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第1話
桜の下には鬼がでる。
昔、目の見えない兄からそう聞いた。
愛していたんだ。
俺は誰よりもアンタを愛していた。
いや。
今も俺はアンタを愛している。
明治2年(西暦1869年)5月10日。
俺は函館・五稜郭にいた。
新政府軍との戦いは最終局面を迎えて
いた。
おそらく、この戦争は俺たち(旧幕府軍)が敗北するだろう。
金も兵器も人員も何もかも新政府軍のほうに利がある。
それでもだ。
必要な策を考える必要があり、俺はそれを考えていた。
俺は軽い頭痛を覚え、俺は一息いれるために、窓から外に視線を向けた。
桜の花が咲き乱れていた。
木の近くで見たい。何故かそう思った。
俺は立ち上ると、上着を羽織り、桜の木の元に向った。
俺は導ひかれるように、桜の木へと向っていた。
桜の木へ向う道すがら、俺は昔を思いだしていた。
俺の生まれは多摩の百姓だ。
14~17までは、商家に奉行にはいたが、武士への憧れが捨てきれず、多摩に戻り、実家の薬を売りながら、様々な江戸の道場で己の剣の腕を磨いていた。
自分より剣が弱い奴が大嫌いだった。
そんな俺が、どういう訳だか、京都に行き、新選組の副長となり、今では函館政府軍の陸軍奉行並とは。
皮肉なものだ。
桜の木の下に到着すると、俺は再び桜の木を見上げた。
「あいつらが生きていたら、やれ花見だと大騒ぎだったろうに」
そう呟くと、思わず笑ってしまった。
かつての仲間達は、ほとんどと言っていいほど、黄泉路へ旅立っていた。
近藤さんは板橋処刑場で斬首。沖田も、近藤さんの後を追いかけるように亡くなった。
原田は上野戦争で死んだと人づてに
聞いた。
山南さんは・・・
「俺が殺した」
毎年一緒に桜を見る約束をしたのに。
俺が殺したんだ。
俺は誰より山南さん、アンタを愛していたのに。
俺はアンタに死を命じた。
そして沖田の大和守安定が舞って、アンタの首が落ちた。
まるで椿の花のように
あの時。
かなうなら、俺もアンタと一緒に死にたかった。
でも、もういない。
ふと、隣に人の気配を感じ、俺はそちらに視線を向けた。
鬼がいた。
最も愛した姿の鬼が、あたり前のように、俺の隣にいた。
山南敬助。
俺の魂の半身。
初めて俺が愛した男でありながら、俺がその命を奪た男。。
死ぬ前と変わらない笑みを浮かべ、俺の隣にいた。
髷を結わず黒く長い髪を1つに束ねた姿。
細の着物と袴。
切れ長の瞳。
口元には皮肉げな笑みを浮べていた。
そのすべてが過ぎ去った昔の姿だった。
不意に兄の言葉を思い出した。
「桜の下には鬼が出る」
構うものか。鬼だろうとも。
忘れた事などなかった。
愛しくて恋しい姿のままだった。
「仏の副長がなんてザマだ」
俺の言葉に山南さんは楽しげに笑った。
「俺を殺しに来てくれたのか?」
「バカを言うな。土方」
俺の言葉に苦い表情を浮べ、山南さんは否定した。
口を開けば、皮肉が出るのは、俺の悪い
癖である。
そんな俺に対して、困ったように笑う姿は、生前と変っていなかった。
幻でも良た。今1度、その姿に触れる
ことができるのなら。
俺は目の前の山南さんの手首を掴むと、そのまま引き寄せ、抱きしめた。
山南さんは、笑みを滃たまま、俺の動きに従い、そのまま俺の腕の中におさまった。
俺より少し背が低くて、細身の身体。
山南さんが好んで使う香のかおりがした。
生前との唯一の違いは、額から生えている角だけだろう。
「桜の木の下に出る鬼は人を喰らう」
目の見えない兄の言葉を思い出した。
構うものかと、俺は笑みを深くした。
「こうして、アンタと桜を見るのも、今年で最後になりそうだ」
俺の言葉に、山南は否定しなかった。
「でも、いいや。アンタがこうして側にいるのなら」
アンタが仏だろうと鬼だろうと、もう、どうでもいい。
覚えているか?
俺とアンタの出会いも、今日と同じ桜が咲いていたなあ。
あれは、俺が試衛館に入門する前の年で薬売りとして、江戸の道場を行商していた時だったなあ。
安政5年(西暦1859年)4月
俺は江戸にいた。
丁度、北辰一刀流の道場に薬の行商に来ていた。
何年か前の黒船来航がきっかけとなって、日本中がだんだんと、きな臭くなっていた。
やれ尊王だ。やれ攘夷だ。天謀だと騒がしかった。
そのせいだろうな。幕府のおエライさん達は、武士に武芸を学ぶように命令して、剣術道場への入門希望者が増えてきたころだった。
今、思うとバカらしい命令だよなあ。
武士とは「戦う者」だろうに、なんでそんな命令がでる時点で、すでにおかしいよな。
まあ、昨日まで竹刀を握ったことがない連中が、いきなり握って稽古なぞしてみろ。 ケガするのは、当り前だろ?
ケガをすれば、傷薬が必要となる。薬の
行商をしている俺には願ったりだった。
まあ、たまにだが俺の稽古がてら、道場の師範代にケンカを売って、たたきつぶし、口止め料の変わりに薬を買い占めさせるといった事もやっていたがな。
「あ~仕事なんざしたくねえ」
寒い冬がどうにか過ぎ去って、ようやく日ざしがやわらかくなってきた頃だ。
神田川の桜も三分咲きといった所か?
俺は仕事をさぼって、神田川のほとりで
釣りをしていた。
正直、こんな日はやる気が起きない。
後でどっかの道場の師範代にケンカ売って、たたきのめして、薬買い占めさせればっかと考えていた。
釣り竿の様子を見ながら、そんな事を
考えていた時だ。
川の対岸で、2人の武士か争っていた。
(何やってんだがいアホらしい)
まあ、ここまでは良くある光景だった。
だが。
(おいおい・・・刀を持ち出すことはない
だろう)
ザン。
口論していた二人の男のうち、若い男は立ち去ろうとしていた男の背を、刀で斬りつけたのだ。
相手の男はくずれ落ちるように倒れた。
背を斬りつけた若い男は、血を見て半狂乱になったのか、その場から逃げ出した。
俺は、釣り竿をそのままにして、川の
反対側へと走った。
こう見えて、俺は武士が嫌いだ。
だったら、今の俺はどうなんだあと、言う
奴もいるだろう。
正確には身分を笠に着て、百姓達を虐げる【武士もどき】が大嫌いだった。
倒れている男の元へ向う途中、男を斬った若い男に出くわした。
俺はその若い男に足払いをかけ、すっ
転ばせた。
そして、地面に倒れこんだ男の頭を、そのまま踏み潰した。
「ギャア」
悲鳴を上げた男を、俺はじっとにらみつけた。
俺の目を見た若い男は、何故が俺を見たままガタガタとふるえだした。
俺は男の目を見たまま、懐はから脇差しを取りだし、鞘を抜いた。
これは俺が護身用として持ち歩いている
脇差しで、古道具屋のオヤジによれば
堀川国広ものらしい。
まあ、使えれば銘などどうでもいいが。
俺は脇差しをふり上げると、すっ転んだ
男の顔の横につき刺した。
殺してやろと思っていたが、ガタガタおびえる男に、殺す価値などないと思いなおしてしまったからだ。
「...ありゃ」
目の前の男は気を失っていた。
忌々しい。
ああ、イラいく。
俺は懐にしまっていた縄を取り出し、男の手足を縛りつけた。
奉行所に叩き出すつもりでいたし、この
男に斬られ、死んだ男の供養をするのに金が必要だと思ったからだ。
俺は男を縄で縛り上げると倒れている男に近づいた。
あれ?もしかして。
俺は倒れている男に近づき、手首を掴ん
だ。
そしてそのまま、脈を確認する。指先から拍動を感じた。
次に男の懐をくつろげると、そのまま胸に耳をあてた。
(・・・生きている)
死んだと思っていたが生きている事に
安堵の息を漏らすと、俺は男を止血をして
やり、近くの医者へと走った。
医者の話によれば、出血は派手だが命
に別状はないとのことだった。
・・・・・・そりゃ、頭を斬られば、出血はひどくなるだろうなあ。
俺は行きつけの宿で男の様子をうかがいつつ、窓から桜を見ていた。
すでに夜となり、月が浮かんでいた。
何気なく、男の方に視線を向けると、男はじっと俺の顔を見つめていた。
そんなに見つめられてもな。
かわいい娘さんならうれしいが、男に見られてもなあ。
「目が覚めたようだな具合はどうだ」
「...痛い」
「そりゃ斬られたんだ。痛いだろうよ」
「えと・・・あなたは」
「アンタが斬られた所を目撃した、ただ
の薬屋さ」
男は起き上ると、俺に向って頭を下げた。
「ありがとうございます」
「あたり前の事をしたまでさ。所で、アンタ、家はどこだ?送ってやるよ」
俺の言葉に男は何故か首をかしげた。
頭に巻いた包帯が痛々しいなあと思いながら、俺は男の言葉をまった。
「それが、江戸のどこに住んでいたのか、思い出せないのです」
「え?」
「生まれは仙台なのですが、自分が江戸のどこに住んでいたのか、思い出せないのです。いや、面目ない」
「へ?思い出せない?」
男はうなづく。
「さらに悪い事に自分の名前も忘れてしまったようです」
それを聞いた俺は、正直、途方にくれた。
(どうすりゃあいいんだよ)
長い髪を1つに束ね、切れ長の瞳は穏やかにこちらを見ていた。
「・・・・・・アンタ、俺を警戒しないのかい?」
「何故です?」
「俺がアンタを斬った犯人かもしれない
んだぞ」
「なるほど、そういう可能性もありますねえ。ですが、君は違いますよ」
「どうしてそう思う?」
「勘ですかね」
「勘ねえ・・・・・・にしてもだ。名前まで忘れちまったとはい驚いたぜ」
俺は右手で自分の顔を覆い、考えこんでしまった。
ぐう。
どこからか、音が聞こえた。俺は音の発生源である男を見つめた。
「メシ、食べながら考えるが・・・・・・とりあえず、アンタの事は、【山南さん】て呼んでいい」
「【山南】ですか?」
男の言葉に俺は頷いた。
俺の趣味は句作である。男を見ていて、ある句が頭を過ぎった。
「水の北山の南や春の月」
下手だと笑いたければ、笑え。
ただ、この句を作った時に見た月と、目の前の男の印象が、何故か重ったのだ。
「名前の由来は?」
「俺の知り合いが作った句からとった」
「わかりました。何から何までありがとう・・・・・・えっと」
そう言えば、自分の名前を名乗っていなかった。
「土方。土方歳三。多摩の薬売りさ。山南さん」
それが、俺たちの出会いだった。
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