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不良少年と優等生との秘密の関係

手元がふと暗くなった。 読んでいた本から目を離して顔を上げると、クラスの女子が数名ぼくの机の前に立っていた。 そのうちのひとりが、 「荻島(おぎしま)くん、帰らないの?」 胸元に手をおいて、そう問うてきた。明らかに「心配しています」という雰囲気が醸し出されている。 彼女たちを見るふりをして、更にその先にある時計を盗み見た。 16時30分ちょっと前。 そろそろ帰ってくるかな――。 心の中だけでそう思い、憮然としそうになる顔を無理やり笑顔にして、答える。 「ありがとう。そうだね、そろそろ帰ろうかと思っていたよ」 ぱたんと本をとじて、机の脇に掛けてある鞄を手にした。そのまま、その中に本を入れると、もう一度微笑みかける。 自分で言うのも何だが美少年なので、彼女たちが先程から赤面しているのも理解が出来たし、わざわざ声を掛けてきたその理由にも合点がいっていた。 だから、入念に帰るフリをする。 彼との逢瀬は知られてはならないのだから。 そこまで考えて、口元が緩みかけた。おっと危ない。唇に力を込め、きちんと引き結ぶ。 ふいに、女子のひとりが怖々と後ろを振り返った。 彼女が見ているのは、教室の扉――ある人物がこれから入ってくるに違いない場所、だ。 「早く帰った方がいいよ絶対。だってもうすぐ、アイツ職員室から帰ってくんじゃん」 「そうだよ。絶対机のひとつでも破壊するし、最悪荻島くん、殴られるかもしんないよ!」 「えー! 怖い! やばいやばいやばいよね、ほんと菱毅(ひしたけし)アイツまじでなんでうちにいんの? 逮捕されないの?」 アイツ呼ばわりか。それはない。逮捕? 逆に聞こう。なんで逮捕されるの?などと、これまたこころの中でだけ呟き、彼の悪評高さに嘆息する。 「そうだね。ところで菱くんって、なんであんなに暴れん坊なのかなぁ」 ぼくは指を顎にあて、わざとらしくそう口にした。 その理由を誰よりも一番知っているのに。 と、突然、荒々しく扉が開け放たれて、 「・・・・・・あ?」 身長180cmを越す巨体の男が入ってきた。 元々細い目を少し見開くと、皆が恐怖する三白眼がこちらをきろりと睨んだ。 ぼくも一瞥で応える。 刹那、水をぶっかけられたみたいに固まっていた女子たちが我に返って、 「きゃー! きゃー! ごめんなさい!! 許してください殺さないでください!! 犯さないでください!! いやーー!」 騒ぎ出したかと思うと、脱兎のごとく駆け出した。 その様子を至極慣れた様子で彼は見つめていた。 少し寂しそうに見えるのは、きっと世界でぼくだけだろう。 そう思うと、胸の奥あたりが疼くようなきがした。 あっという間に放課後の教室には2人だけになる。 「今日はまた随分と遅かったね。こってり絞られてたの?」 それでぼくは人目を気にせずに、毅に話しかけることが出来た。 毅は自分の机の上にどっかと引き締まった臀をつけると、大きく肩で息をつく。 「ああ。なんか、1年のほうで騒動があったみたいでよ。犯人はわかってるのに、おれがそいつに何か教唆したんじゃねぇかって疑われた」 そう言えば今朝方、1年C組の教室で何やら釘で誹謗中傷文が黒板に書かれるというセンセーショナルな事件が発生したと聞く。 ぼくには関係ないと思っていたが、まさか毅が犯人の仲間だと疑われているとは。 苦々しく呟いた彼に、ぼくは思わず吹き出していた。 「きょ、教唆・・・・・・! 今更ながら毅、どれだけ嫌われてんの・・・・・・ぷ。ぷぷぷ」 「ほんとうに誰もいないか?」 ふいに、毅が声を低くした。小さく細い目がきょろきょろと辺りを伺う。 暴れん坊で手が付けられないほどの不良少年――それが周りの評価する菱毅という少年。 しかしその実態は、小心者でストイックな心優しい少年。 それが菱毅という男の実態だ。 今もぼくが自分と話しているところを誰かに目撃されていないかと、気にしている。 ――学校はじまって以来の天才、荻島久己と学校はじまって以来の問題児、菱毅とが友人関係にある―― なんていう噂が立たないように。 矢も盾もたまらなくなったぼくは、唇を片側だけ持ち上げると、そのまま毅の巨体に背中から抱きついた。 自らの腕を鍛え抜かれた彼の腰に巻き付けると、毅が身を固くしたのが分かった。べこりと窪んだ腹筋の上をそっと撫でる。 ぼくが、ぼくだけが知っている彼。 「ちょ、ちょ、久己、ここ学校、学校だぞ!」 毅の顔がみるみるうちに赤くなっていく。それが面白くてぼくは更に力を込めた。 「いーじゃんっ! 誰も見てないって!」 毅がぼくを無理矢理引き剥がした。 耳まで真っ赤だ。 それがかわいくて更に抱きつこうとすると、毅に距離を置かれかけた。 だからぼくは彼よりほんの僅か速く動いて、再び彼の背後に回り、今度は首に腕を巻く。 このまま締め落としそうになるけれど、そこは我慢。 ぼくはにやりと不敵に笑うと、毅の耳元に息を吹きかけた。 毅が背筋を強ばらせ、勢いをつけてこちらを向く。 「くそ、久己、おれは絶対に、ぜっったいにお前を越えてみせるからな!!」 「はいはい。がんばれ~~」 菱毅、我が校はじまって以来の不良少年と呼ばれる彼が、かつての不良少年である自分に負けたのは遠い過去の話。 それ以来彼は、強い奴がいる、と聞くと駆けつけて修行と称して闘おうとしている事実を知るものは、たぶん、ぼく以外に誰もいない。 「さて、帰ろうか。なんだか落ち着かない雰囲気だし」 ぼくはそう言うと、毅の頬に軽くキスをした。 「ひ、ひさみぃぃぃ! き、貴様ァぁぁ!!」 怒髪天を突かれたのか羞恥がキャパシティを越えたのか、或いはその両方か。 毅は怒声を上げると、更に顔を赤くしてぐるぐると両手を振り回した。 その仕草がかわいくて、思わずまた抱きしめてしまう。 この我が校はじまって以来の不良少年が、ぼくこと荻島久己の恋人であるということも、これまた誰も知らないだろう。 そう考えるとなんだか嬉しくてくすぐったくて、ぼくは今日一番の笑みを彼に見せた。 1年C組の事件の犯人とされる人物たちとぼくらが関わりを持つことになるのは、また別のお話。 了

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