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第23話

「ただいまー。灰谷?」 …返事はない。 「灰谷ー。おーい」 見えないのはわかっているけれど部屋の中に灰谷の姿を探す。 気配を探す。 ……感じない。 昨日はあんなに濃密に感じた気配さえまったく感じられない。 「灰谷?灰谷って。いじわるすんなよ。おーい、灰谷ぃ~」 耳をすませて灰谷の返事を待つ。 ……返事はない。 「つうかオマエって学校には出ねえのな。なんで?」 返事がない。 「ミルハニのシークレット、見た?やっぱ花よりTバックのほうが好きだろオマエ」 返事がない。 怖い。つま先から恐怖が駆け上がる。 「あーなんかカラダがベタベタすんなー。シャワー浴びてこよう」 大きな声で言うと風呂場に逃げこんだ。 シャワーを全開にして服のまま頭から飛びこんだ。 ザーザーと水の音だけが聞こえる。 服が肌に張りつく。 水が排水口に吸い込まれていく。 時が流れていく。 時間は前に進んでいく。 灰谷がいない世界が刻まれていく。 たまらなくなってオレは着ているものをすべて脱ぎ捨てる。 風呂場を出て、部屋の鏡の前に立ち全身を映す。 このカラダは灰谷に愛されたカラダだ。 鎖骨 腕の内側 胸 腹 脚の付け根 腿の内側 ふくらはぎ。 後ろを向いて背中を映す。 首 肩 肩甲骨 背骨 腰 尻 腿 ふくらはぎ。 灰谷がカラダのあちこちにつけた〈しるし〉は消え失せていた。 跡形もなく…。 オレはゆっくりと首に貼り付けていた湿布をはがす。 首筋には、ほんのわずかにまだ痕が残っていた。 でも、これも明日には多分消えてしまうだろう。 灰谷。 灰谷。 灰谷。 どこにいる。 なんで。なんで出てこない。 オマエのつけた〈しるし〉がなくなっちまうんだよ。 なんで連れていってくれなかったんだ。 オレ、いいって。どこにでも行くって言ったのに。 オレは…いたい。 灰谷といっしょにいたあの場所にいたい。 ずっといたい。 いたい。 痛いよ。痛いよ。 胸が痛いよ灰谷。 オレは灰谷の指の痕に自分の指を重ねる。 少しづつ力を入れていく。 苦しい。苦しい。苦しい。 『真島』 その時、オレの耳に灰谷の声がハッキリと聞こえた。   『真島』 「灰谷!」 『真島。つうか真島』 「灰谷。灰谷」 オレは呼んだ。愛しい人の名前を。 『真島、一度しか言わねえからよく聞けよ。 …好きだ。好きだ。好きだ。好きだ』 灰谷がはじめてオレに好きだと言ってくれた。 「灰谷…好きだよ…大好きだよ…灰谷…。 オレの〈はじめて〉奪っといて、いなくなるってなんだよ。 オレの〈全部〉オマエのものにするんじゃないのかよ。 オマエの〈全部〉オレにくれるんじゃないのかよ」 『真島、これからのオレの〈全部〉オマエにやる。 オレはこれから先もずーっとオマエだけのものだ』   灰谷が笑った。そう感じた。 だからオレも笑って言った。 「うん。灰谷はこれからもずーっとオレのもんだよ。 オレだけのもんだよ」 そしてその時、オレの脳裏には灰谷の姿がハッキリと見えたんだ。 『んじゃな、真島』とでも言うように灰谷が手を挙げた。 灰谷の視線の先に走り高跳びのバーが見えた。 あの日、灰谷が跳ばなかったのよりも、もっともっと高いやつ。 灰谷はふう~っと息を吐き出して、その場でトントンと飛んで、リズムを作るとそのまま、あのゆるりとした足を引きずるように見える独特のフォームで走り出した。 そして、ふわりと跳躍して背中から鮮やかにバーを飛び越えて空の中に吸い込まれていった。 オレの目の中に灰谷が見たであろう青い青い空が見えた。 オレが見た、感じた、灰谷がなんだったのか、それはわからない。 でも、灰谷は数日間、確かにオレといた。 それだけは間違いがない。 オレの心が、カラダが、知っている。 翌日、最後まで残っていた首筋の痕もすっかり消えてしまった。 また今日も中田がオレを迎えに来ることだろう。 佐藤はオレを「マジマジックリーン」とあの世界一下らないあだ名で呼ぶんだろう。 いつかどこかべつの場所で、再び灰谷と出会えるまで、オレはこの日常を生きてゆく。 今度会ったら絶対に聞いてやる、オレのどこが好きだったのか。 そして死ぬほど聞かせてやる。灰谷のどこが好きだったのか。 そんで今度は、もっとずっとずっと一緒にいよう。 * つうかこれがオレの初体験。 〈はじめて〉の話。 いつ? 高校二年の…いや、人生で一度きりの十七歳の夏の終わり。 どこで? その頃、一人暮らししていたオレのアパートの部屋で。 誰と? 灰谷と。 大好きな灰谷と。 誰が? オレが。 灰谷が最後に〈全部〉をくれたオレが。 オレの〈はじめて〉。 灰谷の〈全部〉。 オレは、けっして忘れない。 つうか、〈はじめて〉って、そういうもんだろ。 ~ 終 ~ ★★アフターストーリーあります。よかったらお読み下さい。★★ 『夢で逢えたら』全6話 https://fujossy.jp/books/12397

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