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春雷、あるいは青天の霹靂

 その横顔に見蕩れた。長い睫が頬に影を落とし、隆とした鼻梁が目線を掴んで離さない。薄く、弧を描く唇が小さく開き、声を発する。 「・・・・・・っす」  かろうじて発せられた声が挨拶だと分かり、僕も会釈を返す。それだけで、いつものように彼は手元の花に意識を戻し、パチリ、と一閃。特に花を扱うとき、彼は必要以上の口をきかない。斜めにそぎ落とされた茎の、その要らない方が僕だと夢想する。彼の作品を、完璧たらしめるために捨てられる、要らない部分。でも、それまでは確かに必要だったのだ。ここまで届くために。ただそれだけに溜飲を下げる。  彼と最初に出会ったのは、今も僕が続けている花屋のバイトだった。水替えも、花の世話も、教えるより先にずっと上手で、でもなんとなく、理由を聞きづらい雰囲気が彼にはあった。最低限の挨拶。ともすれば接客には消極的で、さりげなく避けている節さえあったが、力仕事の類いは厭わなかったし、どうせ一つしかないレジを打つなら僕がやったって問題はなかった。僕がバイトに入らない日だって、力仕事よりレジ打ちの方が好きな人ばかりだし、何より、彼のアレンジメントは一級品だった。花の値がまだイマイチ把握できないと、お客様の好みの花に、僕が予算に合わせて選んだ無難な花達。そして彼が、僕に聞きながら足す、選ばれた花達。パチリ、と切り落とされ、ブーケの中でお行儀よく並んでいく花達。すべてが彼の思い通りに行ったあと、微かに浮かべる笑み。ずっと、見ていたくなるこの気持ちを、もう僕は分っていた。 「渋谷さんって、俺のこと好きですよね」  唐突に彼から聞かれたのは、人通りもない、春の嵐の日。横なぶりの雨に、もう半分シャッターも締めて、帰ろうか、帰らまいか、そも足はあるのかと悩んでいるときだった。  突然のことに返事もせずに固まっていると、彼は続けた。 「すみません、慣れている・・・・・・というか、小さいときから、ずっとそういう風な目を向けられてきたんで」  類い稀なる美しい顔の弊害か、人に好意を向けられることに敏感になっていったという。それは、自衛のためでもあって。 「無理にとは言わないんですが、お願いがあるんです」  俺に、男同士のセックスを教えてください。  スタンドカラーの白いシャツ脱ぎ捨てながら彼は言った。自分のことを好きになる人のことは、何となく分ってしまうし、いっそ強引に迫られないことを不思議に思った。男女問わず、無理にセックスをしようとしてくるのが今までの常識だったし、あわよくば、ではなく本気で俺を好きそうなのに、なぜこの人は迫ってこないのだろう、と。 「だから、きっと断らないだろうと思って」  そんな理由で挿入まで至れるのかと心配したが、軽く握り込むと彼のモノはピクリと応え熱を帯び始めた。 「俺、迫られても求められるのは女役?ばっかりで」  さほど準備させることもなく、彼自身が十分な固さを持った時点で切っ先を当てられる。心の奥底では気付いていた思いが、少しずつ輪郭を帯び始める。 「だから、あいつらがどんな思いで俺のこと抱いてたのか、一回やってみたかったんですよね」  初めて男を抱いた彼は、僕の体にどんな感想を持ったのだろうか。いつになく饒舌な理由は、一体何を隠すためなのだろうか。  向かい合っていたところから、向きを変え、腕を引かれながらの後背位に、彼の荒い息づかいが聞こえる。どうせなら、綺麗な顔を見ながらセックスしたかったな、とか。  一際早まったストロークの後、何も聞かずに奥に吐き出したのは、過去に彼が受けた行為をなぞっているのだろうか。 「今日は本当に、ありがとうございました」  今、どんな顔をしているだろうと振り返った僕に、ブーケを完成させたときの笑みが降ってきた。  良かったら見に来てくださいと渡されたダイレクトメールは、とある華道の流派の展覧会のお知らせだった。なるほどそれで、という思いと、なぜ今更ここでアルバイトを、という考えが浮かぶ。 「お偉い先生方だけじゃなくて、市井の人がどんなアレンジを好むのかとか、知りたいことが山ほどあったんです」  彼は答えた。知りたいことは、知れただろうか。その中に、あの嵐の出来事も含まれるのだろうか。 「今回の作品は、渋谷さんの協力なしには完成させられなかったので、見に来てもらえたら嬉しいです」  思っていたよりも広い、会場のずっと奥。彼の作品が位置するのはどう見ても上手い人の場所でしょうが、と思ったよりもすぐに、羞恥と感動と、それからぐっと胸が詰まるような、言葉に出来ない原始の感情が込み上げる。これは、僕だ。そしてきっと彼だ。   そうした彼の作品のタイトルは『背徳』だった。

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