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第1話

「現代日本でこんなことがあっていいのか…?」 神は死んだのか。  連日の記録的な猛暑に森ノ宮タツミは空を見上げて項垂れた。てのひらで作ったひざしは、きつい日差しに傷んだ瞳に一瞬の安堵をもたらすが、すぐにアスファルトの照り返しを受けて自分がサウナのような熱気の中、とぼとぼとあてもなく歩いていることを思い知る。いや、目的地はあるのだ。真夏の炎天下の中、何が悲しくて散歩に出る物好きがいる。  タツミは、質面倒くさい受験生活を終え堅苦しい仕来りから離れ、ごく平凡な大学生活を送っていたごく普通の大学生だった。人付き合いはうまいほうだし友人もたくさんできて時にははめをはずして思い描いていた通りの自由な時間を謳歌していたのだ。ところが移って三月も過ぎた頃、借りていたアパートの大家さんが賃貸業を畳んで海外に移住するのだとかなんだとか、およそ納得の行かない理由でタツミは突如宿無しになってしまった。  争えば多分勝てたのだろうが実は親の反対を押し切っての進学で、弁護士費用捻出に頭をひねるよりは身軽な学生の身分を生かして新しい住処を見つけるほうが現実的であった。保証人不要に破格の待遇で半年間置いてくれた大家の主人には感謝だけで見送ってやろう。われながら心が広いと自分を慰めながらの宿探しは思いのほか難航した。  足を棒にして不動産屋を回ったのだが、いかんせん家賃の上限が学生の身の上、非常に低く設定されていた。追い出されて方こっち、友人の家を転々としていたのだが、彼女が呼べないのなんだのと気の置けない彼らは不満を隠しもしない。  挙句に今は夏休み手前の試験期間だ。時間の余裕がないのになんたる運のなさだろう。  一軒くらい、せめて夜露を凌げる屋根があればと半ば焦りに転がされるように走ったここいらじゃ最後の不動産屋。ないねぇ今の時期はと首を振られ肩を落とした。これはまさか自分を手元に置きたがる実家の母の指し金か嫌がらせか猫の呪いかと炎天下の中歩き回った疲れと失望から現実逃避を計っていたところ。 そこの君、よければうちに置いてあげようかと声をかけてきた男がいた。  自分同様残暑の強い日差しを浴びていながら日焼けの一つもしていない白皙の肌がまず目についた。涼しげに麻の生成りの仕立てのよいズボンに真っ白のラフなシャツを適度に着崩している。黒みがかった髪の色は日本人のものと大差ないが、瞳の色と彫りの深さは明らかに人種の違いを見せつけていた。一瞬怖気付いたタツミの様子に気づいて彼は朗らかに笑ってみせた。 「イントネーションにも自信あるんだけどな。君もこっちを見るまで気づかなかったろ」 「すみません、じろじろ見たりして」 「生まれも育ちもアメリカだが幼少の頃に日本での滞在経験がある。俺の年はご想像にお任せするよ。こちらへは長期休暇のつもりでやってきたんだ。夏休み、君がアパートを見つけるまでなら遠慮しなくて構わない。」  金持ちの道楽者か。そう年は離れていないような気がする。身体全体の線の細さが夏の薄着の上からならよく分かる。身長は自分よりも若干高いくらい。  まあ、ただだって言うし。嫌になったら出ればいいし。そう害のある人間には見えない。ぱっと見ただけでも筋肉の度合いでは多分負けてないだろう。あー部活で鍛えててよかった。 もう究極のところ日陰の下で一杯麦茶が出るだけでもいい…。 相手の胡散臭さや警戒心は夏の暑さに溶けて消えた。あとひとかけらの余裕があれば傾かなかった天秤がこの時傾いてしまったのは確かだった。

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