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第1話
パン屋でアルバイトしている俺は始発の電車に乗る。
やっべ、今日もギリギリだ。寝起きで言うことをあまり聞かない自分の足を叱咤して、駅までの道のり、全速力で自転車をこぐ。
なんとか間に合った始発の車両は、今日も外国のような不思議な匂いが充満している。インド系の。
香辛料みたいな不思議な匂いで、もう車両中にスパイス効きまくってます!って感じ。
でも俺はこの匂い、嫌いじゃない。てかむしろ好き。
インドカレーとかの辛いものは口が火を吐くから食べられないけど、匂いを嗅ぐのは大好き!何だかお腹が減ってくる。朝ごはん食べてきたばかりなのに。
今日もこの始発の電車は外国人の割合が圧倒的に多い。異国の言葉がそこらじゅうで飛び交う。しかも話してる外国の方、俺が言うのもなんだけど、電車内とは思えない大音量で話してらっしゃるから、車両内が外国語で溢れかえって賑やかだ。
時々、あれ?ここ、日本だっけ?状態になる。
今日も朝っぱらから元気だな〜。ていうかみんな友達なの?ってレベルで盛り上がってるよね。
みんな友達、みんなで出勤なのかなぁ。楽しそう。俺なんて一人ぼっちだよ、きっと友達の誰もが寝てる時間だし。
始発の外国人率が高いのは、早朝から工場で働く外国人が多いから。この香辛料のような不思議な匂いは、インド系のワキガの匂い、なんて聞いたことがある。
香辛料が効いたものばかり食ってると、そういう匂いがするようになるなら、甘いものばっか食ってたら甘い匂いがするようになんのかなぁ。女子っていい匂いするよなぁ、何食ってんだろ……
そんなことをぼんやり考え、うつらうつらしながら、今日もスパイスの匂いに包まれた電車に揺られる。何だか眠くなってきた。今日も早起きで、まだまだ寝足りない。この電車に揺られる十数分だって寝てやる〜
軽くうとうとしていたつもりがどうやら、本格的に寝入ってしまったようだ。
しまった!一気に頭が覚醒する。降りる駅は町の首都、終点だけど、この電車はしばらくしたら折り返して出発してしまう。それに何より、パン屋の朝は一分一秒が勝負だ。遅刻できない。
やばっ!と慌てて飛び起きたら、そこは電車の車両なんかじゃなかった。
砂漠のように、見渡す限り砂。
砂…砂…砂……
何にもない……砂しかない………
見渡す限りの砂。そして青空。
世界は乾いた黄土色と澄み切った青の二色で完結しているようだ。
気温がとてつもなく高い。今まで体験したことがないくらい。卵をフライパンに割って、それを持って突っ立っていれば、なにもせずとも目玉焼きができそうなくらい。
空気までもが熱くて、目の前の景色がユラユラ揺らめいているように見えた。
暑い。暑すぎる。汗がとめどなく流れる。
生ぬるい風がモワッと吹いて、汗をかいた俺の頬を撫でた。
乾いた土の匂いがした。
海のようにどこまでも続く、果てしない砂。
先ほどまでの騒々しいほどまでに賑やかだった車内とは大違いで、ここは時々吹く風の音以外なにもしない。
誰かが立てる音がしない。寂しい静寂に包まれている。
人っ子一人いない、砂の世界に、俺はただ一人、ポツリと佇んでいた。
景色も匂いも音も、何もかもが、今までいた世界とかけ離れている。
なんの気配もしない世界。
「え?あれ?俺、夢見てる?寝ぼけてんのか?」
頬をつねったり、頭を振ったり、しまいには拳で頭を何度か殴ったけど、目の前の景色は変わらない。
額から汗が流れ顎を伝って落ちた。
「え、え、なに、俺、起きてるの?ん?じゃあ、これどうゆうこと?」
腕時計を見ると、とっくに電車は着いているはずの時間だ。
「えええ、何?なになに???どうなってんの?!?!?!?」
パニックになって、腕時計を反対の手で闇雲にチョップする。そんなことしても時間は遡らない。しかも、チョップしてた手が痛くなった。イテテと赤くなった手を振りながら、時計盤を見たときに、驚愕した。
背中を冷たい汗が伝う。
あれ、時間が進んでない……
「え。は、ま、まじで…」
手の痛みも忘れて、もう一度まじまじと見るが、時計の針は三本ともピタリと止まったままだ。
上昇していた体温が一気に二、三度下がった気がした。
一瞬、脳がフリーズして、口をポカンと開いたまま動きを止めたが、ハッと我に帰る。
そうさ、我こそは…スマホと共に育った初めての人類……そう!スーパースチューデント!!!
ハハッ、スマホは肩身離さず持ち歩く。トイレもお風呂もいつでも一緒、片時も離れることのない、恋人以上の存在なのさッ!
恋人なんぞいたこともないが、額に次々伝う嫌な汗を拳で拭いながら、得意げにポッケからスマホを取り出す。
フッフッフッ…これさえあれば時間だけでなく、GPS機能で自分がどこにいるかわかるし、遅刻確定のバイトに遅れる旨を報告できる。
どうやってここから帰ればいいのか見当もつかないが、その事実からは目をそらし、余裕の笑みを浮かべてホームボタンを押した。
これで万事解決さッ!!そうドヤっていたのに、僕の期待に反して、画面がつかない。
ん?あれ?今日はこの相棒の目覚ましアラームで起床したから充電が切れたなんてことはあり得ないのに…
再起動を試みるも、ウンともスンとも言わない。
真上から照りつける強烈な日差しで、辺りは眩しいくらいのはずだったのに、目の前が暗くなった気がした。
「相棒ぉぉぉおおおおおお!!!!!!!しっかりしろぉぉおおおおお!!!!」
腹の底から叫んでも応答がない。う、嘘だろ?!唯一の望みを絶たれ唖然とした。
相棒が撃沈している理由が全くわからない。
電源ボタンを押しても反応がないし、ちなみにこいつはアイポンなので、バッテリーを取り出して再起動してやることもできない。
それに、充電切れだとしても、俺は予備バッテリーを持ち歩くなんて、気の利いたことはしたことがないし。
肩に背負ったリュックには弁当と水筒しか入っていない(遠足か)。
こ、これは、もう、完全に詰んだ…
完全に詰んだ俺は、もう、どうすればいいか分からなくなった。
ここは砂以外何にもねえし、サンサンと照りつけてくる日差しは、肌を焦がさんばかりに強烈で、俺の体力をじわじわ奪っていくようだった。
俺、もやしっ子なのに…
前に読んだ小説に出てきた、オーブンで焼かれる鳥の話を思い出した。
今の俺、まさにリアル灼熱バードじゃんか…
もう、色々とショックが大きすぎて、何も考えられなかった。
なにもしていないのに、あまりの暑さに喉がカラカラになってきた。
リュックから1.5Lの水筒を取り出して、キンキンに冷えた麦茶をグビグビ飲む。プッハァ…うまっ…一気に半分ほど飲んでしまった。
特にスポーツをしているわけではないが、俺は代謝が良すぎて夏場はこれくらい平気で飲みきってしまう。むしろ、足りなくなって、水道から水を足すぐらい。
麦茶はパックごと入れてるから二回目も楽しめるんだぜ、ヒヒヒ。
麦茶を思いっきり飲んだら、少し気が落ち着いた。ふぅ。
ここがどこだか皆目見当もつかないが、とりあえず日陰に移動したい。この直射日光は凶器すぎる。
日差しが強すぎて、頭皮まで日焼けしそう。
それに、俺は日焼けすると、肌が赤くなるタイプだから、こんなとこにずっといたら火傷レベルの大惨事になってしまう。
それから人に会いたい。村人探しから始めるとか、ダー●の旅かよ!
飲み物もこの水筒しかないし、あまりの暑さにすぐ飲みきってしまいそうだ。そうなったら、いよいよヤバい。この見ず知らずの砂漠で干からびて死ぬのがオチだ。誰にも見つけてもらえずミイラになるなんて御免だ!まだ女の肌も知らねえってのに!こんな訳がわからん状況で死ぬわけにはいかんのだよ!
てか、砂漠に人って住んでるのか?まあ、歩いてれば、そのうち、ラクダに乗った人にでも会えるだろう!人のいるところに水もアリ!
そう、俺はポジティブ思考に定評があるのさッ!どんな状況でも希望を失わない。
ああ、でも今日の店開けシフト被ってた、佐藤さんに迷惑かけちゃったなあ……
佐藤さんは俺の働くパン屋の頼れる先輩パートママさんだ。
フラフラ歩き出しながら考える。
パン屋は、朝から満員電車に揺られ、頑張って出勤するみんなに、焼き立てホヤホヤいい匂いのパンを提供する。そのために早朝から準備しているのだ!
そう、日が昇る前から!!
3時半とかワケワカメな時間からこちとら起きとんのじゃぁ!!
僕と佐藤さんは職人によって焼き上げられたパンを、次々店に陳列していく係だ。
焼きたてのパンは柔らかくてふわふわで、指の跡がついたり、長さのあるパンは折れやすくなるので、慎重さが求められる。生まれたてのホヤホヤ坊やたちを限りなく優しい力加減でそっと並べていく。
パンと心を通わせて、赤子に触れるように優しく、そっとだ!
愛しい我が子、さあ、旅立ちの時だ!などと心の中で呼びかけながら、丁寧に並べていく。
丁寧に。だが素早く!
そう!グズグズしてはいられない。
工場から届くお菓子パン(店舗で焼かず、前日の夜、工場で焼かれる)たちも同時並行で並べなくてはいけないのだ!
つまり、量がエグい。
もうほんとに忙しい。目も回るほど忙しい。
最近になってやっと二人で開店準備できるようになってきたが、最初はヘルプで一人入ってもらってても開店ギリギリまで準備が終わらなかった。
そんな戦場で一人でパンを並べる佐藤さんを想像する。
佐藤さん、本当にごめんなさい。
だけど俺、自分が今どこにいるのかも、なぜこんな状況になっているのかさえわかってないんだ…
………
「そうだ…なぜ……なぜこんなことにィイイイ!!!!!てかここドコだよぉぉぉおおおお!!!!」
そう叫んでいたら、あかん、、頭がクラクラしてきた。
ウッ、きもちわる……めまいがして、思わず立ち止まる。
これほど暑いのに、手先から一気に冷えていく心地がした。
まずい、熱中症か…?
思わず、しゃがみ込もうとした、その時……
遠くから何か、声が聞こえた気がした。
ふらつく足に力を込め、辺りを見渡す。
遠くに、土煙を上げ、声を上げながら近づいてくる何かが見えた。
自慢じゃないが、俺はとても声がデカイ。どのくらいデカイっていうと、普通に会話してても「声デカくてうるさい」って殴られるぐらいデカイ。興奮すると声、大きくなっちゃうんだよね。
だけど、ああ、俺、声がデカくてよかったぁ!
声がデカイと今まで面倒なことばかりだったけど(下ネタ話してる時、女子から白い目で見られたり)、それは今、この時のためにあったのかもしれない…!
やっとまみえた第一村人(仮)!!!
ありがとう!神さま!仏様!お稲荷様!!
さっきまでの気分の悪さが吹っ飛んだ気がした。全力で叫んで手を振る。
「お〜〜〜〜〜〜い!お〜〜〜〜〜い!!」
だんだんと土煙に包まれたそれが近づいてくる。俺は嬉しくて、涙が出そうだった。
それは、近づくにつれ徐々に速度を落とし、俺の正面で静かに止まった。
近づいてきたのは馬に乗った男だった。ラクダじゃないんだ。
男は浅黒い肌をしていた。顔以外は髪も肌も全て薄い布で覆われている。
今まで見たことがない変わった風貌に目を奪われポカンと見つめていたら、男が口を開いた。
「おい、お主。こんなところで何をしておる」
「あ……なんか…目が覚めたらここにいて……ここがどこか分からないんですけどっ、ここってどこですかっ?」
ハッと我に帰り、藁に縋る思いで思わず駆け寄ったが、馬が思いの外大きくて、ちょっとビビって後ずさる。
「何?お主、さては転移者か?確かに、その奇妙な服に白い肌…ここでは珍しいが……扉が開いたのか…」
男は俺の問いかけには答えず、何やらブツブツ言いながら、俺のことをじっと見つめてくる。
なので俺も男をじっと見つめ返した。
文句なしのイケメンだった。
顔のパーツはどれもバランス良く整っていたが、中でもとりわけ印象的なのはその目だった。キリッとした形の目は力強く、まっすぐなその眼差しは誠実さを感じさせる。そして瞳は色んな色が混じったかのような不思議な光をたたえていた。
歳は20代後半くらいだろうか。だがもっと若くも感じた。
実直なまでの眼差しには頼もしい力強さがあり一種の迫力もあった。それは丁寧な物言いと相まって、この青年を年齢不詳に見せていた。
そして俺は、その不思議な色をたたえた瞳で見つめられると、なんだかたまらない気持ちになり、目が吸い寄せられ離せなくなってしまう。
その視線には初対面の彼を全面的に信じてしまう、パワーがあった。
見ず知らずの地でようやく人に会えたから緊張が緩んでいるのかもしれないが、俺はこの見知らぬ男がきっと信用できる人だとはっきりと感じていた。
「まあ、良い。ずっとここにいる訳にもいくまい。私が都に連れて行ってやろう。ほれ、乗れ」
男はフッと息を吐くと、そう言って顎で後ろを指す。
「え?乗るってどこに?」
急に言われびっくりした。
男はポンポンと馬の背の後ろのあたりを叩く。
え?馬にニケツしろって?
えええ〜無理無理、俺馬なんて乗ったことないし!
首を振って後ずさろうとすると、急に腕を引かれた。
そして首根っこ捕まれ、ヒョイっと体を持ち上げ、馬に乗せられた。
「まったく、手間がかかるな。俺の腰にしっかりつかまっておれ」
わわわ、何こいつ、怪力かよ!
おれは、平均身長、平均体重ドンピシャのザ・平均マンだぞ?!
それを片手でヒョイって、今ヒョイってしました!?
だけど何か言う前に急に馬が走り出して、ぐわんと振り落とされそうになった俺は、男の腰にぎゅっとしがみついた。
結構がっしりした腰だった。いい腰してんな、なんて考えられたのは一瞬だった。
馬はどんどん加速していく。
ええ?まじで?馬ってこんなに早く走れんの?!
このスピード、高速道路でも通用するって。
いや、待って、待って、それより遥かに早いかも?
何、馬ってこんな早く走れんなら、人類、車じゃなくて馬に乗ってた方が良かったんじゃね??
あまりのスピードに目が回る。
男と自分の体の間に吹き込む風に吹っ飛ばされそうで、体をピタリと押し付ける。
目を瞑って男の背中にぎゅっと鼻先を押し当てた。
あれ?こいつ、いい匂いするな。
鼻を突く辛いスパイスの香り、砂っぽい埃っぽさ、それらに混じる男の汗の匂い。
野郎の汗なんざ普段はご免だけど、こいつの匂いは不思議と平気だ。嫌悪感が全く湧かない。むしろなんか安心するというか、ずっと嗅いでいたい…
「お主、馬上でなんて大胆な…」
スンスン鼻を押し当て匂いを嗅いでいたら、なんかまたブツブツ言ってる。
だがその間にも、馬はどんどん加速していく。
いや、待って、待って、まじ早すぎて頭もげる…
「ぎゃああああああああ」
情けない悲鳴をあげる俺の腕を男がガッと掴んで
「もうすぐワープする。手を俺の腹の前で組め」
そう言って、腰をつかんでいた手を腹の前で組ませた。
「ひいいいいいいいい」
俺はもう、男の内臓を押し潰さんばかりに力を込めて両手を握りしめるしかなくて、まあ、男の腹筋は俺のヤワなそれとは違い、力を込めても押し返してきたが…
男はそんな俺の両手を、確認するように軽く一度叩くと、よし!と一声あげて、さらに加速させた。
周りの景色が何にも見えなくなって、ビュンビュン風を切る音が耳元で聞こえて。
星が周りを飛んでたような気がする。
けれど、俺のキャパがついに限界を超えたのか、チカチカ点滅する景色の中、俺の意識は闇に沈んだ。
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