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第1話
時は5月。
肌寒い季節から一転、外は初夏の香りがし始め気持ちの良い気候になっているはずだ。
しかし現実は甘くない。ニュースでは最高気温が真夏並みだとか紫外線の量が半端ないだとか、天気図とともにアナウンサーが言っている。
まだ5月だというのに、毎日こんなだと 一体7月8月はどうなってしまうのか…。
けれど喫茶店勤務中である俺、秋坂晃(あきさか こう)には関係のない話だ。
客があまりいない落ち着いた店内で、空いたテーブルをふきんで拭きながら、はぁ…と短い溜め息を吐く。
勤務中だがこのくらい構わないだろう。
その時入り口のドアが開かれ、上部に取り付けてある鈴がリンリンと涼しげな音を立てた。
「いらっしゃいませ」
来店してきたのはひとりのサラリーマンで、明るめな茶髪を左側へふわりと流した上質そうなネイビーのスーツを着た若い男だった。日本では珍しい灰色掛かったグリーンの瞳が目を引く。その男は店員である俺が案内する前にさっさと奥の席に座ってしまった。
店主である俺を無視するかのような態度に内心では苛立ちを覚えながらも、客商売なので顔には笑顔を貼り付けサラリーマンの男の元へ向かい、注文を取ろうと伝票を構える。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
「…その前に水くらい出せ。今日のニュースは見たか?外は真夏並みの気温だぞ」
「……失礼しました。すぐにお持ちします」
客のぞんざいな態度に表情筋がぴきっと引きつってしまうが、それを気付かれないようにそそくさとお冷やを待ってきた。
客の男はノートブックサイズのタブレットで何かを忙しなく見ていたが、俺がお冷やを持ってきたことに気付くと画面を伏せた。
「お待たせいたしました。ご注文はお決まりですか?」
「そうだな…サンドイッチとコーヒーを。具は甘くないものであれば何でもいい」
「…かしこまりました。コーヒーはアイスでよろしいですか?」
注文を伝票に書きつつ一応確認すると、男はじろりとこちらを睨んだまま黙ってお冷やに口をつけていた。
俺はそれを肯定と取り、貼り付けた笑顔で一礼し厨房へ引っ込む。
(念のために確認しただけで睨むか、普通…!)
厨房の中に客の目はない。
俺は食パンの入った袋を乱暴に開け、2枚取り出すとまた乱暴に冷蔵庫を開けバターとエッグフィリング、そしてレタスを取り出したが、音は店内に響くので扉は静かに閉める。
天板に置いた食パンの耳をサクサクと切り、続いて蒸し器にレタスを数枚入れて軽く温める。その間バターは室温にもどしておき、エッグフィリングは分量を取り分けておく。
5分程蒸したレタスを冷水で締め、キッチンペーパーで水気を取る。そしてここらへんでコーヒーのためのお湯を沸かしておく。グラスはあらかじめ専用庫で冷やしているので、水が沸騰すればすぐに用意が出来る。
耳を切った食パンにバターを薄く塗りレタスをのせ、黒胡椒を多目に混ぜ合わせたエッグフィリングをその上に重ねていく。
またレタスをのせ、同じくバターを塗った食パンを重ねればひとまず完成だ。具が馴染むまで木のまな板でサンドイッチに圧をかけ、これも5分程放置する。
サンドイッチの付け合わせ用にトマトとブロッコリーを冷蔵庫から取り出し皿に乗せておき、続いてコーヒーの準備に入る。
ドリップ器にフィルターをセットし、アイスコーヒー用の豆を計量カップで計ってから入れると、豆の香ばしい匂いが厨房内に広がった。
その香りを閉じ込めるように、先程沸かしておいたお湯をまずは少量だけ注ぐ。30秒程置いてから溢れ出ない程度に円を描きながらお湯を注ぎ込む。
「…よし」
納得の出来だ。あとは氷を入れたグラスに注ぐだけだ。
コーヒーは十代の頃から好んで飲んでいたため、淹れ方が上手で美味しいと親や親戚のみならず、大学の教授や近所の人などからもよく褒められていた。喫茶店を開業しようと思ったのもその経験があったからだ。
開業してから数年、大繁盛とまでは言えないがそこそこ繁盛しており、贅沢は出来ないが幸いなことにゆとりを持った生活が送れている。
密かに、自分が淹れたコーヒーはここら辺じゃ一番美味いと思っている。
(あの客め、俺のコーヒーを飲んであまりの美味さに引っくり返ればいい!)
ふふふ、と不気味な笑みを漏らしつつサンドイッチを盛り付け、アイスコーヒーとともにトレイに乗せると客の元へ運ぶ。
「お待たせしました。たまごのサンドイッチとアイスコーヒーです」
「…………」
俺がトレイを置くと客は再び目を落としていたタブレットから顔を上げ、無言のままアイスコーヒーに手を伸ばし口をつけた。
「ごゆっくりどうぞ」
内心ほくそ笑みながらその場を離れると、他の客から会計に呼び出されレジへ向かう。レジを打ちながら横目であの男の様子を伺うが、これといった反応はない。
「ありがとうございました、またのお越しをお待ちしております」
会計を済ませた客が退店すると、店内には俺とあの男のみになった。
俺はテーブルを片すべく、ふきんを持ってさりげなく男の横を通って様子を伺ってみるが、男の表情は特に変わっておらず、残念ながら俺が望んだ反応は得られなかった。
店内のスピーカーから優しい音色が流れる中、男はサンドイッチ片手に手元のタブレットで頻繁に何かを確認していた。時折り指でタップしているから、きっとメールでも打っているのだろう。
客がどう過ごそうが自由なのは当然理解しているが、この客の入店時の態度が引っ掛かってしまい、作業をしていてもどうしてか気になる。
「……あの、」
「…?」
気付けば声を掛けてしまっていた。
客の男は不思議そうな顔で自分を見上げているが、すぐに言葉が出てこず、焦ってしどろもどろになり目が泳いでしまう。
「いや、その……あっ、コーヒーのお味はいかがですか?当店の自慢なんです!」
唐突な問いに自分でも驚いたが、目の前の彼はもっと驚いたのだろう。淡いグリーンの瞳が見開かれている。
(なんで声なんか掛けてんの俺…っ!?)
お客さんに声を掛けることなど滅多にない。ましてや初対面の男になんて絶対にだ。なのにどうして彼には声を掛けてしまったのか、俺には分からない。
しかし彼はああ、と返事をくれ、アイスコーヒーを改めて一口飲むとゆっくりとこちらを見た。
「悪くはない。が、特に美味くもないな。普通といったところか」
「ふ、ふつう…ですか?」
「ああ。良くもなく、悪くもない。今後次第で美味くなるのだから頑張ってみるといい」
「……そうですか、ありがとうございます…」
突然の質問に引くことなく率直な感想をくれた彼に一礼し厨房へ戻った俺は、その場で膝を折り声もなく長い長い溜め息を吐き出した。
……ショックだ。
今までのお客さんからは美味しいと言われてきたし、実際に何人かは常連さんになってくれているため、それがただの世辞ではないことぐらいは分かる。
ネットのレビューでもそこそこ良い評価を貰っていただけに、今回の彼の感想は相当ダメージが大きかった。
けれど俺は生来の楽観主義者だ。
「…良くもなく悪くもない、か…。なら、もっと良くすればいいだけだな!」
そう言うと勢いよく顔を上げ、ぐっと強く手を握り拳を作る。
次の来店までには腕を上げよう。
そしてその時は絶対にあっと驚かせてやる!
そうと決まれば話は早い。
俺は早速ドリップ一式と数種類の豆を準備し、ケトルに水を入れ火に掛けた。
店内に流れるBGMが、二人きりの俺たちを優しい音色で包み込んだ。
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