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新生活
「明日はようやくふたりきりでゆっくりできるね」
一畳風呂に男ふたりで浸かり、後ろから俺の腹に腕を回す幼馴染が言う。
「何しよっか。DVD借りてきて部屋で映画見るのもいいよね」
「うん……あ、俺明日18時から親睦会」
「それ、俺も行っちゃだめ?」
「何でコタがうちの大学の親睦会に来るの。だめでしょ」
「え~じゃあ、帰りの時間と場所教えて?迎えに行くから」
過保護な幼馴染と2DKの部屋でルームシェアを始めたのは、まだたったの2週間前のこと。大学の合格発表から喜びを分かち合う暇もなく、部屋探しに引越し準備、入学したら入学したでガイダンス等、慌しい日々が続いていた。
コタこと佐々木小太郎とは小学校に上がる前からの付き合いで、家は隣同士。一昨年告白され、付き合うか友達やめるかという究極の選択を迫られた末、付き合うことを選んだ。本当は一緒の大学に行こうと約束していたのだが、俺の学力が及ばず別々の進路を辿った。ルームシェアをすることになったのには、こんないきさつがある。
天は二物を与えずということわざがあるが、小太郎は二物も三物も与えられた男で、顔もよければ頭もよく、運動もできて人格者という出来過ぎた奴だった。頭のいい奴が偏差値の高い大学を志すのは当然のことで、俺も、高2の夏から塾に通い始めたりと小太郎に追い付くための努力はした。高3の夏頃だっただろうか。小太郎が俺以上に俺の成績に過敏になり、通知表の内容やテストの結果に口を出してくるようになった。小太郎はまめに俺の勉強を見てくれて、家庭教師のような存在だったから最初はありがたく聞いていた。しかし、俺なりに焦りもあってだんだん小太郎の小言が鬱陶しくなっていく。耐え切れなくなって爆発したのは、高3の秋。些細なことで口論になった。甲斐甲斐しく湯船の湯を手ですくっては俺の肩を撫でている小太郎からは想像が付かないが、当時小太郎も相当ストレスが溜まっていたのだろう。自分のことだけで精一杯だっただろうに、俺の成績が悪いのは自分の責任とまで思い込んでいたに違いない。滅多に喧嘩をしてこなかった俺たちが初めて怒鳴りあいの大喧嘩をした。小太郎のお母さんが心配して部屋を覗きに来て、見かねて仲裁に入った。これを機に、今一度進路を見直すことになった。俺が小太郎と同じ大学を志したのは、小太郎との約束を果たすため他ならない。俺が現実的に進路変更を考え始めると、小太郎はレベルを下げてでも俺と同じ大学に行くと言い出した。ルームシェアを提案したのは、小太郎のお母さんだった。何としてでも息子の進路変更を避けたいおばさんの苦肉の策だったのだろうが、同じ大学に進学することとルームシェアをセットで考えていた小太郎は簡単には首を縦に振らなかった。それから、おばさんは根気強く小太郎を説得してくれたのだと思う。小太郎は第一志望の大学に合格し、俺は自分のレベルに見合った大学を受験し、合格した。もしも大喧嘩がなかったら、例え同じ大学に合格できていたとしても俺たちの関係は解消していたかもしれない。
風呂から上がってソファで寛いでいると、首から掛けていたタオルでガシガシと頭を拭かれた。それから、頼んでもいないのにドライヤーを用意してきて髪を乾かされる。小太郎の指が気持ちよくてうとうとしてきた頃、ドライヤーの音が止んだ。
「はい、終わり。タマちゃん先にベッド行ってる?」
「んー」
慣れない環境からの疲れと小太郎に甘やかされている心地よさから、すぐにはソファから動けずにぼんやりしていた。
「タマちゃん」
どうせまた、ベッドへ行けという催促だろう。越してきてからまだ日が浅いが、俺はすでにここで3度寝落ちしている。背凭れに両手を乗せた小太郎が上から顔を覗き込んできた。
「あのさ、今日……いい?」
予想していた言葉と違って、目をパチパチさせる。
「……いいよ」
「じゃあ、髪乾かしてから行くから寝ないで待ってて」
くしゃくしゃと髪を撫でられ、居た堪れなくなってソファを立った。小太郎の顔を見ないようにして自分の部屋へ向かい、ごろっとベッドに横になる。それぞれひとつずつ部屋が割り当てられていて、本来ここは俺の部屋になるのだが、小太郎が入り浸ってすでにどちらのものかわからなくなっている。それにしても、小太郎はどんな顔をして俺を誘ったのだろう。逆光で小太郎の表情がわからなかった。どうも落ち着かなくて、小太郎が来るまでの間、何度も何度もゴロゴロと寝返りを打った。
ドライヤーの音が止んで少しすると、小太郎が部屋に姿を現した。一直線にベッドへ向かってくると、俺の上に馬乗りになる。
「待った?」
「……待ってない」
「そ?」
小太郎が見透かしたようにふっと笑うと、かぁっと顔が赤くなるのが自分でわかった。顔を隠そうとしたら、それよりも早く手をベッドに押さえつけられて阻止される。
「期待してたんだ」
「してない」
「じゃあ、ご期待に沿えるよう頑張らないと」
童貞のくせに、この余裕はどこからくるのだろう。小太郎の顔がゆっくり降りてきて、ぎゅっと目を閉じた。遠慮がちに、ちゅ、と口付けされる。
「くち、あけられる?」
薄く目を開くと、先程まで余裕の微笑みを浮かべていた小太郎が、別人のように切羽詰まった顔をしていた。薄く口を開くと、小太郎の顔が近付いてきて唇が重ねられる。余裕のない表情とは裏腹に、小太郎のキスは優しい。唇の間から舌が侵入してきて、浅いところで舌を絡めた。俺の手首を押さえていた手の指がすりっと手首を撫で、なぞるようにしながら上に這い上がってくる。手のひらを爪でくすぐってから、きゅっと指を絡ませて手を繋ぐ。小太郎が変な触り方をしてくるから、嫌でも指先にまで意識が集中してしまう。
「んっ……ンン」
息ができなくて苦しくなってくると、助けを求める前に小太郎の唇が離れた。指を解き、俺の前髪を上げてにきびが気になり始めたおでこにキスをする。それから眉間、目尻、鼻、頬、唇を避けて顔中にキスをした。息を整えるどころか息が上がる一方で、下半身がズボンと下着を押し上げながらもどかしさにピクピク震えていた。
「タマちゃん、俺の触って」
はぁ、とひとつ息を吐いた小太郎がズボンと下着を一気に太ももまで下げた。完全に勃起している小太郎の性器に釘付けになり、すぐに目を逸らして右腕で顔を覆った。無防備になった隙に、俺のズボンと下着はいとも簡単に小太郎によって取り払われる。足を開かされ、敏感になった俺の性器に小太郎の熱く猛ったものが重ねられた。右手を掴まれて2本の性器を握らされると、小太郎がゆっくり前後に腰を揺らし始めた。すぐ耳元で聞こえる小太郎の吐息と、ベッドの軋む音。右手に重ねられた小太郎の手の力強さと、手のひらから伝わる熱。とにかく恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。
「んっ、あっ、あっ、やっ」
腰が疼いて、身体から力が抜けていく。だらしなく開いた口からは唾液が滴り、自分の声とは思えない嬌声が洩れた。
「とろっとろ。タマちゃんかわいい」
ふっと笑った小太郎が、俺の前髪を上げてキスを落とす。それから、俺の両サイドに手を付くと体重を俺の下腹にかけるようにして激しく腰を振った。
「んあ!?待って、イク!!」
吐精したのは、小太郎が体勢を変えてすぐだった。いつの間にか服をたくし上げられていて服を汚さずに済んだ。
「タマちゃん、今日は早かったね。久しぶりだったもんね」
小太郎の指が優しく俺の目の下をなぞる。視界が少しぼやけていて、涙が出ていたことにようやく気付いた。
「タマちゃん、俺まだイってないからもうちょっと付き合って」
ぐいっと身体を引き起こされると、ぎゅうっと強く正面から抱きしめられた。
「手、貸して」
右手を掴まれ性器を握らされると、小太郎は俺の右手を使って自慰を始めた。耳元ではぁはぁと荒い呼吸が繰り返され、時折、首筋に顔を埋められてにおいを嗅がれた。恥ずかしさとくすぐったさでゾクゾクする。
「タマちゃん」
切ない声で名前を呼ばれ、小太郎と目を合わせた。小太郎が、俺の唇にキスをした。ねっとりと舌を絡めて、射精から冷静になってきていた頭がまたぼんやりとしてくる。
「タマちゃん、エロ……」
俺と小太郎の間で唾液が糸が引いた。それはすぐに切れて、落ちてシーツに染みを作った。小太郎に寄りかかってぐったりしていると、ごくっと生唾を飲み込む音が聞こえた。
「タマちゃん、今日は最後までしてみようか」
「え……」
意味を理解する前にぐいっと肩をベッドに押さえつけられる。尻の孔に指を突っ込まれて、全身に鳥肌が立った。
「挿んないな。ちょっと待ってて、ローション……」
「嫌だ!!」
自分でも驚くくらい、大きな声が出た。
「嫌だ!馬鹿!アホ!変態!!」
思いつく限り口汚く罵った。ボロボロ涙が零れてきて、嗚咽で何も言えなくなる。
「……ごめん。俺、どうかしてた。もう寝ようか」
肩を震わせる俺の頭を、ポンポンと小太郎の手が撫でた。そして、さっさと自分の身形を整えると布団を被って横になってしまう。ひとりで感情的になっているのが馬鹿らしくなってきて、すぐに涙は引っ込んだ。こんな時、どうするのが正解なのだろう。付き合うことになってから、一度も身体の関係を迫られたことはなかった。それに安心しきって、勝手に裏切られた気持ちになっていた。自分はちゃんと小太郎のことが好きだと思っていたのだが、小太郎の気持ちとは違うことがこんな形ではっきりと証明されてしまった。自分勝手な自覚はあるのだが、こんなことで小太郎との間に軋轢が生まれるのは不本意だった。ただの幼馴染に戻れたら、どんなに良いだろう。そう思ってしまうことも、小太郎を裏切ることになるのだろうか。簡単に後処理をして、身形を整えると電気を消して小太郎の隣に横になった。隣にいるはずなのに、小太郎がすごく遠くにいるような感じがしていた。
朝、小太郎よりも早く目が覚めたが起こすべきかすごく迷った。DVDを借りて映画を見ると言っていたからレンタルショップが開店する時間には起こさなければならないのだが、昨日のことがあって気まずさを感じていた。このイケメンの唯一の欠点は朝が弱いことで、放っておくと夕方まで寝ていることがある。自分で起きて来てほしいような、ずっと寝ていてほしいような、モヤモヤした気持ちを抱えながら一通り家事をしたり朝のニュースを見たりして過ごした。
小太郎を起こそうと決めた時刻になったが、なかなか勇気を出せずにいた。寝起きの小太郎は機嫌が悪く、それも相まって気が引けた。
「コタ。コータ、コタロー」
この程度で起きる小太郎ではないと知りながらも、名前を呼び頬を指でつつく。小太郎がぎゅっと眉間に皺を作り、鬱陶しそうに布団を頭までかぶった。布団の中からはすぐに寝息が聞こえてきた。
起こした、という名目を作ると戸締りをして部屋を出た。そもそも一緒に借りに行こうと約束はしていなかったのだし、疲れているだろうからゆっくり寝かせてあげたかったんだと自分に言い聞かせた。自分は本日18時から飲み会で、小太郎は明日午後からバイトの予定があった。借りるDVDは、3枚でいいだろうか。レンタルショップに入ると、店頭に小太郎が見たいと言っていたDVDが一枚だけ残っていた。迷わずそれを手に取ると、残りの2枚は自分が見たかった作品と小太郎が好きそうな作品を1枚ずつ選んだ。レジを済ませてスマホの画面を見ると、家を出て1時間半が経過していた。思っていたよりも長居してしまったが、まぁ、いいか。どうせ小太郎はまだ寝ているだろう。スーパーへ向かいながら、呑気に小太郎が喜ぶ顔を想像していた。
スーパーで食材を買って帰ると、小太郎は起きていてソファに座っていた。部屋に入るなり、寝起きの悪い目つきで睨みつけられてドキッとする。
「どこ行ってたの」
「レンタルショップと、スーパー。コタ起こしてもなかなか起きないから」
「何で電話出ないの」
言い訳を許してくれない、突き放すような低い声。小太郎の寝起きが悪いのは日常茶飯事で、もう慣れっこのはずなのだが今日は後ろめたいことがあるので身体が畏縮した。
「スマホ、マナーモードのままだったかも。ごめん」
後で確認したら、3件小太郎からの不在着信が入っていた。喜んでもらえると思ったDVDにも対して反応を示さず、ずっと黙ってムスッとしていた。気まずい空気の中、遅めの昼食を取り、借りてきたDVDを流した。出掛ける用事があったのが救いだった。まだ映画の途中だったが、時間より早めに家を出ることにした。
「コタ、俺もう行くね。映画、全部見ちゃっていいからね」
正直、映画どころではなかった。せっかく予定のない休日だったのにと哀しい気持ちになっていた。玄関へ向かうと、小太郎が画面を一時停止して後を付いてくる。
「タマちゃん、今日は何時になるの。場所は?」
靴を履く俺の背中に小太郎が話しかける。声は冷たくて、いつもなら寝起き1時間くらいで機嫌が直っているのだが今回はしつこい。
「2時間コースって言ってたから、8時ぐらいだと思う。場所は鳥ガラってとこ」
「映画、止めとくから帰ってきてから一緒に見よう。いってらっしゃい」
顔を見ると声が冷たいと思ったのも気のせいだったのではないかと思う。自分が思っているよりも小太郎の機嫌は悪くないのかもしれない。俺を見送る時に、仏頂面ながらも小さく手を振った。この様子ならすぐに仲直りできそうだとほっとする。
「いってきます」
大学が別々になって、改めて小太郎の存在の大きさを実感する。小太郎の交友関係は広く浅く、クラスが違ってもいつの間にか小太郎は俺の友達のグループの輪に溶け込んでいた。幼馴染を友人に数えていいのかはわからないが、小太郎の他にも仲のいい友達はいた。だから小太郎と離れ離れになっても自力で居場所を作れると思っていたのだが、それは間違いで、小太郎がいたからこそ自分の居場所があったのではないかと思い始めた。入学して約2週間、ろくに話したことのない人間との酒の席なんて、何を話せばいいのかわからない。世話焼きな同級生がいて、勧められるまま口に合わないビールを飲んだ。酒が進むと途中から楽しくなってきて、いつの間にか周りとも打ち解けていた。何を喋ったかは覚えていないが、調子に乗っていろいろ喋った気がする。店を出る頃にはひとりでは立っていられないくらいベロベロに酔っ払っていた。
「タマちゃん!」
聞き覚えのある声に呼ばれて振り向くと、小太郎がいた。条件反射で肩を貸してくれていた人の背中に隠れる。
「タマちゃん、飲んでるの?こっち来て」
「やだ。俺も2次会行く」
背中をぎゅっと掴み顔を埋めると、ボロボロと涙が出てきた。俺を見た途端小太郎が顔を曇らせて、怒っているように見えてとても怖かった。
「あんたが噂の同居人?」
「噂の、かは知らないけど一緒に住んでるよ」
「ちょうどよかったよ、ご覧の通り潰れちゃってどうしようかと思ってたから」
やっぱり、小太郎はすごい。初対面の相手でもスムーズに受け答えをしていて、いつの間にか小太郎の周りには人だかりができていた。突然、強い力で腕を引っ張られた。
「帰るよ、環」
いつの間にかぼうっとしていて、小太郎が傍に来ていたのに気付かなかった。嫌だ、と声を張ろうとしたが、鋭く睨まれて声が出てこなかった。小太郎に肩を抱かれて、押されるようにして駅へ向かった。
「タマちゃん、何でお酒飲んでるの?まだ未成年でしょ」
「だって、みんな飲んでたし断れる雰囲気じゃなかったんだよ。そんなに怒んないでよ。それより、カルーアミルクって知ってる?コーヒー牛乳にお酒入ってるんだけど、普通のコーヒー牛乳よりすごく甘いんだよ。大人って何考えてるのかわかんないよねぇ」
俺がケラケラ笑うと、小太郎がうんざりした顔をする。酔っ払って訳がわからなくなっている俺は、小太郎が困った顔をしているのが楽しかった。
急に口の中に違和感を感じた。とっさに口を押さえるが、少し零れて人肌の温度の液体がゆっくりと手の甲を伝っていく。
「タマちゃん!?」
その場にしゃがみこもうとしたが、ここじゃダメ、と声を上げた小太郎に腕を引っ張られて駅のトイレに連れ込まれた。
「ヴエ゛ェ」
びちゃびちゃと音を響かせながら、便器の中に食べてきたものを全部吐き出した。大きく息を吸うと、公衆トイレのキツイ臭いに耐え切れずまた吐く。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
「大丈夫?」
みっともなく便器に縋りつく俺の背中を、小太郎はずっとさすってくれていた。
「タマちゃん、俺水買って来るから、俺が出たらドアの鍵閉めて」
「やだ、行かないでよコタ」
「口の中気持ち悪いでしょ?すぐ戻ってくるから」
ごねる俺を説き伏せて、小太郎はトイレを出て行った。小太郎に言われた通りに施錠すると、急に眠くなって冷たい便器に頭を預けて目を閉じた。
目を覚ますと、何故かアパートのベッドで仰向けになっていた。土足のままで、小太郎に靴を脱がされているところだった。
「タマちゃん!?」
俺の顔を見るなり、小太郎が声を張り上げた。状況がわからずに、ぽかんとしてしまって返事すらできなかった。
「タマちゃん、大丈夫!?気持ち悪くない?」
小太郎の必死な形相にただただ唖然として、うん、と気の抜けた返事をした。ぐいぐい顔を近づけてきた小太郎が、ほーっと息を吐きながら距離を取る。
「よかった、タマちゃん死んじゃったかと思った」
小太郎の力が抜けたようにぺたっと床に座り込み、涙ぐんだ姿を見た時には、状況がわからないながらに胸を痛めた。小太郎の話によると、俺は吐いた後、トイレの鍵を掛けてそのまま眠っていたらしい。小太郎が駅員を呼んできて無理矢理戸を外すと、急性アルコール中毒の疑いで救急車に運ばれた。嘔吐と、便器に縋り付いたまま失禁していたようで体内のアルコール濃度は高いながらも命に別状はなく、その時俺の意識もあったようですぐに帰されたそうだ。言われてみれば、股間の辺りが冷たい。恥ずかしいやら、申し訳ないやらで、できることなら飲み会の前の時間まで戻りたいと切実に願った。
「明日、朝一でおばさんがこっち来てくれるって」
母親にまで知られているだなんて、絶望的な気分だった。絶対怒られるに決まっている。小太郎が、強く俺の手を握った。手の骨が砕けそうなくらい強い握力で握り締めながら、声を殺して泣いていた。
小太郎が落ち着きを取り戻すと、まるで病人のように献身的な介抱をされた。風呂に入りたいと言ってもアルコールが全部抜けるまではダメだと許してもらえず、小太郎が湯を張った洗面器とタオルを持ってきた。服を脱がされ、隅々まで硬く絞ったタオルで拭かれる。春の夜はまだまだ寒く、鳥肌が立っていたが小太郎が黙りこくっていたので何も言えなかった。
「ねえ、タマちゃん」
俺の背中を拭きながら、ぽつりと小太郎が口を開く。
「俺と暮らすのやだって、どういうこと?」
「へ!?」
自分でも驚くくらい、間抜けな声が出た。
「そんなこと言ったことないんだけど」
「さっきタマちゃんの大学の友達に言われたよ。もっと優しくしてやれって」
チラッと見た小太郎は、怒っているような、哀しそうな顔をしていた。早く何か言わないとと頭をフル回転させて言葉を捜していると、ふっと酒の席での記憶が断片的に蘇った。酔って上機嫌になった俺は、小太郎の話ばかりしていた。
「それは……だって、コタ今日一日中機嫌悪かったから」
「俺の機嫌が悪いから深酒したの?」
「それは違くて、慣れない場所だったから」
「ふうん?」
それきり小太郎は、また黙ってしまった。俺も何も言えなくなってしまって、枕元に置いてある目覚まし時計の秒針の音だけが部屋を支配していた。するっと小太郎の腕が腹に回され、ズボンのボタンを外してチャックを下ろした。
「脱いで」
耳元でボソッと喋られ、背筋がゾクッとした。
「う、うん」
汚れたズボンと下着を下ろして小太郎を振り返ると、小太郎はタオルをお湯につけて硬く絞り、準備をしていた。元の場所に腰掛けると、小太郎の手が太ももに伸びてきた。
「足、開いて」
「ん……」
口に手を当てて声を殺し、小太郎に言われた通りに少し足を開いてベッドに浅く腰掛ける。小太郎の低い声が直接脳に響いて、ゾクゾクする。緩く立ち上がった性器からは蜜が零れ、触れられている太ももはビクビク痙攣していた。
「タマちゃん、キスしたい。こっち向いて」
見られている恥ずかしさよりも、どうにかして欲しい気持ちの方が大きかった。右手を後ろについて上半身を捻ると、噛み付くようなキスをされた。余裕のない、息継ぎも許されない荒々しいキス。
「ねえ、タマちゃんわかってる!?俺、怒ってるんだよ」
まだアルコールが残ってるのだろうか。頭がふわふわする。
「最初から手放す気なんてなかったけど、酒に溺れるくらい俺のこと嫌ならって……。でも、もう手放してあげられないよ」
怒りながら、泣きそうな顔をしている小太郎が可愛くて、ぎゅっと小太郎の首に抱きついた。
「いいよ。だって俺、コタのこと嫌なんて思ったこと一度もないもん」
視界がぐるりと回り、天井と小太郎の切羽詰まった表情、背中にはベッドの感触があった。
「やだって言われても、もうやめてあげられないからね」
小太郎の頭を抱き寄せ、自分からキスをした。恐怖心がないと言ったら嘘になる。それ以上に、小太郎が愛おしくて仕方なかった。
次に目が覚めると、朝を迎えていた。いつも以上にベッドが広く感じて、隣を見ると小太郎がいなかった。
「い゛ッッッ……」
焦燥感に駆られ、飛び起きようとすると腰に激痛が走り身体が固まって動けなくなってしまう。声にもならない悲鳴を上げながらもだえていると、ベッドの下で何かが動いた。その正体は、これから捜しに行くはずの小太郎だった。
「タマちゃん!?どうした、大丈夫?」
「だい、じょ、ぶ……。それより、なんでコタ床で寝てるの」
「ベッド広く使ってもらおうと思って。それよりどうしたの、腰痛いの?」
小太郎に支えられてベッドに戻ると、今度はズキズキと頭が痛んだ。
「頭痛い……」
「飲みすぎだよ。他はどう?吐き気とかはない?」
「それは大丈夫。むしろお腹空いてるかも」
「全部吐いて胃の中空っぽだもんね。覚えてる?」
小太郎が床に膝をついて、俺と目を合わせながら熱を測っている時のように俺の額に手を置いた。小太郎の手のひらは熱かった。
「……その節はご迷惑おかけしました」
「うん。本当に心配したんだから、ちゃんと反省してね」
小太郎はもう怒っていないようで、言うことは厳しかったが優しい目をしていた。
「……その後のことは?」
「え?」
「その後のことは、覚えてる?」
急に言い淀んだ小太郎は目を泳がせ、口の前に手を持ってきて顔を隠すような仕草をした。それが何を意味するのか、昨日の記憶がある俺にはすぐにピンときた。少しためらって、正直にうん、と返事をすると、小太郎が顔を徐々に赤くしながらそっか、そっかとボソボソ呟いていた。
「昨日はごめんね、全然余裕なくて。次はもっと優しくするから」
だんだん声が小さくなっていって、語尾は消え入りそうだった。顔を真っ赤にする小太郎が可愛くて、ぎゅっと胸が締め付けられて口から何か出そうだった。
「ご飯、何か用意するね。タマちゃんは寝てて」
小太郎が、バタバタと部屋を出て行く。時計を見たらまだ5時半だった。
昨夜、と言っても日付は変わっていたから、今朝のことになる。小太郎とセックスした。初めてのセックスは、それはそれは酷いものだった。快楽からは程遠く、泣き叫んで文字通り血を見た。無理だと言っているのに小太郎はやめてくれなくて、本気で小太郎を嫌いになりそうになった。タマちゃんタマちゃんと何度も切ない声で名前を呼ばれ、全身にキスをされた。
頭まで布団を被り、ごろっと寝返りを打つ。頭の下に敷いていた枕を手繰り寄せ、ぎゅっと胸の前で抱えた。目を閉じるがなかなか寝付けずにいると、チン、という陽気で間抜けな音にビクッと身体が反応する。トーストが焼けた音だ。
「タマちゃん、大丈夫?起きれそう?」
小太郎が遠慮がちに部屋に顔を覗かせた。のそっと重い身体を引きずって布団から顔を出すと、小太郎が大袈裟に騒ぎ立てる。
「タマちゃん!顔真っ赤だよ!?大丈夫!?」
「……うるさい」
しばらくの間、小太郎の顔を直視できなかった。
その後本格的に調子が悪くなって寝込んでいると、母さんが乗り込んできて二日酔いで痛む頭に配慮なしですごい剣幕で怒鳴られた。小太郎が俺を庇って、俺以上に頭を下げて必死に母さんを宥めてくれて、不謹慎ながらそんな小太郎に惚れ直すのだった。
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