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第45話
松平組の事務所というのは、竜次郎の住む屋敷から車で数分。屋敷の最寄り駅近くの賑やかな場所にあった。
明らかに耐震基準値を満たしていなさそうな四階建てのさほど坪数はないビルで、二階を事務所として使っているようだ。入っていくと室内は煙草で煙っており、正面を陣取る年季の入った応接セットでは男達が花札に興じている。
竜次郎が入っていくと、「お疲れ様です」「お帰りなさい」と親しみのこもった挨拶が飛び交ったが、続いた湊を見て全員絶句した。
「お前らちょっと聞け」
代貸しの一言で男たちは即座に整列した。
パンチパーマ、リーゼント、角刈りドレッド選り取りみどりの見るからに柄の悪い男たちが固唾を呑んだ表情で並んでいる。
そんな彼らに向かって竜次郎はやけに不穏な気配を纏いながら「こいつは俺の女だ」と湊を紹介した。
「これからこいつもここに出入りするようになる。有事の際以外は指一本触るなよ。阿呆が感染るかもしれねえから息もするな。わかったな」
理不尽とも思える言葉に律儀に息を止めたまま、全員こくこくと頷いている。
そんなに言わなくても、とフォローをしかけたが、代貸の権威を損ねることになるといけないと思い、とりあえず黙っておくことにした。
「桜峰湊です。知らないことが多くてご迷惑をおかけしてしまうこともあるとは思いますが、色々と教えていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします」
竜次郎に恥をかかせてはと、できる限りの営業スマイルでぺこりと頭を下げると、男達がざわめいた。
「色々……」「教える……」「おいお前ら何不埒なこと考えてんだ。…手取り足取りとか」「いやいやお前だろ」「今近く通ったときなんかいい匂いしたぞ」「あれが……完全会員制超高級クラブクオリティ…」「どんなサービスが…」
そんな囁き声が耳に届いて、苦笑する。
自分のことは一体どんな風に彼らに伝わっていたのだろう。疑問に思っていると、隣の不穏な空気が更に濃さを増したのを感じる。
「はははお前ら、命はいらないらしいな」
まったく目が笑っていない、背後に夜叉を背負った竜次郎の雷が彼らに炸裂した。
男たちの呻き声を背後に、「こっちに来い」と腕を引かれて、奥の部屋へと導かれた。
「竜次郎、いいの?みんな痛そうだったけど…」
「撫でただけだ。大袈裟に痛がってんだよ」
明らかな打撃音だったと思うが、竜次郎は涼しい顔をしている。
奥の部屋はそう広くはない、窓を背にどっしりとした机と背凭れの高いチェア、それらの前に応接セットが置かれている。
社長的な椅子ではなく応接用のソファにどかっと座ると「お前も座れ」と隣を示す。素直に従えば、首根っこをつかまれて竜次郎の膝を枕に横に寝かされた。
「バリカタの膝枕……」
「低反発だ」
筋肉のついたがっしりした足だ。竜次郎が熱心に筋トレしているところはあまり想像できないが、日頃のボディランゲージ(荒事)の賜物なのだろうか。
枕としてはともかく、くっついていると幸せな気持ちになる。頭を撫でられていると、気持ちよくて眠くなってしまいそうだ。
こんなにまったりしてしまっていいのだろうかと思っていると。
「……恐くなかったか?」
ぽつりと落とされた質問の意図を一瞬捉え損ねて聞き返す。
「え?」
「なんか…ああいうのがだよ」
濁した言葉で気遣いだとわかった。
好奇や性的な視線にさらされることが嫌ではないかと心配してくれているのだ。あと、幻滅されたのではないかという僅かな不安と。
「荒っぽい対応も多いとは思うが、まあ、こういう世界だ。あんまり見たくなきゃ無理してここには来なくてもいい。……ただ、一応奴らに顔を見せておきたくてな」
「大丈夫、嫌な感じはしなかったよ。俺には『SILENT BLUE』で鍛えた胆力もあるし」
少し驚くところはあったが、男達の態度を見て気付いたこともあった。
彼らにとって今の自分は『竜次郎の高校時代の友人』ではなく『高級クラブのキャスト』なのだ。
どう言い繕ったところで『SILENT BLUE』は風俗店で、世間一般的にみると眉を顰める人もいるような仕事かもしれないが、極道である竜次郎の隣にいるのにどちらが違和感がないかで言えば後者だろう。
店では湊はどちらかといえば地味な部類で、「素直さ」や「普通っぽい」というオーダーで指名が入ることが多い。彼らの反応は少し「完全会員制高級クラブ」というバックグラウンドによる補正がかかっている気もするが、それでも「高級クラブのきれいなキャスト」ならば極道の兄貴分のオンナ(性別は彼らが気にしていないのでこの際置いておく)としておかしくないのではないか。
そんなことを思ってかいつまんで話すと、「まったくお前は」と鼻をつままれた。
「お前は昔からそうだよな。弱いのかと思えばいきなり覚悟を決めちまう。進路決めたときもそうだ。進学かと思ってたのに、早いうちにあっさり内定とってきやがって」
「どうしても勉強したいほど好きな教科もなかったからね。母親を…早く解放してあげたかったし」
湊が母親と没交渉なことをよく知っている竜次郎は微かに目を細める。だがすぐににやりと口角を上げた。
「いつもくっついて歩いてたから、お前が一緒に極道になるって言い出したらどう説得するかとか少しは考えたんだぜ」
「それはきっと竜次郎のそばにいるための一番の近道だったから一瞬くらいは考えたかもしれないけど、選択肢には入れなかったかな。俺には絶対に向いてないと思う」
それでも今、巡り巡ってここにいる。
「オーナーに、感謝しないと」
「……………………俺は自分の強運を信じてるからな」
あくまでもオーナーが好きではない竜次郎に、「素直じゃないなあ」と笑った。
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