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その人のことは何も知らない。 多分男で、多分若い人。 いつも同じ時間に、いつも同じ場所にいて、いつも同じ物を食べている、そんな人。 今日もいちごみるくの飴の袋がガサリと音を立てた。 「あ、また今日も来たね」 その人と出会ったのはつい1ヶ月前。 就職で越してきたばかりのお昼、小さな公園のベンチに座って、いちごみるくの飴を食べているその人に目が止まった。 「…こんにちは。隣、座りますね」 名前、なんだっけ? 聞いた気がするが聞いた気がしない。 覚えてないことを覚えている。 「はい、これ。いつものやつ」 「いちごみるく飽きませんね」 二人とも別の方向を向きつつも、慣れた手つきで飴を貰った。 「上司さんとは、仲良くなれた?」 「なんとか頑張ってはいるんですけど、なかなか」 「難しいよね。きっと時間はかかるだろうけど、ゆっくりだね」 その人はゆったりと相槌を打つと、パッと飴を口に放り込む。そして鼻からゆっくり息を吐く。 なんだかマイナスイオンが出てるような、ふんわりとした癒しがその人にはあって、飴を食べると2割り増しくらいで癒しオーラみたいなやつが出てる、 …気がする。 それをチラリと盗み見るのが日課。 どうしてなんだか、その時は嫌なこととか、悩みとか、気にしてることがフワフワとどこかに飛んで行ってしまう。 いつものごとくぼーっと見てると、 「ん?」 急にこちらを見て小首を傾げたその人と目があった。 「い、いえ」 顔を逸らして、慌てて飴を口に放る。 じわじわといちごの味が広がって、すぐにガリ、と飴を噛み砕いた。 「あ。飴噛んだでしょ」 「ミルクの部分が早く食べたくてつい」 「駄目だよ。ゆっくり味わわなきゃ。…人生もいちごみるくも」 「頑張っていいこと言おうとましたね」 「ふふっ、バレた?」 「バレバレです」 その人は、くしゃりと満足そうに笑った。 「そろそろ行きます」 その人と会うのは1日のうちのほんの数分。 なのに、その時間は1日の中で1番、濃くて、短くて、長くて、そして、何にも代え難い時間で。 また明日、と口ずさむその人の隣を立ち上がった。 「明日が無事に来ればですけど」 「何それ。明日世界が終わるの?」 「わからないですよ。日常と当たり前がこの世で1番残酷ですから」 「あ、いいこと言ったね。それ採用」 「また飴食べてる時に言うんですか?」 振り返れば、ニヤッと笑って肩をすくめたその人に、不思議と自分も笑い返していた。 「だけど、明日世界が終わってもあなたと過ごすこの時間だけ来ればそれでいいです」 「ふふっ、そりゃあ、嬉しいね。それは僕への告白?」 「さてどうでしょう?」 「知ってた?疑問に疑問で返すのはYESってことだよ」 「……」 サアッ、と風が木々を揺らした。 振り返ったまま立ち止まった自分と、ベンチで佇むその人との間に風が吹き抜けた。 「…自分は、あなたのことが好きなんですか?」 「…さて、どうでしょう?」 数秒前と同じやり取り。 「……知ってますか?疑問に疑問で返すのはYESってことなんですよ」 数秒前とは違う感覚。 心がふわふわと軽くて、甘い匂いがして。ざわざわと風が吹いていて。 その瞬間その人は、ふふっ、と口に手を当てて微笑んだ。 「……今日は、特別にもう一個あげる」 そう言うと、袋からもう一つ、飴を取り出してヒョイッと自分に放った。 コロン、と手元に収まる。 「…ありがとうございます」 「明日が、くるといいね」 「そうですね。では」 ゆっくりと踵を返して、噛みしめるように歩き出した。 …いちごみるくの飴、明日は自分も買ってこようかな。 もしも明日世界が終わっても、最後に見るのがあなたとの思い出なら、自分の人生は案外悪くなかったんじゃないかな、ってきっと思えるはずだから。

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