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第1話
目の前には、洗いざらしの白。
両の手で掴み締めたシーツの湿り気が煩わしいが、滑る肘上に始終張り付くそれはひんやりと心地好い。
じんわり滲む汗を塗り広げるよう、胸や腹を伝い這う硬い掌は不本意極まりない事に不愉快ではない。
寧ろ。―――キモチイイ。
ぬるい快感に浸りながら、サイトウは肺に詰めた息を短く、幾度も切って吐いた。
掌と似たり寄ったりの硬い皮膚に覆われた指先が唐突に胸の先端を掠める。
大柄でも小柄でもない背がびくり、と弾けた。
その反応を追いかけて唇が濡れた背を二つに分かつ線をなぞる。勝手を知り尽くした動きで、サイトウの汗を含みながら上へ上へと這い上がっていく。項の中心に軽く吸いつき、薄い耳朶を緩く食んだ。
「ッ、あ」
声帯がみだりがましい音に震えた。
熱と湿度にまろんだ吐息が忍び入り、重だるい腰の奥を疼かせる。
今の躰は、自分のものでありながら決して自分の思うままにならない。
思いつきにじりり、と苛ついたサイトウはその眉を軽く顰めた。
「ムか、つく・・・」
弾む吐息と共に独りごち、渾身の力で首を捻る。八つ当たり的に、項の辺りで戯れていた唇に喰らいつく。
ほんのりと塩辛い唇は当然のようにそれを受け止めた。 とろりとした舌先と己のそれを突き合せたのち、深く深く絡んでもつれ合う。
不自然な体勢でのキスは ――恐ろしい事にこれは紛れも無いキスだった―― サイトウに無理を強いた。けれどそれも隙間なく重なった背と胸が互いの熱に同化する頃には全く気にならなくなっている。
幾度目とも知れぬ息継ぎの合間、サイトウの内側に潜り込む指の腹が一箇所をやわやわと刺激しはじめた。
明け透けな快感が脊髄を駆け上がる。思うままに暴れさせていた舌がずるり、抜け落ちた。
「あ、ぁ・・・、あ」
最近慣れつつある"痛み"が下肢の付け根に拡がる。急速に高まる吐精感。
それからどうにか逃がれたくて、サイトウは腰を高く掲げた恰好のままかぶりを振った。
今吐き出してしまうと後が辛い。 それを察したのか、内を抉り拡げていた指が一息に引き抜かれた。
奥深く食んでいたものの喪失に、後腔が物欲しげにひくついているのがはっきりとわかる。
けれど―――それも今更の事。
サイトウは腰を揺らめかせて"先"を促した。
尻に擦れる硬さと熱、皮膚に食い込む指と背を一度だけ揺らした吐息。気づけば自分は、衝動を煽り立てるものを拾うのが巧くなった。笑いのそれとも期待のそれともつかぬ戦慄きが、サイトウの背を微かにさざなませる。
と、背後から一気に熱が逃げた。
乾燥した冷気を背で感知した時には、柔らかく解された後腔に熱の塊がひた、と触れていた。
「ん・・・、ぁ」
早く。有体にそう告げる声が、サイトウの口許からシーツに零れ落ちる。
「・・・・・・挿入れるぞ」
低い唸りにも似た声が鼓膜を震わせた。
その感覚が快楽に漂う意識をほんの少し現実に引き戻す。
額とシーツの結わえを解いたサイトウは、肩越しに振り返った。
「つーか・・・なんで、そんな始終エラソーなの」
視界の端に引っかかる面差し、直線的で端正だが―――無愛想がデフォルト。
空恐ろしい。
男とセックスしている事より、所謂女役に納まっている事より。
―――この角度で見上げる"距離ある知人"の顔に慣れ始めている自分が空恐ろしい。
サイトウの目許がひくり、ひくりと引き攣る。
その様を見届けたサイトウ曰く"天敵"の口許が緩慢に解ける。
「黙っとけ」
薄い朱に染まる眦が瞬時に吊り上がり乾いた唇から怒気がほとばしる、寸で。
「ぅあっ、くっ・・・ぁ」
綻ぶ後腔が硬いものを咥え込んだ。
内には鈍い衝撃、外にはひりつく痛み。
苦しげな吐息を背で受け止めたサイトウは、知らずの内に肺に留めていた息をゆっくり吐いて身体を縛る無駄な力を抜こうと努めた。
反射行為のように内側を侵す存在を受容れるサイトウの緩く勃ち上がる肉に、節立つ指が絡みつく。指の腹で、つやつやと濡れた先端に渦を描く。その所作は不思議と淫靡な気配と交わらないが、機械的なものでもない。
快楽を拾う為に繰り返されていた深い呼吸が善がる声と縒(よ)合うまで、然程の時間はかからなかった。
「あっ、ぁあ・・・・・・は、ぁ・・・」
蹂躙からは程遠いが労わりとも違う指を助けに、張り詰めた肉を食む処の強張りが徐々に解けていく。
あとはただ、自身でも見た事のない粘膜をかき乱す律動に、サイトウは同調と翻弄を繰り返す。
無心に声を上げ―――洗いざらしの白を力任せに掴み締めて。
喩えるなら、へらりへらりと笑う顔。
特有の倦怠感に温もったシーツへ四肢を投げ出したまま、サイトウは自身の落想に喉奥で笑声を解いた。
見慣れた天井に今し方終えたばかりのセックスの"喩え"を映し出そうとするが、どう頑張っても無理である事は明白。
僅かに深くなった笑いを訝しんだのか、そのすぐそばでサイトウの"知人"が静かに半身を起こす。
弛みを交えない動作を横目に捉え、サイトウはぼそ、と呟いた。
「だりー・・・」
やや掠れた声音の綴ったそれは、嫌味でもあてこすりでもない。抱かれた後に感じている事を端的な言葉にしただけのものだ。
そしてそれを、抱いた側もしっかりと弁えている。
「風呂貸せ」
直線的な視線が、全裸で仰向くサイトウの面上に落ちる。
表情がないのではなく愛想というものがミクロン単位で存在しない面を睨み上げたサイトウは、寝たままの体勢で利き手をスイングさせた。
「だからいちいち無駄に偉そうなんだよ!!」
それこそ無駄な完璧さで炸裂する叫声は、両の掌で塞がれた耳を裂く事はなく。
「うるさい」
最早口癖になっているらしい言葉に、サイトウはぴしゃりと切り返した。
「お前の存在自体がオレをうるさくさせてんだっつのッ」
荒い音韻をかき混ぜるよう、サイトウの上体が起き上がる。
「さっさと入れよ。・・・タオルの置き場所わかるか?」
動いた拍子に下肢が鈍い痛みを訴えた。強いて云うならば無性的な面が微かに歪む。
セックスの余韻らしきその表情を臆面もなく視界の中央に留めているのであろう"天敵"が短く応える。
「憶えた」
躊躇というものを介在しない声音。
了承は得たといわんばかりに、悠然と伸びる体躯が小さな浴場へ近付いていく。
広い背中を大意無く見送ったサイトウは、伸ばしっ放しの脚を折り曲げた。洗濯決定のシーツに利き手をついて、ゆっくりと立ち上がる。腹の表面と奥、その両方で流れ落ちるものがある。
「・・・何、やってんだかな・・・」
自覚のない独り言は、途方のない困惑を漏れ溢した。
その響きが完全に消え去っても尚、サイトウの体躯は静止したままだ。
窓ガラス越しの風景から総ての色彩が失われるまで、あと――少し。
やがて、薄暗い居間兼寝室の畳部屋に硬質の音がくぐもり響く。
ああ、もうこんな時間か。ふと我に返ったサイトウは、玄関そばに備えついた浴室へと足を向けた。冷気に背を震わせながら、ノブを掴み回す。
サイトウの予想通り、狭い脱衣所には竹のように上へ上へと伸びていきそうな身体があった。
カラスの行水ももう少し丁寧ではなかろうか。洗面所の開き棚からバスタオルを引き出す姿を視界に収めつつ、内心にて軽く毒吐いたサイトウの下肢の付け根に、体温と等しい液体がつう、と伝い落ちる。
「ぅわ・・・」
驚きと嫌悪がない交じり、顔を顰めさせた。
他人の放った精は内腿を濡らしてすぐさま冷えていく。
「・・・・・・何やってんだか」
「ああ?」
尊大な問い声に、即行で"独り言だほっとけバカ野郎"と叩き返してやりたくなった。
―――が、そこは我慢のサイトウだ。
さっさと洗い流してしまわねば、これ以上時間を置くと腹を下してしまう。サイトウは身体に響かない程度の足取りでいけ好かない男の背後を通り過ぎた。
けれど、開け放たれた浴室に一歩足を踏み入れたところで、追捕の視線に気づいてしまう。
この眼差しが"こう"なってしまうと絶対に退かない事を、サイトウは知っていた。
なで肩をしんおりと落とし、声の主へやや斜に向き合う。
「何やってんだかなァ、っつったんだよ」
沈黙が、言葉の先を促す。
「小面憎い野郎とセックス。・・・ダブルでありえねぇっつうの」
緩く引き結ばれたサイトウの唇を押し開いたのは、客観と主観の両方に共通する意見だ。
「そうだな」
ストレスの片割れ当人を前にして言い切ったサイトウが朗らかな笑声をあげる。
と、その眉間に浅い皺が刻まれた。
「? どうした」
「痛いんだよッ、ケツと腰が!」
向かい合った狂いのない鉄面皮の上に"なら喚くなよ"という文字を読み取ったサイトウだが、サクっと無視。
浴室に進み入り、曇ったガラス戸を後ろ手に閉ざしつつ、小さな嘆息を一つ吐く。
「コレだけ何とかなりゃあなァ・・・」
―――"三日あけず"でも構わないかも。
脳裏を駆け抜けたものにサイトウの顎が小さく落ちた。
軽くフリーズしたサイトウを余所に、脱衣所の占拠者はつつがなく身支度を終えたのち、半端に開いたままのガラス戸に視線を流した。
「じゃあな」
淡々とした暇の声。
応えはない。
そして、去る者はそれを訝しむ事もない。
金属の噛み合いを二度聞き留めて漸く硬化状態から立ち直ったサイトウは、緩々と息を継いだ。
「ホント、なァにやってんだかなァ・・・」
古びた浴室に散った呟きは、純粋な疑問だった。
知人と片付けるには因縁が深過ぎ、友人とからげるには嫌悪が過ぎて、恋人と結ぶには必要不可欠なものが皆無に等しい、むしろ皆無のまま生涯を終えたい。
そういう人間を相手に定期的に躰を繋げているサイトウ自身と―――ハセガワへの。
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