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第1話

学校の廊下。一人も生徒の姿はない、授業中だからマジメ君たちは当然か。 既に出遅れているオレは授業に出る気なんてさらさらない。かといってこうしていれば教師がうるさく走ってくるだろう。それもそれで楽しいかもしれないが。 うんざりする。 授業に出て黙って聞いて居ることが一番楽なのは知っている。別段そうして机にふせっているのも嫌いではない。寝てりゃあいいのだから。 うんざりする。 そういやさっき教室を覗いたとき、柏木の姿がなかった。まだ来てないのか。 やれやれ。 そろそろ外に出ようと手前の窓に手をついた。足場を確認するために下を見ると、そこに呑気に寝息を立てている柏木が寝ていた。 思わず顔がにやける。 その顔に触れようとして、遠くに聞こえる足音に慌てて下に転げ落ちた。その直上を、男が通り過ぎて行く。先公が行ったのを確認しようと顔を出しかけると戻ってきて、おかしいなと呟きながら先程俺が居た場所をうろうろし出した。 おかしいのはお前のハゲ頭だろが…。 「ん…」 不意に声が足元から聞こえて下を見やると、そういえば柏木を下敷きにしていた。 その声が聞こえたのか、上でうろついていた先公の動きが止まる。 「何だ…?」 声が上から聞こえる。起きつつある柏木の口をふさいで体を低くする。 「…むぅ?」 キーンコーン 結構上がっている心拍を意識していると、タイミングよくチャイムが鳴った。 先公の気配が離れて行く。逆に濃密になった俺と柏木との間で、もごもごと寝ぼけた柏木が何やら呟く。口元の俺の手を邪魔そうにどけて、寝返りをうとうとする。勿論それは俺が覆い被さっているので適わず、形のいい眉が寄せられる。 その顔を暫く眺める。少し上でわっと喧騒が溢れた。 そうだ、最近はこいつで遊んでいたんだっけか。 どこかぼやけていた思考がピンとしたとき、それを察知したように柏木の目が開いた。目の前にある俺の美しい顔を、暫く呆けたように見つめる。反応がないので息を吹きかけてみると、面白くて唇を歪めると、とうとう柏木が暴れ出した。 「何してんだっどけ!」 そうだ、この反応が面白いんだった。 暇人かと思いつつ、ニヤニヤと振りまわす柏木の両手を地面にぬいとめる。 その行為にハッと俺を見上げる柏木の目が、たまらなくゾクゾクする。なんというか、犯罪を犯している気分になる。 以前から覚えた『遊び』。それは回を重ねるに連れて段々過剰になってくる柏木の反応に、比例するようにこちらもエスカレートしている、と思う。それをヤバイとかやめようと思うなんて今更だ、とも思う。いうならば、柏木だからこの遊びに意義があるというものだ。時々柏木が幸せそうにしているとめちゃくちゃにしてやりたくなる。 近くで数人の走り去る音が聞こえる。 手を押さえ付けたことで更に喚き散らす柏木の耳元に顔を寄せる。わざとねっとりとした口調で息を吐いた。 意味のない言葉に、すなおに柏木の耳が赤くなる。明かに怒りのそれとは違う反応が、柏木の単純さを表している。 「っ…ざけんなよおい。いい加減にしろ伊達。」 徐々に落ち着きを取り戻してきた柏木は、ここで引かないと蹴りやら拳やらを飛ばしてくるので、大人しく退いておく。やや赤い顔でムッスリとしたまま立ちあがった柏木を見上げる。 「今の言葉ゆうちゃんに使ってやれよ?」 惚れてくれちゃうかもよお? そう言うと、瞬間、柏木の顔がサッと白ばんで体が固まった。 「―――余計なお世話だ、」 それは一瞬のことで、また何ともなかったように柏木は俺に背中を向けた。揺れるその肩が明らかに動揺を示していて、その努力は実らなかったようだが。 「何処行くの。」 「教室。次の授業はじまんぞ。」 そういえば先程よりもざわめきが収まっている。だからといって俺も出る、という気にはなれない。 「行ってらっしゃいあなた、お昼までには戻ってきてね。」 柏木が今まで寝ていた場所を引き継ぐ形でそこにゴロリと横になる。バカかという柏木の言葉を背中に受けながら目を閉じる。 「伊達。」 「…、何だよ。」 まだ行ってなかったのか。 「もう、冗談であんなこと、すんな。」 その言葉に、俺は閉じていた目を開く。明るくしようとしているようだったが声の調子は硬かった。おそらく表情は真剣そのものなのだろう。 どうやら柏木は俺にからかわれるのがかなり嫌らしい。童貞のくせにみみっちい奴だ。いや童貞だからこそか。そんなんだから遊びの種になるのだ、ということをこいつは知らない。そうやって何かを言えば言うほど深みにはまっていくことも知らない。 「へぇ。」 俺は横たわったまま寝返りをうち、柏木を見上げる。 「じゃあ冗談じゃなければ良いのか?」 俺を見下ろす目が大きく見開かれる。 柏木の口元が笑みをかたどるが、その端が微かにひきつっている。 「お前、何言ってんの?」 そうじゃねぇよ、そう言いながら何でもない振りを装うとしている柏木を俺は知っている。 明らかな動揺。これだから、柏木は面白いんだ。 「好きなのにな、お前のこと。」 一瞬、柏木の顔から表情が消える。その柏木の目から視線を外さずに立ちあがった。また肩が揺れたが、近づいても動かない柏木は何かを必死に考えているようで、定まらない瞳をパチパチと瞬かせている。 信用できるという意味と俺の今の言葉とは用法が違うのは明らかだ。勿論本当にそんなこと、俺は思ってもいない。だってマジにそんなこと思ってたらホモじゃない?それは柏木をからかうためのたんなるキーワードの一つなのだから。 聞こえているのかいないのか、俺は柏木の腕を掴んで無理矢理引き寄せた。今度は確かな柏木の目を覗きこむ。焦る柏木の表情が見たくて、極力本当っぽく甘い声で囁いた。 「好きだ柏木…誰にも触らせたくないくらい。」 更に愛してるとか抱きしめたいとか、色々浮かんだ言葉はそこまで続けて途切れた。自分の言った科白のあまりのクソさに柏木も真っ青だろうと笑いが込み上げてくる。唇の端がやや引きつってくるのを堪えていると、見つめていた柏木の表情が微妙に変わっていることに気づく。 青くもなく赤くもなく、ただ呆然と柏木は俺を見ていた。ゆっくりと瞬いた切れ長の目が滲んでいるように見える。このまま徐々に消えて行ってしまうような、存在が突然希薄になったような印象を受ける。占めているのは絶望に似た感情。 その名前も知らない感情を見出して、俺はそれにひどく惹かれる。 柏木のこんな表情を見たことなどなかったと思う半面、何度も垣間見ていたような気もする。その不確かなズレに、体の奥が熱くなってくる。瞬いた柏木の目元が、やけに扇情的に感じた。薄く開かれた唇が誘っているようで、気がついたら自分の唇をそれに押し付けていた。 冷たい柏木の唇の感触、鼻先が柔らかな柏木の皮膚に当たる。 背筋が熱くなってきて、重ねた柏木の唇を舐め上げる。柏木の口に舌を差し入れ、薄く開かれた歯列をなぞって柏木の舌を絡めた。柔らかな冷たい舌が誘うように絡んできて、知らない感覚に背筋がぞくぞくする。ピチャリと水音がする。 夢中になって柏木の舌を貪りながら、強い熱に惹かれるように柏木の腰に手を回した。そのことに反応したように、今まで無抵抗だった柏木が突然俺の手を弾いて突き飛ばした。そうした柏木が少しよろけ、俺を下から睨みつけてくる。 怒鳴りでもするのか、と先程の激しい熱にぼんやりしながら俺は口元を拭った。 柏木の赤く濡れ唇に、また背筋がぞくりとする。 不意に始業のチャイムが鳴る。 柏木はそれに弾かれたように回れ右をした。何も言わずに一人でどうにか片付けてしまうつもりか。 この自分のわけが分からない感覚は何なのか。 「柏木。」 背を向けた柏木の肩が揺れる。 「怒んねェの。」 「何が」 「今のだよ、フザケンナって、怒鳴んねーの。」 柏木の肩が不安定に揺れる。 「もう、いーんだよ」 「何がいいんだよ。言いてーことあんなら言えば。」 「怒鳴って欲しいのかよ!」 言葉をぶつける柏木の声が悲鳴のように聞こえた。 柏木の表情を知りたくて、その肩に手をかけて無理矢理こちらを向かせた。顰められた眉と結ばれた口元が、泣いているような錯覚を俺に受けさせた。 その柏木の表情と自分の繋がらない思考に、俺は困惑する。 「だって、よ、」 「なんだよ。」 「キス、した、オレと」 「だから。」 「本気で、オレ、あんなのお前に…、」 訳がわからなくて頭に手を当て、これはどうしたのだと考える。 俺は柏木に、本気でキスをした、『遊び』だったのに。 それは確かに『遊び』だったのに。なのに、どこかで何かがズレて。 ふと柏木と目が合った。瞬間、柏木を中心に世界が歪んだ。吸いこまれそうな錯覚に陥る。 気がつくともう何も変わっていなくて、目の前に柏木が確かに鼓動していた。 なんだよ、コレは。 喉が乾いている。 目の前の柏木の肩にそっと触れて、額を押し付けた。  

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