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つめたい・はこ

 最近シズが妙に煩い。 「あのさ、水、零れてんだけど」  家に帰って速攻、仕事疲れの身にこれは正直面倒だ。  はぁ?という顔を向けるのにも構わずにシズは冷蔵庫の下を覗き込んでいる。 「何かさー、冷蔵庫っぽいんだけど。何だろ、故障?」  知るか、と返して台所を横切る。第一そんなこと言われたってどうしようもないのだ。冷凍庫が半開きになっていたのか、何か、そういうものだろう。 「いやほら、ちょっと見てって。やっぱ冷蔵庫じゃね。ほら水落ちてくるし」  ほらほら、とシズの声が止まった。  一瞬の静寂。  水音。 「これさー、故障か何か? 電器屋とかに来てもらったほうがよくね? あー、でもめんどいなそれー」  シズはからからと笑う。一体何がそんなに面白いんだろう。ベッドの上に上着を投げる。 「ねー、どうすんの」  問いかけが自分に向けられたから、別にいいよ、と返す。思いの外吐き捨てるような調子になって、自分でも驚いた。え、とシズは面食らったような声で呟いて、ほんの少し黙った。そうだ、そうやって黙っていてくれ。テーブルに出しっぱなしのペットボトルからラッパで麦茶を飲む。温い。 「いやさ、でもこれ壊れてるんじゃ」  中身でも入れすぎてるんだ、そうに決まってる。第一シズはものを買いすぎなんだ。特に食い物。そんなに消費できないだろって思うのに、色々買い込んで、結局腐らせる。しかもその金はどこから出てると思ってんだよ。お前のバイト代、そんなにあったっけ? 「そんなに入れてないって。ほら、こないだ片してくれたじゃん」  そう、結局俺が片づけることになるのだ。シズときたら、俺よりずっと長くこの部屋にいるくせに何もしないのだ。横目でちらりと冷蔵庫の前に立つシズを見やる。ほらやっぱりだ。呆けた顔して突っ立ってやがる。零れてきた水はとうとう水溜りを作って、シズの足を濡らしていた。それくらい拭けよ、自分で。ベッドに体を投げた。 「うっわ、しかも何か臭うし。何これ」  シズは半笑いでペチャペチャ水音をさせている。だから拭けよ。 「ちょっと、聞いてるー?」  聞いてないのはお前だろ。ヘラヘラしやがって。何が楽しいんだ。 「おーい」  もういいだろ、ほっといてくれよ。俺は疲れてるんだって。 「おーいってば」  だから、もう。  水音。  シズの声は聞こえなくなった。  倦怠の限界を突破しようとしていたイライラが、行き場を無くして胃のあたりに凝る。それがじわりじわりと妙な感覚になって、居心地の悪さへと変わっていった。  シズ、と名前を呼ぶ。  返事はない。  それにまた苛立ちを覚えながら、わざと荒っぽくベッドから立ち上がった。  目に飛び込んできたのは、誰もいない台所だった。  ――当たり前、だった。    シズはなんとなく馬が合って、なんとなく仲良くなっただけの奴だった。サバサバしていて、色々面倒のなさそうな奴だったからこうしてルームシェアしようという話になったにすぎない。でも、結局俺はシズのマイペースさに付いていけなくなった。イライラするようになっていた。  今思えば、シズはシズなりに俺を元気づけようとしていたのかもしれない。シズといて、楽しくなかったわけではなかった。そもそも、一緒にいて楽しくなければ、一緒に住もうなんて話にはならなかった――筈だ。なのに。  きっと俺は疲れていたのだと思う。  ぼんやりと冷蔵庫を見つめる。どれだけ保存性能を歌っても、冷蔵庫にも限度は、ある。  俺はため息をついて、乱暴に室内干しのままのタオルをひったくる。ぺちゃり、と足を水溜りに突っ込んでしまう。床に零れてくるその雫は、すっかり冷え切ってしまっていた。  背後に誰かの気配を感じた。 「あのさ、水、零れてんだけど」 〈終〉

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