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第56話

 頭が痛い。息苦しい。  一体どうしたのだろうと反射的に頭に手をやろうとして、手が動かないことに気がついた。  はっとして目を開ける。  そうだ、自分は実家に来て、それから………、 「ああよかった。目が覚めたんだね、湊」  聞こえてきた声に生理的な怖気が走って身を震わせる。  カーテンをしめきり、薄暗い室内で笑う男。 「っ………」  口には粘着テープでも貼られているのか。声にはならずくぐもった呻き声が漏れた。  フローリングに屈んでこちらをのぞきこんでいるのは、かつて義理の父だった男、北街(きたまち)だった。  きちんとした会社員だったはずだが、今はくたびれたワイシャツにネクタイもなく、髪も乱れ、まともな勤め人の風体には見えない。  母と離婚した後一体この男に何があったのか。 「千咲(ちさ)が、電話をしたことは一度もないなんて言ってたから心配したよ。けど、お義父さんのために帰ってきてくれたんだね」  口調は優しげだが、目は血走り、湊の方を向いているがどこか遠くを見ているようだ。  言動にも異常なものを感じてぞっとする。  何故、どうしてこんなことを。  問いかけたいが口はきけない。  ……否、テープが貼ってなくても声が出たかどうか。 「湊……」  少し離れた場所から聞こえてきたか細い声は母親のものだ。  不自由な体勢で首を巡らせると、殴られたのか顔が腫れている。  薄暗いので細かい表情まではよく見えないが、元来大人しい気性の人だ。きっと怖い思いをしているだろう。  今、自分が対応を間違えれば、母は更に暴力を振るわれるかもしれない。  その気持ちが、恐怖心に囚われた心を持ちこたえさせた。 「湊、会いたかったよ。ずっと会いたかったのに、その女が邪魔をして会えなかったんだ」  猫撫で声でうっとりと頰に触れられ、鳥肌が立つ。  邪魔をしていた、というのがどういうことなのか一瞬頭を巡らせたが、この男の頭の中での出来事の可能性もある。考えるべきはこの状況を打開する方法だと思い直した。  何か思いつくまでは怯えて従順なふりをしている方がいいだろう。  演技するまでもなく、体は怯えてこわばっているが。  言動から察するに、目当ては母・千咲よりも湊のようだ。  もしやあの時遂げられなかった本懐を遂げようというのだろうか。  あの時………、 『湊、お前がいけないんだよ。お前がそんな顔をしてお義父さんを誘うから』  今もたまに夢に見る。  罰だと言って伸びてきた手を。生臭い息。欲望に濁った瞳を。  そこには、ただ自分より弱いものを蹂躙することへの歪んだ悦びだけがあった。

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