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第1話

――耳障りな電子音に目を覚ました。 のっそりと起き上がってスマホのアラームを切る。 目覚ましで起床したのは独身以来だ。 「美鈴ちゃん旅行中なんだよな」 いつもであれば妻の美鈴が優しく起こしてくれる。 小さいことかもしれないが、初めて起こしてもらった時に結婚して本当によかったなと実感したものだ。 大学入学と同時に田舎から上京して結婚するまで独り暮らしをしていたため、よりそう思うのかもしれない。 「二週間帰ってこないんだよな。頑張って起きないと……ふぁ」 そう言いながらも欠伸がでてしまう。 「ま、二週間だけ独身に戻ったようなものだよね。少しくらい羽目を外してもいいか」 左手の薬指にある指輪を外し、サイドテーブルに置いた。 営業で得意先を数件回ったころにはもう夕方になっていた。 駅の前にあるベンチで缶コーヒーを買って一息つく。 金曜ということもあって、駅周辺には飲み会にいくであろう待ち合わせと思しき若者達が多い。 大学生らしき男女が楽しそうに話しているのを見ていると、微笑ましい気分になった。 「(かい)君も友達とあんな感じなのかな」 義理の弟である海生(かいせい)とはつい先日会ったばかりだ。 美鈴と姉弟仲がいいのもあって、よく家に遊びに来る。 兄弟がいないから弟ができたみたいで嬉しいんだよね。 まぁ、僕より背が高いし体系もがっちりしてるから、弟って感じにはあまり見えないだろうけど。 「はーっ、……いけないな」 思考を断ち切るようにため息をつき緩く首を振った。 同じ年頃の男女を見ただけで義理の弟を思い浮かべてしまうなんてどうかしている。 気を取り直し、スマホを手に取ってメールチェックしていく。 「……多いな」 卑猥だったり定型で面白みがないメールをどんどん削除してもそれなりの量が残る。 残ったメールの中から当たりの一通を選び出さなければ楽しい夜は過ごせない。 「砂の中から金を探すようなものだよね。ま、拾えるのは運がよくてガラスの欠片か綺麗な石くらいか」 口ではそう言っても、実際は一夜限りの相手にほのかな期待を寄せてしまう。 セックスが上手い、会話が楽しい、ルックスがいい──そういった相手だっていたのに、決定的になにかが足りない。 これ以外は全て順調で満たされているのに。 鞄の中には新商品のカタログがあり、今日は得意先から大口の注文を取ることができた。 大学の頃から付き合った美鈴は可愛らしい容姿で性格もよく料理も上手な完璧な妻だ。 両親と妻の関係は順調で、自分も義理の家族とうまくいっている。 仕事も家庭もなにもかもうまくいっているからこそ、出会う相手にまで求めるものが大きくなってしまうのだろうか。 「!」 ぽんと肩をたたかれ慌てて振り向くと、肩越しに人懐っこい笑顔を浮かべた海君がいた。 「偶然だね、千早サン」 「か……っ、海君……」 「……あ、わりぃ。メールしてた?」 海生の視線は僕の手元に向けられていて、慌ててスマホを鞄の中に突っ込んだ。 「仕事のメール見てた。ごめんね」 「人のスマホ見るとかしねぇって」 苦笑いしながら海君は僕の隣にどかりと座った。 投げ出された足は長く、だらしない格好にもかかわらず様になっている。 太股に置かれた手は骨ばっていて男の色気を感じてしまう。 ……いけない。 視線を逸らすとこちらを見ている大学生っぽい女の子や会社員風の女性がいることに気づいた。 海君かっこいいもんね。 くっきりとした二重に色素の薄い瞳、薄くて形のいい唇、均整のとれた逞しい体──。 世の女性が注目するのも無理はない。 端正な顔なんだけど荒っぽい印象があるから綺麗よりかっこいい印象なんだよなぁ。 「千早サンはさぁ、まだ仕事あんの?」 「うん。あと一件だけなんだけどお得意様のとこで商談があるんだ。海君は?」 「オレはこれから近くでお姉様達とカラオケで合コン~。本日は女子大生なり」 「えっ、合コ……。お酒駄目だよ」 「はぁ~? 別にいいじゃん」 「お母さんと美鈴ちゃんに言いつけるよ」 海君は僕の目をじっと見た後、諦めたように頷いた。 「わーったよ」 「あと時間は9時までね」 「はあぁぁ!? ヤレねぇじゃん。しかも一番盛り上がる時間なんだけど」 「知ってしまったからには、海君の夜遊びを放っておけるはずないでしょ」 「チッ、声かけるんじゃなかった」 可愛いなぁ。 ふて腐れた態度だけど、実際はそう思っていないのはわかっていた。 お姉ちゃん子である海君は美鈴ちゃんに甘えるような感じで、僕にもたびたびこういうことをする。 結果なんて最初からわかっているのに、わざわざ声をかけてきて合コンと言ったってことはそういうことだ。 「心配だし迎えに行くよ。友達に迎えのことバレなきゃいいでしょ?」 「……」 「金曜だし泊まっていきなよ。僕からお母さんに連絡するからさ」 「んー……」 「美鈴ちゃんいなくて寂しいから泊まってってよ。ね?」 そこまで言うと海君は満足そうに、ニッと笑う。 屈託のない笑顔が可愛くて、どきっとしてしまった。 「まぁ、千早サンがそこまで言うならしかたねぇな」 「ふふ、ありがとう」 「仕事大変だろ。迎えに来なくていいから、9時で終わらせて家行くし」 「えー、夜遅いの心配だよ。危ないし」 僕がそう言うと海君はぶっと噴出した。 「千早サンのがよっぽど危ねぇよッ。ほせぇし、オレよりよっぽど絡まれそうなんだけど」 「そっちの心配じゃないってば。海君は制服着てないと学生さんに見えないし、ここらへん客引き多いから声かけられるでしょ。キャバとか……」 「別に無視するし。それにオレああいうの好きじゃねぇ。派手な子苦手だから無理無理」 ひらひら手を振りながら言う。 「そう? 僕は派手めでセクシーな子わりと好きだけどね……っと、アポの時間があるから行くね」 「おう。んじゃ、後で」 商談先へ向かいながらちらりと振り返ると、海君が見送ってくれていた。 小さく手を振ると振り返してくれて、それだけで嬉しくなってしまう。 外見だけだと怖い印象あるけど、いい子だし可愛いとこもあるんだよね。 そんなことを思いつつ歩いていたら、メール着信音が鳴った。 「今日はいい夜が過ごせそうだから、探す必要はなくなったな」 予定が出来てしまった為、今回の募集はなしで……と記事に書いてアップするとすぐコメントがついた。 「はや……」 また募集するのを待ってる──か。 「……」 喜ぶべきなんだろうが、こういったものを読むと冷めてしまう。 「直前まで海君といたのもあるんだろうな……」 顔も知らない男とセックスしたいが為に募集する自分、それに群がり恥ずかしげもなくメールやコメントをする男達。 彼とは無縁の世界だ。 「本当に欲しい人は目の前にいても手が届かないんだよね。はぁ……、頭を仕事に切り替えないとな」 意識を切り替えるように両手で頬を軽く叩く。 顔見知りの販売員がこちらに気づいたので会釈して店の中へと入った。 外回りを終え会社に戻ると、部署内に残っているのは数人だった。 この分だとすぐに帰れそうだとホッとする。 皆が残業しているときに手伝わず帰るのは気が引けた。 見回して手が空いてそうなアシスタントの女性社員に声をかけた。 「大河さん、発注頼んでいいかな」 「もちろん! 発注書お預かりします」 「ここのショップは火曜納品が多いから木曜着にして欲しいって」 「了解です。……ってすごい発注数ですね~!」 「店長さんがうちの特集してくれるんだ。新商品紹介してたらすごく気に入ってくれたみたいで」 「それ名波さんが商談上手いからですよー。今の時期、他のメーカーも新商品多くて受注とるのにみんな苦戦してますよ!」 「大河さんは褒めるの上手だよね。嬉しくなっちゃうよ。ありがとう」 褒められると照れくさいものの嬉しい。 「はぁあ。名波さん女子に人気あるのわかるわ~」 「えぇ? なにそれ」 「ありがとうって言ってくれるし、物腰が柔らかくて、仕事も出来て、その上かっこいい……」 「奥様がうらやましい! って言ってるコが実は多いんですからっ」 「ちょ、顔熱くなってくる。そんな褒めないで」 両手でぱたぱた顔を仰ぐと大河さんが首を傾げた。 「あれ? 名波さん今日は指輪してないんですか?」 「あぁ、磨いた後に嵌めるの忘れちゃって」 「駄目ですよ~っ。これはチャンスとか思って近づく女子社員が……!」 「肉食いっぱいいますよぉ! バクバクされちゃいますってぇ」 「はははっ、大河さん妄想しすぎだよ。ないないって」 力説するのがおもしろくて思わず笑ってしまう。 普通の声で言うものだから部署の人間にも丸聞こえで、笑いをこらえているのか肩を震わせている人までいる。 「大河うっせぇよ。仕事しろっ。変な話してんじゃない!」 「はぁ~い。……主任ってば昨日の夜に飲みすぎて奥様に大目玉くらったからご機嫌斜めなんですよここまで。」 「おい、聞こえてんぞ! っていうか、なんでお前がうちのカミさんキレたこと知ってるんだよ~~!」 頭を抱える主任に我慢しきれなくなった人が噴いている。 「では、僕はそろそろ退社しますね」 「おう。帰れる時は帰っとけ」 「奥さん旅行なんだろ~。色男、羽目外すなよっ」 「名波さんは主任と違ってキャバクラで飲みすぎとかしませんから」 ニヤニヤ笑っていた主任の顔が固まっている。 まったく女性の情報網は恐ろしいものだ。 「お疲れ様でした~」 あえてコメントを残さずにさっさと退散することにした。 会社を出て足早に駅へ向かう。 「ジュースとお菓子買わないと」 家の近くのコンビニで、海君が好きな炭酸飲料とポテトチップスを買いに行くのが定番。 彼が泊まりに来るときはいつもそう。 テレビゲームに興味なんてなかったのに、彼が好きだからというので買ってみたら楽しかった。 最初のころはへたくそだったが、最近は結構上手くなってきたと美鈴ちゃんにも褒められた。 海君とやる為に練習したんだよね。今日は勝てるといいな。 ゲームをしている時が一番彼との距離が近かった。 肩や腕がふれあってしまうくらいに。 「……。もう6時か」 時計は6時を示しており、時間があるようで短い。 駅は帰る人で溢れ満員電車になるだろうということが容易に予想できた。 彼とふれあう可能性よりも、見知らぬ他人と体をくっつけるほうが確実なんだよな。別にどうってことないけど。 義理弟より他人と体くっつけるほうが安心とか、完全にやばすぎだよね。 「今日は何も考えず楽しく過ごして、明日は溜まったものを吐き出せばいいか」 彼が泊まった後には必ずセックスがしたくなった。 口や中に擦り付けられて、たっぷり精液を出してもらいたい。 「……。やめやめ」 小さく首を振ったら通り過ぎた女子高生が不思議そうな目で見てきた。 挙動不審にならないようにしなきゃ。 何も考えないように、考えないように……と言い聞かせながらホームへ降りていった。 玄関のほうから鍵の開く音が聞こえリビングから覗き込むと、海君が入ってきたところだった。 僕に気づくと軽く手を上げる。 「お邪魔しまぁす」 「いらっしゃい。何か飲む?」 「ん~、ジュースある? 女の前で飲むとカワイーとか言われるから、コーヒーしか飲んでねぇの」 「あるよ。用意するからリビングのほうで待ってて」 廊下の先から歩いてくる海君からさりげなく離れるようにキッチンのほうへと向かう。 ゲームは横に並ぶから近くでも顔をそんなに見ることはないけれど、なにもしてないときはそうはいかなかった。 美鈴ちゃんがいない時に海君が泊まるのはじめてだし、やっぱ動揺してるな……。 泊まってくれるのはすごく嬉しいし自分から言い出したことだが、いざ二人きりになるといつもみたいな気持ちではいられないようだ。 「もう風呂入ったんだ」 「っ! び、っくりした」 キッチンでコップにジュースを注いでいたら真後ろから声をかけられびくついてしまう。 撥ねたジュースが軽く手にかかった。 「わり。そんなびっくりすると思わなくてよ」 「謝らなくていいよ。僕がぼーっとしてたから」 水道の蛇口を開き手を洗う。 冷たい水のおかげだろうか、少し落ち着いてきた。 「ボディソープとシャンプー。すげぇいい匂いする」 「僕はあんまり詳しくなくて。美鈴ちゃんが好きで集めてるの使ってるだけだよ。海君もお風呂入ったときに使ってみなよ」 「オレはこういう匂いあわねぇって。好きだけどさ。千早サンにはすげぇ合うなぁ」 首筋のほうに顔を近づけてすんすん嗅いでくる。 「ちょ、海君ってばやめてよ。髪があたってこそばゆい」 笑いながら押しのけたものの、内心どきどきだった。 落ち着いたり緊張したりの差が激しくて心臓に悪い。 「カラオケってさぁ、席近いじゃん。隣の女が香水くさくて、うんざりしたわ」 「少し香るくらいがいいよなぁ。は~……、いい匂い」 押しのけたのに腕をつかまれ、また嗅いでくる。 少しでも動けば唇が彼の顔にあたってしまうくらい近い距離だ。 「お風呂入ったとき嗅げばいいじゃない。男の匂いなんて嗅いでなにが楽しいんだか」 心にもないことを呆れた口調で言うと、海君は顔を上げ僕をじっと見つめる。 間近で好みのイケメンに見つめられて平気でいられるわけもなく、視線があっちへこっちへうろうろしてしまった。 「だよなぁ。義理でも兄ちゃんだからかな。千早サンだとついやっちまうんだよなァ」 いくら惹かれようが、タイプであろうが、可愛い義理弟なのを自覚せねばならない。 「ちょっとゆっくりしたらお風呂入って。その後、ゲームしよう」 「おっ、い~ねっ!」 「今日の話聞かせてよ。可愛い子いた?」 リビングのほうへ移り、今日会ったことや他愛無いことを話した後、海君は風呂に入った。 一人になった僕はスマホで出会い系の掲示板をチェックすることにした。 「募集して無理ってしちゃったから、逆に募集してる人のとこにメールしようかな」 目線がはいった写真をスクロールして見ていき、いいなと思った人のプロフィールをチェックする。 SMは駄目、タチ募集は論外、女装は苦手、援交は無理……。 ムキムキは好みじゃないけど、それなりにしっかり筋肉がついてるといい。 強面系は苦手だけど、ちょっと荒々しいくらいのは好き。 それでいて可愛いとこもあると…… 「……違うタイプにしよう」 中肉中背の真面目そうな会社員風の男に決めてメールを打つ。 人気がありそうなタイプだろうから、選ばれるかはわからない。 「駄目だったら、募集記事書こう」 スマホをテーブルに置くとソファの上で寝転がる。 「……わ」 バイブに慌ててとると、募集した相手から返信が来ていた。 『メールありがとうございます。明日、会いましょう。場所と時間は……』 「Mホテル近くの公園に夜の8時か」 相手が指定した待ち合わせの場所と時間で問題ないと返信し、再度テーブルの上に置いた。 「上手いといいな」 「なにが?」 「わっ。で、でてたの……」 「おー、気持ちよかった。あわねぇと思ったんだけど使っちゃったよ。嗅いでみ」 寝転がってる僕のほうに体を傾けてきてどきまぎしてしまう。 まるでキスでもされそうな体勢だ。 ふわりと香るのは確かに自分が使ったもので、嬉しいような切ないような不思議な気分になった。 「風呂入った直後はけっこう香りがするね。うん、いい匂い」 「ん~でも、千早さんのとなんか違うんだよなぁ。なんだろ。体臭とかそういうのもあんのかな」 「あっ、冷たっ……。も~まだ濡れてるとこあるよ」 水滴が顔に垂れてきて手の甲でぬぐう。 海君の首にかかっていたタオルをとり、髪を拭いてやると気持ちよさそうに目を閉じる。 撫でられて気持ちよくなってる獣みたいで可愛い。 「千早サンが姉ちゃんの旦那さんでよかった。優しい兄ちゃんできた感じでさ」 「ありがとう。海君にそう言ってもらえるとすごく嬉しい」 「へへ……、なんっかこういうの照れるな」 照れくさそうに笑うと、年頃の子に見えて微笑ましかった。 海君って外見は大人っぽいからなぁ。 「恥ずかしいからオレと千早サンの秘密にしといて」 「わかった。二人の秘密だね」 子供の約束みたいでくすぐったい気持ちになる。 「約束だぜ。オレは約束破ったり、裏切ったりっての大嫌いなんだわ」 「うん。わかったよ」 家族や仲間の絆を大切にしているのは知っている。 周囲の人々のことをよく話題にしていることからも窺えた。 自分が彼の周りにいる一人だというのが誇らしくなるくらいだ。 「ゲームしよっか。姉ちゃんから千早サンうまくなったって聞いたから楽しみなんだな~」 「海君に比べると全然だけどね」 「でもパズルゲームみたいなの上手いじゃん。オレさぁ、ああいうの苦手なんだよねぇ」 「へへー。唯一得意なんだよね」 「コツ教えてよー」 「えっ、コツ……コツかぁ。うー…ん、なんだろう……。こう画面全体を見るようにして~……ん~、あとあるかなぁ……」 「はははっ」 ぶつぶつ言いながら考えていたら海君が僕を見て笑った。 「はは、ぶつぶつ言っておかしかったかな」 「いんや、違うってー。そうじゃなくて、千早サンってこんなことでも真面目に考えてくれて、マジいい人だよね」 「そ、……そうかな。普通だと思うけど。ありがとう」 「ほ、ほら早くやろ」 「千早サン、耳まで赤いんだけど。照れてんだ。カワイイなぁ」 さっき照れてた海君だってすごく可愛かった。 口に出したら余計なことまで言ってしまいそうで、心の中で呟いた。 僕と海君はゲームをしたり話をしたりして、うっすらと外が明るくなってからようやく就寝した。 現在、Mホテル近くの公園。 時刻はPM7:40。 人通りもなく静かで秘密の待ち合わせには適していた。 「待ち合わせまであと20分か。……噴水近くだったな」 公園の入り口近くにある自販機で缶コーヒーを買って噴水のほうへと向かった。 のんびり待つかと思い向かったら、相手らしき男がすでに噴水の縁に腰をかけている。 掲示板にあった写真は目線を隠していたが、髪型や輪郭からするとほぼ間違いないと思われた。 今回は運がいい。ガラスの欠片や石なんてもんじゃないなぁ。 涼やかな目元、すっきりとした体系が目を引くなかなかの男前だ。 プロフィールにタチ専だと書いてあったが、ネコとしても人気になりそうだった。 ガタイのいい人にガツガツやられるのが好きなんだけど、海君思い出しちゃうしね。違う感じの人で選んだのは正解かも。 「あの、すみません。ユタカさんですか?」 僕が声をかけると相手は弄っていたスマホから慌てて顔を上げた。 「! は、はい。ナチさんですか?」 僕は自分の氏名から一字ずつ抜いてナチというハンドルネームをつけていた。 「はい。こんばんは。今日はよろしくお願いしますね」 「ナチさんすごい素敵だから、緊張して」 「僕もしてます。どうしましょうか。とりあえずどこかで先に飲みにでも……うわっ」 ユタカさんは急に僕の腕をつかみ、胸に抱き寄せた。 「!」 「俺はっ、やっとあなたと会うことが出来たんです!」 「あ、あの……ユタカさん……」 こういう風に抱きしめられるとドキドキしてしまう。 「やっとってどういうことですか?」 「あなたが掲示板で募集するたびに俺メールしてたんです」 「だから今回、俺の募集でメールしてくれてすごく嬉しくて」 「実は俺……、昨日もナチさん募集してた時にメールしちゃって。ほら。掲示板にも書き込みしましたよ」 抱きしめていた手を外すとスマホ画面を見せてくれた。 昨日、『また募集するのを待ってる』と書き込んだのはユタカさんだった。 あの時冷めてしまうと考えたことに罪悪感を持った。 こんなに自分に会いたいと思ってくれて、実際会えたら会えたで喜んでくれている。 本当のところ会うまでどんな人かもわからないのに、あんな風に考えるなんて僕は最低だ。 「ありがとうございます。気に入っていただけるとこあったならよかった」 「目線あるけどナチさんのプロフ写真見て絶対タイプだよなって。あと趣味とか。俺もゲーム好きで」 趣味のない僕は思い浮かばなくて海君が好きだからゲームって書いてしまったんだけど、最近よくやるからそれはそれでよかった。 「いっぱい話したいけど、俺そこらへんの店はいったら変なこと言っちゃいそうで。他人には聞かれたくないし」 「すぐホテルとか引きますか? その、カラオケでもいいし」 「ふふっ、別にホテルでいいですよ。だってそういう目的で僕はメールしたんですし」 「あ、あ。そうですよね。俺なに言ってるんだろ。すみません」 「謝らないでください。そんなに気を使ってもらわなくて大丈夫ですから」 ぺこぺこ頭を下げるのをとめると恥ずかしそうに笑っている。 なんかいいな。こういうの。いつもとは違うな。 「行きましょうか」 「はいっ」 ユタカさんと僕は和やかに話をしながらホテルへと向かった。 ホテルはパネルで部屋を選ぶタイプで、あまりけばけばしくないビジネルホテルのようなタイプの部屋に決めた。 「203……203……」 「ナチさんここみたいですよ」 「ありがとうございます。鍵開けますね」 「はーい……っ! わっ!?」 「!?」 ダンッと大きな音に慌てて僕達は振り向いた。 強く壁に拳を叩きつけてこちらを鋭く睨む猛獣のような姿が目に入る。 「千早サン。なぁ~にやっちゃってんの?」 「か……、海君……」 「えっ、なに……。彼氏……とかなんですか」 「へぇ。そう聞くってことはぁ、あんたは千早サンの彼氏じゃないってことね」 「俺は……その……」 僕と海君の関係性がわからない為、ユタカさんは答えるに答えられない。 この人を巻き込むわけにはいかない。 「この人は出会い系で知り合って今日初めて会う人。僕が既婚者だってことも知らないんだ」 「だから帰ってもらっていいよね」 「既婚者……なんですか……」 結構な割合で夜の相手を募集している僕が既婚者だと思わなかったらしく、海君が現れたときよりもショックを受けたような顔をしている。 「いいよ。千早サンのスマホを昨日チェックしたからそいつはシロってわかってる」 「適当に相手さがしてよ。おにいサン」 「……はぁ、信じらんねぇ。既婚者であんなに遊んでるとかマジ最悪だわ。見た目とぜんぜんちげーのな」 ユタカさんは吐き捨てるように言うと、足早に去っていった。 ラブホの廊下に海君と残された僕はどうしていいかわからず、平静を装ってはいたが内心おろおろしていた。 どうしよう。どうすればいいんだ……。 「こんなとこで話すわけに行かないし。とりあえず入ろうぜ」 「うん……」 パネルで見たとおり部屋はシンプルだ。 ギラギラしたものを選ばなくてよかったと、どうでもいいことを考えてしまった。 海君は大きなベッドの上に胡坐をかいてどっかり座ると、僕に手招きをし、座るように指示をする。 「……海君。ごめんね」 「千早サンって簡単に約束破るんだな。昨日のオレとの話でやめてくれりゃよかったのによ」 「あのときに気づいていたの?」 「指輪外してたじゃん。姉ちゃんが旅行に行って外すとか遊ぶ気満々だろ。あの時から怪しいって思った」 冷静に話していた海君が突然僕の両肩をつかみ間近で怒鳴った。 「ふざけんなよ! あんたなにしてるかわかってんのか!?」 「姉ちゃんになんて言えばいいんだよ!? なぁっ!」 僕は何も言えずただ項垂れるだけだ。 あの状況で言い訳できないのもあったが、海君相手にそういうこともしたくなかった。 「……」 「平然とした顔でオレとゲームやってたじゃん。千早サン寝た後にスマホ見て混乱しちまった」 「やましいことなんてなーんもありませんってツラしてさ。意味わかんねぇ」 「どうなってんだよ、マジで……」 僕の肩を強く掴みながら搾り出すような声で言う彼は本当に辛そうで胸が苦しくなってしまう。 「海く……っ、うっ……!」 肩を掴んでいた手が僕の首を掴み圧迫してくる。 爪をたてられ息をするのも声をだすのも苦しい。 「眼鏡も外して色気づいた格好しちゃって、男のクセに男誘ってさぁ。これがオレの大好きだった千早サンの本性ってわけか」 大好きだったと過去形になっているのは当然のことなのに、それを聞いて身が竦んでしまった。 馬鹿なことで海君を裏切ってしまった……。 「んぐ……、…うぅ……」 「苦しそうな千早サンってマジ色っぽいのな。誰にでも股開いちゃう奴ってきめぇって思ってたけどさァ……」 「あんたの顔は悪くないな。なんかエロいわ」 苦しさに目を閉じていた僕は薄目を開いて海君のほうを見た。 ギラギラと強い眼差しで睨みつける彼は獰猛で荒々しい獣のようで強い牡を感じさせる。 「ごほっ……ごほっ、ぅ…っ、ぐ………」 やっと手を離されて咳き込む僕を、海君は蔑むように眺めている。 冷たく見下されたような目つきでさえも、彼の視線は僕の牝の部分を否応なく昂ぶらせてしまう。 「姉ちゃんは結婚するなら千早サンだけ。捨てられたら一生結婚しないってオレによく言うわけさ」 「千早サンがだーい好きなわけよ。オレはそんな姉ちゃんがだーい好き。その千早サンは姉ちゃんだけじゃ不満で、夜な夜な男を誘い食い散らかしてるわけだ。オレとしては千早サンが可愛い姉ちゃんという嫁がいるくせにホモで男とヤッてる。そんなクソな理由で、姉ちゃんを悲しませたくないのね。わかる?」 「うん……」 「出会い系で不特定多数とヤリまくって、姉ちゃんに病気移されるのもたまったもんじゃねぇしさ。でも千早サンみてぇに夜な夜な男を誘いまくってヤリまくりのケツマンコにやるなっても無駄じゃん?」 「海君、僕はもう……っ」 海君に知られてしまった以上、あんなこと続けようとは露ほども思っていなかった。 だが彼はそんな僕を鼻で笑うと冷たく言い放つ。 「約束破るのも裏切るのも嫌いって聞いた数時間後に、見知らぬ男と出会ってナニしようとしている奴の言うこと誰が信じんの?」 「……っ」 「俺の言葉よりちんぽ咥えるほうが大事っしょ。ネコって書いてあったよねぇ。オレだって挿れられるほうってくらいわかるし」 「人が泊まりにきてるのに盛って男にメールしてんだぜ。さすがにオレも呆れたわ。そんなにハメて欲しいのかよって」 「……」 「オレはさぁ姉ちゃん泣かせたくねぇし、股の緩さ以外は千早サンのこと気に入ってるわけ。ま、致命的な欠点だけどさ」 「今までどおりってわけにはいかないけど、やり方かえりゃいいよな」 海君はそんなことを言いながら僕の顔を覗き込むと、いきなり唇にキスをした。 「な……っ、なにして……!」 「んー、気持ち悪くないし。こんならイケるか」 呆然とする僕に海君は決定事項のように宣言した。 「オレが相手してやるから、男漁りやめろよ」 「だ、駄目だよ……! そん…、…っ」 海君は僕の顎を掴むと間近でじいっと見つめてくる。 「お股ユルユルの千早サンの管理はオレがしてやるって言ってんの。そう言えばわかる?」 「……」 目の奥に暗い炎がちらつくように感じられるのは、彼の怒りが相当なものだからだろう。 「まずはスマホのメアド変更と出会い系のアカウント削除からしないとね」 「うん……」 「千早サン。今度こそ約束破ったらオレあんたのこと絶対赦さないから。それだけは憶えておいて」 「……。わかった」 「今までの罰と躾はきちんとしないとねー。でもオレはちゃんと飴もあげるから」 「一人息子の千早サンが新婚のくせに男にハメられまくってましたなんて、千早さんのお父さんお母さんだって知りたくないだろ」 「オレの言うこと聞いてるのがあんたにとってもみんなにとっても一番いいから」 美鈴ちゃんや両親に心配かけたり、辛い思いをさせたくない、ただでさえ男とセックスしていることで罪悪感があるんだ。 それに海君とこんなことがあったのも、これからのことも美鈴ちゃんに知られるわけにはいかない。 海君が姉の美鈴ちゃんを大切に想うように、美鈴ちゃんも彼のことを大切に想っているんだ。 僕が彼の言うことを聞いてれば、何も壊れない……。 この日から、僕と海君の奇妙な関係がはじまった。

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