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第91話
前日の夜まで時間を戻す。
爆破事件が起こる直前の松平組の事務所には、いつものように柄の悪い男たちが無駄にたむろしていた。
暇そうに見せかけて実は仕事中…とかいうわけでもなく、見たまま、暇なのである。
みかじめを集めて回るようなヤクザらしい仕事はなくなって久しい。
松平組の主な収入源は地下カジノの経営である。
地下カジノといっても、対面のギャンブル場からインターネット上のものまで様々だ。
店頭に本業丸出しの組員を置いておくわけにもいかないので、動かせる者をいつでも事務所に待機させておき、有事に備えている……と言えなくもないが、時間を持て余している感は誤魔化しきれない。
昼間は日雇いの仕事に行く者などは朝が早いので休めばいいのに、いつまでも事務所で酒を飲んで花札などに興じている。
小人閑居して不善をなす。
…とはよく言ったものだと、近々オープン予定であるギャンブル場に関する契約書類に目を通していた竜次郎は、眉間に深い皺を刻み暴れ出したい衝動と戦いながら思う。
「そもそも、代貸は毎日毎日やりすぎじゃないですか?しつこい男は嫌われますよ」
「湊さんと兄貴の体力差とか体格差とか少し考えて」
「つーかあんな長時間アレ聞かされてる俺らの身にもなって欲しいんですけど」
「代貸が振られたら俺達の天使が……」
暇つぶし及び酒の肴が上司への文句(しかも本人の目の前で)とはどういう事だと、『俺達の天使』辺りで流石に堪忍袋の尾が切れた。
「うるせえんだよ!何でお前らが説教してんだ!」
ジャガイモのような頭に拳骨を落として回ると、横暴だのパワハラだのと不満が聞こえてくるが、全て無視して乱暴に椅子に座り直す。
過剰に怒ったのは、耳に痛かったせいもあった。
湊が嫌がらないので、ついやりすぎている自覚はある。
ただそれ以上に、湊の様子がおかしいのが気になっていた。
最中に唐突に覗かせた不安は、どこからやってきたのか。
友人とかいう男?との外出中に何かがあったのか、だが、事務所にやってきた時は特にいつも通りだったように思う。
自分が無神経なことでも言ってしまったのか、それとも今置かれている状況への危惧か。
神導にでも何かいらないことを吹き込まれているのか、妙に鋭いことを言ってくることがある。
別れ際にはいつもの湊に戻っていたが、一過性のものだと思わない方がいいだろう。
五年前、竜次郎は自分の方が捨てられたのだと思っていたが、湊は出て行けと言われたこととは別に『好きでいてもらう自信がなかったから』離れることを選んだのだと言っていた。
求めたのは竜次郎の方だったのに、なぜその結論に至ってしまったのかは竜次郎には理解できないが、その不安が払拭できていない可能性はある。
どれほど近しい人間でも、同じ人間ではない以上、その思考を全て理解することは不可能だし、その必要があるとも思っていない。そこをすり合わせていく作業が人間関係の楽しさだというのが竜次郎の持論ではあるが、湊に関しては、早いうちにもう一歩深いところに踏み込まなければ、五年前と同じ轍を踏むことになる気がした。
人の感情は一朝一夕でどうにかなるものではないので、観察と対話を重ねる以外に解決法はないだろう。
「(いつまでもあんな顔させとけねえだろ。またあいつがいなくなったら……)」
その時、爆音が轟き、建物が揺れた。
ただ事ではない気配に全員立ち上がる。
「っ…!?これは……」
「兄貴!」
「狼狽えるな!誰か外の様子見て来い」
「はい!」
浮き足立つ男達に指示を飛ばし、報告を待つ。
「貸元の方にも人を回しますか」
「いや、あっちの方が人員は厚いし日守もいるからまだ動くな。状況が分かり次第俺が連絡する」
話をしていると、男達が戻ってきた。
「駐車場です!うちの車が燃えてます!」
報告によると、怪我人はなく、また近くに可燃物もなかったため、被害は車一台で済んだようだ。
炎上事故などではない、明らかに松平組を標的とした襲撃だが、無関係の一般人に被害が出るかもしれないような場所で仕掛けてくるのが赦しがたい。
「(湊のことで手一杯だっつーのにくだらねー戦仕掛けてきやがって……)」
ギシッと音のするほど奥歯を噛み締めて、竜次郎は未だに姿を見せぬ敵に強い憤りを感じていた。
もたらされた情報によれば、オルカと組んでちょっかいを出してきているのは中国のそれなりに大きい組織だが、ここまでされて相手にしないわけにはいかないだろう。
「まずは親父のところに行く。マサ、お前はここに残って他に被害がなかったかの確認だ。その後の指示は追って出す」
極道の顔になった竜次郎は、マサが頷くのを確認し、椅子にかけてあったジャケットを掴むと、数人の組員を連れて事務所を後にした。
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