1 / 1

春霞の君

「彼」はどうにも不思議な人だった。 俺は和菓子屋のアルバイト。高校帰りの数時間、近所の小さな店でカウンターに立っている。客足はまあ、そこそこだ。これはこれでのんびり仕事ができて良い。 窓の外、春の陽気に散る桜を眺めつつ、今日も今日とて店番である。先の客が買っていった大福を補充していると、引き戸が開き、「彼」が姿を見せた。 わずかに心臓がはねる。 「いらっしゃいませ」 「どうも」 短くも澄んだ声が店内に広がる。 彼はたまに店を訪れる客だった。 ちょんと括った金髪に、詰襟の学ランがアンバランスな彼。 ヤンキーっぽい感じではなく、いわゆる王子様系だ。かといってハーフらしい顔立ちでもない。ただ一つ言えることは、彼は己の平々凡々さが悲しくなるほどのイケメンだということだ。 何はさておき。 色とりどりの菓子の並ぶ棚を眺める彼を見ていると、己の体温がじわじわ上がっていくのがわかる。 俺はどうやら、彼に惚れている。 数ヶ月前、人生初の作務衣に袖を通し、バイトを始めた日からずっとだ。 あれ、新人さんですか、と彼が声をかけてくれた瞬間、薄暗い店内が彼の周りだけ明るくなったようだった。いわゆる一目惚れってやつである。 まぁ現状特に仲が良いわけでもなく、軽い挨拶を交わす程度なのだが。 俺は特に、菓子を選ぶ妙に真剣そうな表情が好きだった。 背の低いガラス棚の中を覗き込むと、ちょうど俺は彼を見下ろすことになる。 長い睫毛がぱちぱちと瞬くのが見える。驚いたことに睫毛も金色だ。染めたのか、地毛なのか。 彼がこれまた整った眉をむむと寄せる。どうやら菓子選びに迷っているらしい。 そうだろ、そうだろ。迷うだろ。 うちの菓子はどれをとったって見目も味も一級品だからな。 バイトの身ながら少し誇らしい気分になる。 やがて彼は二種類の菓子を示した。 「これと、これを一つずつ」 「はい。ただ今」 色白い指が指したのは紅白の菓子と茶色い団子。 買う菓子は数も種類も決まっていない。 でも不思議なことに、いつも小銭で払うのだ。 十円玉や五円玉がたくさん、たまに百円玉。それも財布ではなく、制服のポケットから出てくる。 ちょっと気になるのはそれだけではなく。彼の着ているような学ランはこの辺りでは見かけない。校章のバッヂくらい付いていても良さそうだが、それも見当たらない。 遠方から通っているのだろうか。 そんなことを考えつつ、俺は彼の払った十数枚の小銭を数えた。 みたらし団子は百二十円、素甘は百円。 ちょっと妙な取り合わせだが、袋を受け取る彼の表情は柔らかく思える。好きなら何でもいいだろう。 「ありがとうございました」 軽く下げた頭を戻すと、彼は引き戸を開けたところだった。店に差し込むふわっとした逆光に、その輪郭がぼやりと揺らいで見えた。 まるで幻か何かのように。 「? あ、あの!」 思わず声をかけてしまった。 彼は振り返り、不思議そうな顔で尋ねる。 「何でしょう」 「え、あ、えっと」 どうしよう。消えそうだった、などとは言えない。さりとて他に話すことがあるわけでもない。 頭が真っ白になる。混乱する中、目にふとガラス戸の餅が映り、そういえば明日は店番だけでなく初めて菓子を作らせてもらえることを思い出した。 ごくりと唾を飲む。 「……俺、明日、桜餅作らせて貰うんです。だから、その、明日も来ませんか?」 そう言ってから、己の台詞に心中で悶えた。もっと面白いことの一つくらい言えないのか、俺。 わたわたする俺を見て、彼はおかしそうにふっと微笑んだ。綺麗な目が細まる。 これまであまり見たことがなかった、笑顔。 またどきりと心臓がはねた。 「明日は無理ですね」 「あ、そうですか……。すみません、急に」 張り詰めていた気分がしゅるしゅると萎んでいく。 しかし彼はまた微笑んだ。 「でも近いうちにまた来ます。桜餅、楽しみにしていますよ」 「! ありがとうごさいまふ!」 はやる心に舌を噛んだ。恥ずかしさと痛みにも関わらずパァッと心が晴れていくのがわかる。 我ながら単純だ。 彼は苦笑しつつ、ちょっと会釈して店を出て行った。意外とよく笑う方なのかもしれない。普段から話しかけていれば良かったかな。 と、カウンターの隅に目が止まる。 「あ、ポイントカード」 気まぐれな店長がこの間から始めたのだ。渡すのを忘れていた。慌てすぎだ。 すぐに行けば間に合う、そう思い、走って外に出る。 店の外に彼の姿はなかった。 ただ、すぐ先の角を曲がっていく尻尾が見えた。 一瞬だったが確かに見えた。ふわふわの、金色の長い尻尾。 犬とも猫とも狸とも違うそれ。 「きつね……?」 春風が吹く道端で、俺はポカンと口を開け、手書きのポイントカード片手に呆然と立ち尽くしていた。

ともだちにシェアしよう!