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レゾンデートルのための木曜日

 木曜日の夜、風を感じたくて窓を開けていた。  「君を、抱きたいんだ」  レースのカーテンの向こう側、顔の見えない彼の声が聞こえた。 ヘルメットを被っているようだった。 少し、声がくぐもっている。  「…… 良いよ」  俺は彼を受け入れたくて仕方なくなった。 何故なのか分からない。 ただ、無性に。  「これ、被って」  網戸が開き、カーテンの隙間から紙袋が手渡される。  「俺だけ顔隠すのもおかしいから、君も隠して」 「うん……」  大きさや向きを確認して、すっぽりと被る。  「…… 被った」 「じゃあ、入るね」  カーテンが開くと、俺と同じくらいの身長の男がいた。  「俺に、抱かれたくなったの?」 「そう、かもしれない」 「うん…… 分かった」  彼は手袋を外した。  「男、初めて?」 「ううん…… 今日もさっき、抱かれてきた。 だから準備も特にいらない」 「へぇ…… じゃあ、優しくしなきゃね」  俺は首を横に振った。  「…… え?」 「あんたがしたいようにして。 お互い顔も分からないし、誰だか知らないから、優しくするのは難しいでしょ?」 「…… 肝が座ってるんだね」  正直なこと言うと、怖くないわけではない。 でも、遠慮されて何かを隠されるよりもそっちのほうが良いと思った。 気が付くと、大きな手がハーフパンツを脱がせていた。  コンドームを被った指が、後孔に入ってくる。  ローションをまとったそれが、中を押し広げていく。 素手だったら、絶対に許してなかった。 抱かれる前は30分以上かけて風呂に入るし、相手の体もチェックしてから出ないと布団にすら入らない。 キスなんて、もっての外だ。  人間はえてして汚らしい。  それなのに、外気を纏ったこの男を受け入れる以外の選択が見つからなかった。  わからない。  指を抜かれて、今度は彼自身が挿ってくる。 2時間前に抱かれたおじさんとは全く違う大きさ。 反り方もちょうど俺の前立腺にぶつかる感じ。  悪くない。  それどころか、今までで1番気持ち良いセックスな気がする。  声が止まらない。  手が、俺のものをしごく。  素手なのに、もっとして欲しくなった。  「あ、ああっ、もう、い、イっちゃうっ!」 「俺も、出すっ…… くっ、はぁ」  セックスが、ここまで気持ち良いなんて初めて知った。  お互い、信じられないくらい息が上がっている。 そんなに長い時間していないのに。 大き目の紙袋なのに、苦しさを感じた。  ゴムを外す音が聞こえる。  「ゴミ箱、ベッドの足ものとのほうにある…… ティッシュはサイドテーブル」 「…… ありがとう」  彼は俺の言うとおりにティッシュで包んだゴムを捨てた。  「じゃあね」 「…… うん」  彼はそのまま窓から出て行った。  それから1週間経った。  また、木曜日だ。  ゴミ箱を空にし、シーツも取り替え、ティッシュがちゃんとあるか確認する。  今日まで、いつも通り第3志望だった大学へ行き、ウリ専のバイトをして、部屋に戻るの繰り返しだった。 やりたいことなんて、特にない。 自分がしたいことがわからないまま、勝手に動く臓器に呼吸させられているだけ。  窓を開けて寝る。  きっと彼は、わかる。  紙袋は自分で用意した。  30分くらいして、前回と同じくらいの時間になる。 窓の外に気配を感じた。 2階のベランダには、きっと外階段から来ているんだろう。  「もう、紙袋被ってる」  網戸が開いた。  それからは毎週同じ木曜日に、俺は窓を開けた。 彼が来やすいように、外階段とベランダの間に梯子を掛けて固定させたりした。 金曜の朝には必ず片付けた。  セックスの時間は多少長くなったけど、それ以外は変わらない。 互いの顔を見ず、黙々と体を重ねる。 彼の温度を体内に感じるとき、今の自分が快楽に耽っていることを意識させられる。  この世界の片隅で、自分が確実に存在していると分かる瞬間。  こんなこと、今までなかった。  自分の体や心を、初めて不思議だと思った。  その木曜も、窓を開けた。  雨が降っていたから、バスタオルを用意してみた。 ベランダから、大きな音が聞こえた。 紙袋を被ったまま、手探りで網戸を開ける。  網戸が少し裂けていた部分に人差し指の先が刺さったが、気にしなかった。  「大丈夫。 掌を少し擦り剥いただけ」 「サイドテーブルの一番下の引き出しに、救急箱がある」 「わかった。 借りるね」  濡れたままの体がベッドを横切っていく。 雨は汚い。 体を拭いて欲しい。  でも、それよりも、抱かれたい。  消毒液の蓋が閉まる音。 絆創膏を開くときの紙の音。 ごみを捨てたときの反響音。  微かなそれらすら全てが耳に入ってくる。  引き出しが閉まった振動にゾクリとした。  側に座っていた彼に抱きつく。  「早く…… このままで良いから」 「でも、手を怪我したからゴムが付けられない」 「じゃあ、そのままして」  彼がバスタオルに手を伸ばすそぶりをしたのを感じとる。  「拭かなくて良いから、早く」  手を彼のほうへ動かして、ベルトを見つける。 そのままバックルを見つけて、外した。 ボタンも、ファスナーも、下着も全て解いていく。  紙袋を少し上に上げて、自分から彼を口に含む。  シャワーも浴びていない男のもの。  でも、欲しい。  嫌らしい水音が、鼓膜に届く。 紙袋越しに後頭部を抑えられる。 むせそうになるのをグッと堪えて、わざと喉奥へ入れる。  「うっ、あっ…… うぅっ」 「うぐっ、ぐっ、うぇっ、うぐっ」  彼の喘ぎ声と俺の呻き声。  原始的な会話と快楽だけの繋がり。  彼の両手が俺の頭を上へ持ち上げる。  「四つん這いになって…… バックでする」  ズボンの脱がずに後ろを向き、腰を高く上げる。 下着と腰の間に、彼の手が入ってきた。 そのまま、一気に降ろされる。  中に挿れられる。  腰を両手で固定されて、激しく打ちつけられる。 喘ぎ声なのか叫び声なのか、自分でも分からない悲鳴のような何かを発する。 いや、これは懇願だ。  もっと俺を俺だと実感させて欲しい。  少しだけ、爪が食い込む。  痛みも、痕も、彼が出すであろう精液も、今、この瞬間俺が俺だから得られるものだ。  少しずつ、動くが早くなっていく。 中で彼自身が大きくなり、俺の前立腺をゴリゴリと刺激し始めた。 彼の手が、俺自身をしごき始める。  涙が、俺の輪郭を滑っていった。  俺はこいつから逃げられないんじゃない。  自分から逃げられないんだ。  バイトが終って、事務所に戻る。  最近、少し人気が出て来たと言われた。 理由を聞かれたが、自分をどう見られたいか意識し始めたとだけ答える。 来週の出勤予定を聞かれて、退職したい旨を告げる。  「他にしたいことができました」  もちろん渋られたが、絶対に出勤できないと伝えると苦笑いしてから承諾してもらえた。 別にやりがいことが決まっている訳ではない。 でも、やりたいことを見るけられる気がした。  家に帰る前に、事務所の近くのカフェに寄る。  退職を告げるのに少し緊張していたから、喉が渇いた。  この店は初めてだけど、きっと今日が最後になるだろう。  「アイスコーヒー、グランデで」 「豆はこちらからお選び下さい」 「えーと…… あ」  そのとき、店員の掌に見覚えのある絆創膏が張ってあることに気が付いた。  実家から持ってきたそれは、日本では売っていない友人からのアメリカ土産だった。  ネームプレートには「中瀬」と書かれている。  「どうかされましたか?」 「いや、大丈夫です…… これで」  人差し指で適当に示す。  「…… お客様、お怪我ですか?」  同じ、絆創膏。  「…… はい」 「早く治ると良いですね…… お会計432円です」  レジを見ると、色々な店で使えるポイントカードのイラストが描かれていた。  「これ、お願いします」  わざと裏返しにしてカードを差し出した。  俺の名前を目にした彼が、顔を上げてこちらを見る。  こんな顔の人だったんだなと思った。  それ以来、俺は窓を開けていない。

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