に引き取られた。家族がまともに機能していたのは小学校の途中くらい迄で、その頃から父は、何かで腹を立てるとすぐ、俺を殴るようになった。母は俺を必死に庇い続け、次第に心を病み、父と俺に『ごめんなさい』と、何度も何度も謝り続けて、毎日、泣いて──最期は呆気なく自殺した」
志水は完全に言葉を失っていた。
ショッキングなその内容だけにでなく、それをまるで他人事のように淡々と、無表情のまま山女が話すからだ。
「父親は俺を捨てて再婚した。新しい家族もいるから俺とは住めないと、祖母に俺を預けた。あの日から俺の家族は、この世で祖母ただひとりになった」
山女は後ろに重心をずらすと、尻餅をついてそのまま脱力し、ぐったりと項垂れた。
志水は両手を使って、なんとか痛む身体を起こす。覗いた山女の顔は憔悴しているようにも見え、その姿があまりにも儚げに志水には思えた。
「志水の言う通りだ。何も楽しくなんかないよ。この世のどこかにあの人がまだ生きているなら、幾らでも借金して買いに行くよ……」
そう言って、項垂れた頭を両手で抱えると、曲げた膝に肘をついて丸くなり、苦しみを吐き出すように声を漏らして震えていた。
山女の悲痛な心の叫びを聞き、志水はその震える頭を子供でもあやすみたいに優しく撫でた。山女は一瞬驚いた目をして頭を上げたが、すぐに辛そうに顔を歪めた。
そして、力強い手で自分から志水を引き寄せると、ぎゅっと華奢な身体を腕の中に抱き込んだ。
「志水……俺……。本当にひとりぼっちになっちゃった……」
山女の声は先ほどの怒りとは正反対に恐ろしいほど弱々しく、叩けば簡単に割れてしまう、水面に張った薄い氷のようだった。
志水の痩せた肩に山女の悲しい涙が何粒も落ちていく。自分よりもしっかりした体格の山女が、今はあまりにも弱く、脆い存在に思えた。
「──でも……今だけは、ひとりじゃないよ」
志水は子供をあやすように優しく話しかけ、山女の頭と背中をゆっくりと撫で続けた。それでも山女はまだ、顔も上げられず、広い肩を揺らしては延々と泣き続けた。
さっきまでの苛立ちも、恐怖も、なぜか志水からはすっかり消え失せて、抱き返した山女の──他人の体は、こんなにも暖かいんだなと、妙な安堵すら覚えた。
「──なあ、山女。俺らもクリスマスしようか?」
突然志水は明るい声を出して、微笑みながら山女の顔を覗き込む。
「は? なに……?」
「ひとりぼっちのお前と俺でクリスマスすんの。惨めで、可哀想で、一周回って楽しいかもよ?」
山女はぽかんと口を開け、あんなに溢れて流れていた涙も、驚きですっかりと止まってしまったようだ。
「お前……。俺に何されたか、わかってんの?」
「んー? まあ、でも俺の下のお口はまだ辛うじて無事だしさぁ」
ワハハと、志水はわざと下品に笑ってみせた。無理に引き上げた頬は、赤く腫れていて痛々しい。
自分が志水にした行為は、かつて父親が自分に、志水が大人の男たちに、されてきた事と何ら変わらない。
今更だと後悔しながらも、罪悪感と嫌悪感が身体の中で一気に膨らむ。
「酷い事して、本当にごめん──」
「ううん。俺がお前の大切な家族を悪く言ったのが原因だし。まだ亡くして間もないのにさ、俺こそごめんな。それに俺、意外に頑丈なの! 鉄は熱いうちに打てってね!」
「……それはまた意味が違う……」
「あれ? ヘヘッ、俺、馬鹿だから間違えちった!」
志水の良く言えば前向きな、悪く言えば脳天気な裏のない明るい笑顔に今、救われている自分に山女は気付く。
心は不思議と揺れ、中に懐かしい温度が灯る。
山女は急に吹き出し、笑いだした。初めて見るその嘘のない純真な笑顔に、思わず志水は見惚れ、本当はこんなに優しく笑えるのかと感動した。
「──なあ、山女。今日は俺と疑似家族ならぬ疑似カップルにでもなるか! まずはケーキ買いに行こうぜ、ワンホール!」
「そんな量、2人じゃ食べきれないよ」
「良いじゃん、醍醐味じゃん! それにさ、なんか嬉しくなって買っちゃわない?」
どこかで聞いた、その台詞──。
山女が失くしたばかりの大切な人と、同じ言葉だ──。
「──同じ事、言うんだな…」
山女が切なく眩しげに笑う。それはどこか泣いているようにも志水には見えた──。
「──同じ? 誰と?」
「──教えない」
「ケチ野郎」と、志水は口汚くボヤくと、山女の手を取って立ち上がり「行こう?」と笑ってドアの向こうの世界へ誘う。
山女はゆっくり頷き、その扉へ一歩足を進めた──。
【END】
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