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お肉屋さんが赤ずきんに恋する話〈2〉

 ◇◆◇  待ち続けて数年、彼は現れることはなかった。  その間に私の父は死んだ。代わりに私が家を継ぐことになった。私は若かったが、子どもの頃から手伝いもしていたので苦もなくすんなりと家を継ぐことが出来た。しかし、今まで通りという訳にはいかなかった。それまでは仕入れをしたり、肉を捌いたり、接客をしたりするだけだったが、金に関するあれこれや人との付き合いが増えた。新しい事業も始めた。死体を買い取って欲しい人に売り捌く仕事だ。物好きもいるもので意外と金になった。その分気苦労も増えた。 「偶には気分転換にセックスの一つもした方がいい。いい子を見つけたんだ」  店の定休日に、そんな私を心配して悪友が遊びに行こうと誘ってくる。歳が七つ上の悪友は友だちと言うよりは兄に近い存在で、悪い遊びに私をよく誘う。彼は、酒、煙草、薬に賭け事、あらゆる享楽を愛している。特に好きなのは男遊びと女遊び。所謂、色狂いだった。私は溜息混じりにそれに付き合うことが多かった。 「生憎と性欲はあまりない方なので」  悪友の影響で男も女も試したことがあるが、行為に興奮することはなかった。ただ淡々とこなすだけの作業のようでさして愉しくもない。それなら鼻歌交じりに肉でも捌いていた方が余程愉しい。 「いやいや、今度の子は本当にいいんだよ。顔立ちも綺麗だし、殺すのと壊すの以外はどんなプレイもしてくれるんだ」 「はあ……」 「一度だけでもヤってみれば分かるから」 「はあ……」  私は溜息で返事をした。気が進まない。親切心からなのだろうが、自分のお気に入りを友人に宛がおうとする気持ちもよく分からない。物の貸し借りじゃないのだからと思う反面、彼にとっては物の貸し借りと同じくらいにしか思っていないのだろうとぼんやりと考えた。  それよりも、気になるのはあの子のことだ。今日は定休日。もしかしたら、今日、店に来るかもしれない。暫く来ていないから定休日のことなんてすっかり忘れているだろう。来るか来ないか分からないあの子のことばかり考える。今日だけじゃない。居なくなってから、ずっとずっとあの子のことばかり考えていた。 「綺麗な色の赤毛でね。何というか、朱色より少し赤み帯びた色の髪をしているんだ」  私は彼の言葉にハッとした。朱色より赤い。まるであの子の髪のようだ。夕日に透けて見えた緋色の髪は柔らかくあの子の顔を包んでいた。あの日の笑顔を思い出す。あの子が来れないのは売られたからだとしたら。  私の顔を見て悪友はにやりと笑った。 「少し興味が湧いたみたいだな。さあ、行こう」  悪友に連れられ、娼館にやって来た。娼館というと仰々しいが、要は娼婦や男娼のいる店ということだ。小さな個室がいくつかあるところで行為中のプライバシーは多少守られているようだ。  悪友は受付で何か話をしていた。私は横に立って、ぼんやりと天井や床を眺めていた。話が終わると、私と悪友はそれぞれの部屋に案内される。どうやら、悪友にはまた別のお気に入りが居るらしい。彼のお気に入りは決まって、顔が人形のように整った顔立ちの子だったから多分そういう子なのだろう。皆、死ねば肉は肉だ。肉に顔がついているだけ。私は美しいものに価値を見出すことができないでいた。そもそも美しいものがよく分からない。だから、彼の好みも理解出来ないでいる。一応、整っていることが好ましいということは分かる。でも、それ以上のことは何も分からない。  通された部屋には若い男が一人居た。少年と言ってもいい年頃だ。確かに少年は綺麗な髪の色をしていたが、瞳は榛色をしていた。あの子ではなかった。あの子の瞳は赤みがかった色だ。私は酷く落胆してベッドの縁に座り込んだ。少年は私の前に立ったり、横に座ったり、落ち着かない様子で私に何か語りかけてくる。面倒だ。でも、仕方ない。  彼も仕事なのだからと割り切って、私は細い目をさらに細めた。そして、笑顔を作ると、少年をベッドの中に引き込んで押し倒す。そこからは義務のようにセックスを始めた。淡々と作業をこなすように、愛撫をして、キスをして、私を受け入れる部分を解して、挿れる。こんなものに何の意味があるのだろう。腰を動かせば、気持ちいいことは気持ちいい。出るものも出る。でも、全ては刺激に対してのただの反応。ただそれだけで興奮も何も無い。  そのはずだったが、今回だけは少し訳が違った。  少年は嬌声を上げていた。目が閉じられ、涙が頬を濡らす。朱色の髪が汗でぴったりと額に張り付いている。滴る汗と涙でぐしゃぐしゃの顔は何処か扇情的だった。もっとぐちゃぐちゃのドロドロにしてしまいたい。初めて目の前のモノを征服したいという欲求が湧いてきた。堪らず、私は目の前の肉に噛み付いた。柔らかい肌と薄い脂肪、奥にある硬い肉の感触、さらに奥にあるゴリゴリと歯に当たる骨、汗の味。初めての興奮にどうしていいのか分からない。衝動が抑えきれない。噛みちぎる程の力は込めていないので血は出ないだろうが、私の歯は彼の肩に食い込んでいた。  少年は目を開き、叫び声を上げた。  声を聞き、瞳の色を見た瞬間、自分の中の熱が冷めていく。違う。間違えた。私はすっと少年から離れた。胸が痛い。罪悪感が募る。間違えてしまった。これはあの子ではない。あの子の代わりなんて居ないのに。私はすぐに服を着た。時間はまだ十分すぎるほど残されていた。それでも私は帰りたかった。少年は何か言っていたが、どうでもよかった。私は彼に幾らかの紙幣を握らせて、部屋から出ていった。  漸く分かった、私が興奮するのはあの子だけなのだと。  よくよく考えてみれば、綺麗だと思ったことがあるのはあの子だけだった。美醜に興味が無いわけではなかったのだ。ただ基準があの子にあるだけだ。あの子に似てるか、そうでないか、それだけだ。似ていれば興奮するし、似ていなければ興奮しない。とても分かりやすい。自分の中にあの子の為の感情がある。それだけでとても嬉しくて、とても胸が痛んだ。  あの子に会いたい。兎に角、会いたい。  それからというもの、定休日になると必ず、私は春を買いに出掛けた。歳は自分よりも三歳から七歳くらい下の子。多分、あの子はそのくらいの歳のはずだ。赤毛で瞳は鳶色の子を選ぶ。あの子かと思って期待するがいつも違っていた。思い描いていた相手でないとはいえ、買ってしまって何もしないのも礼儀に欠ける。あの子じゃなくても買った相手は抱いてやった。  最初は淡々と作業のようにただただ愛撫をする。普段と少し違うのは、いつもより気持ち丁寧に触れることだった。あの子に似ている髪や瞳を見ていると、せめて痛くないようにと動きも慎重になる。じわじわと相手の表情が溶け出す。すると、私は決まって興奮した。いつかの惚けたあの子の顔を思い出す。熱い吐息、赤らんだ顔、焦点の合わない瞳、汗ばむ肌、緩んだ口元から零れる唾液。今ならあのときの表情の意味が分かる。あのとき、あの子は玩具でも入れられていたのだ。そして、私の前ではしたなくイってしまったのだろう。なんて可愛い。堪らなくなって犯し出すものの、ふとしたことで冷めて最後までイケなくなる。あの子と違う声、あの子と違う体温、あの子と違う顔立ち、あの子と違う髪の感触。些細なことが私の熱を奪う。頭の奥が冷える。そうなるともう私のモノは勃たなくなる。以前はそんなことがなかったのに、私はもう普通ではいられなくなっていた。  会いたくて会いたくて、あの子じゃないといけないのに、あの子に似てる者に縋る癖に、違うことに絶望する。何度も何度も繰り返す。最早病気だ。  悪友もそんな私を見てとても心配してくれる。彼は「センセイ」だったから幾つかの薬を処方してくれたこともある。しかし、薬なんて効かなかった。あの子に代わるものはない。運命というものがあるなら、あの子が私の運命の人だ。そう思い込む程、私は頭がおかしくなっていた。

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