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第1話

「寒い冬も終わりを告げ、春の訪れを感じることのできる季節になりました」  壇上で生徒会長がそんな話を始める。眠くて眠くて、立っているのがやっとの卒業式だ。  いつの間にか壇上にいるのが現生徒会長から元生徒会長に変わっている。 「……最後になりましたが、校長先生をはじめ、諸先生方のご健勝と、学校の更なる発展を祈念して、答辞とさせていただきます」  気付けば、式次第の順を後から追った方が早いくらいになっていた。  卒業生の『仰げば尊し』を聞きながらふと、もう最高学年か、と思った。  卒業式の後に部活の送別会がある。今日はそのために来たと言っても過言では無い、と思うくらいには、俺は部活への思い入れが強いらしい。 「乾杯!」  元部長の音頭で送別会が始まった。こういうとき、音頭をとるのは現部長、つまり俺のような気がするが、何故かこの料理手芸部は伝統的に元部長が音頭をとることになっている。  前日に焼いておいたクッキーやらケーキやらが机の上に並ぶ。 「あら美味しいじゃない。しっかり漉したのね」  前をとめるボタンを全部なくした学ランを着た(元)部長が焼きプリンを口に運びながら笑う。彼(彼女?)は、俺を見て笑った。俺は照れくさくて、鼻をかいて下を向いた。何故俺が作ったとわかったんだろう。 「先輩、あれ、昨日先輩が焼いてたやつですよね」  隣にいた後輩が、俺の脇をつつく。 「ああ」 「良かったですね」  そう言いながら、後輩はクッキーを口に入れた。 「うん、美味しい」 「昨日散々味見してただろ」  そう言いながら俺もクッキーを食べた。確かに上手い。バターたっぷりのしっとりしたクッキーも美味いが、こういうぱりっとした薄いクッキーの方が俺は好きだった。 「美味しいですか?」 「美味いよ」  俺は後輩に一つ笑った。  この料理手芸部はそもそも人数が少ないが、その中に男子生徒はたった3人。俺と、元部長のオカマと、それから後輩の3人だけだ。  もそもそとお菓子を食べたり、女子の先輩や後輩や同級生にいじられたりしつつ、送別会はお開きとなった。  コートを着てマフラーを巻いて、鞄も持ってそろそろ帰ろうかという時、俺と後輩は元部長に呼び止められた。 「ちょっと、二人こっち来なさいよ」 「はい」  連れて行かれたのは、調理準備室だった。ふわりと、食欲をそそるある匂いがした。 「特別に貸してもらったの。で、これ食べるでしょ?」  部長が、コンロの上に乗っていた鍋のふたを開けた。中身はカレーだった。あの匂いの正体は、これか。 「アタシが丹精込めて作ったカレーよ。食べてみて」  お皿の上に白いご飯、その上に部長がカレーをかけてくれた。 「……俺も良いんですか?」  後輩が訊いている。 「あら、良いに決まってるじゃない。可愛い後輩の可愛い後輩でしょ。それに直接の後輩でもあるし」 「いただきます!」  俺たちは手を合わせて食べ始めた。 「……美味い!」 「美味しいです!」  俺たちは一口食べるなり、感嘆の声を上げた。辛さもちょうど良いし、普通の、ルウで売っているカレーと全然違う。 「3年前のとは大違いでしょ」  俺はその言葉に頷いた。 「前のも美味かったけど、これはもっと美味いですよ」 「あったりまえでしょ、ちゃんとスパイスをブレンドして作ったんだから。そっちの、後輩くんはどう?」 「凄く美味しいです! 先輩が胃袋掴まれたって言ったの、わかるなあ」  後輩が俺を見ながら言う。 「あら、あんたそんなこと言ったの」  部長はちょっとニヤニヤして言う。 「いや、それはその、言葉の綾というか」 「何よ、照れなくてもいいじゃない」  俺はそれ以上何か言われないように、カレーを口に詰め込んだ。 「っあー、美味かった」 「ごちそうさまでした」  俺たちがスプーンを置くと、「お粗末様でした」と返ってきた。 「あんたたちの食べっぷり見てると気持ちいいわ。将来学食にでも勤めようかしら」  部長が満足げに言う。 「……プロになるんでしょう?」 「あら、学食のおばちゃんも立派なプロよ」  おどけたように言う彼だが、本当にいわゆるプロの料理人を志す人だ。 「部長、今までありがとうございました。ほんと、色々……美味しかったです」 「ありがとうございました」  俺も後輩も、それぞれ頭を下げる。 「やーね、そんなのいいわよ。それより、アタシのボタン欲しくない?」  ふふん、と悪戯っぽい笑いが聞こえた。 「え、いらないです……。ていうか、もう無いじゃないですか」  俺はボタンを失って前を合わせられなくなった部長の学ランを見た。 「あんたどこのボタン貰おうとしたのよ。あんたにあげるのは袖のボタン。これだけはとっといたんだから。恋する乙女には心臓に一番近い第二ボタン、技術が欲しい後輩には右袖口のボタンよ」  はい、と手渡された、校章入りの少し小さい金のボタン。 「あんたは、どう?」  後輩は、その質問に首を振った。 「ごめんなさい、俺は、先輩のが欲しいので」  聞き捨てならないことを言う後輩だ。 「あら、振られちゃったわ」  部長は肩をすくめた。 「じゃあ、アタシ徒歩だから。……それじゃあね」 「はい」 「さようなら」  分かれ道で、俺と後輩は、部長に手を振った。目の前の空は、真っ赤に燃えている。 「先輩、泣いてるんですか?」 「泣いてるわけないだろ。ていうかお前こそ何だよ、俺のボタンが欲しいって」  俺は目を開けたまま話をそらした。 「そのままの意味ですよ。先輩、卒業するときは俺にボタンください」 「まだ先だろ。気が早いな」 「そんなことないですよ。先輩がいなくなると思ったら、俺今から寂しいんです」  冗談交じりで話す後輩。どこまで本気なんだか。 「それこそ気が早いっつーの。それよりこれから大変だぞ。新学期始まったら、部活存続をかけた勧誘合戦が始まるからな。男子部員勧誘できなきゃ、来年の後半から男子お前1人だからな」  俺よりちょっと背の高い後輩の首に揺れる紺のマフラーを見ながら、俺は重々しく言う。 「それは大変。…………新学期と言えば、俺が先輩のクッキーを初めて食べた時ですよね。なんだか、一年あっという間でした」  にこり、と後輩が笑った。 「来年もよろしくお願いします、先輩」 「……ああ、うん。こちらこそよろしく」  なんだか、変な感じだ。  ふと顔を上げると、道の脇にあった気の早い桜がひとつ、花を咲かせていた。

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