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第1話
「なあ、ユウは恋人いるのか?」
グラスを傾けながら、俺は何の気なしに問いかけた。氷が揺れて、カランカランと涼し気な音を立てる。
「恋人はいないよ。だけど、好きな人ならいる」
目の前に座っている職場の同僚ユウはそう答えると、少し照れた様子で焼き鳥を口に運んだ。焼きナスに玉子焼き。居酒屋の定番メニューがテーブルに並んでいる。職場近くの個室のあるこの店は、料理も酒も美味い。しかも値段もお手頃ということで、ユウと二人で飲むときはいつもここだ。
共通の話題といえば会社のことが多くなるのだが、恋愛の話は今までしたことがない。けれどなぜか今日は、つい聞いてみたくなったのだ。
「へー、そうなんだ。どんな人?」
「うーん、いい人だよ」
「はは、曖昧だな。可愛い? もしかして同じ職場だったり?」
動揺を隠すように軽い口調で問いかけると、ユウははにかみながらも答えてくれた。
「うん、職場は同じ。可愛いっていうよりカッコイイ系かな」
「意外だな、カッコイイ子がタイプだったんだ」
「よく分かんない。気付いたら好きになってたんだよね」
「そっか」
会話が途切れ、俺はレモンサワーを飲み下す。炭酸とレモンの酸味が喉に痺れた。頭はすっきりとするが、もやもやした心の内は晴れなかった。
脳裏に、昼間の出来事が浮かぶ。廊下を通りかかる時、偶然給湯室から女性社員の会話が聞こえてしまったのだ。
『三橋さんって素敵だよね』
『分かる! 普段はにこにこ可愛いのに、仕事中はキリっとしてるよね』
『そうそう。こないだミスしたときさり気なく庇ってくれてさぁ。惚れるかと思った! あー、やっぱ彼女いるのかなぁ』
『いるでしょ絶対。というか美香はイケメンな彼氏いるんだから浮気しちゃダメ』
『はは、何言ってんの。こんなの浮気の内に入らないって』
三橋とはユウの苗字である。三橋ユウ、29歳独身。誰から見ても綺麗な顔に、仕事もできる。引く手数多な好青年。
よく考えるまでもなく彼と俺とは生きる世界が違う。非モテで彼女いない歴=年齢の自分と、彼とがなぜ友人になれたのかは話せば長くなるので割愛するが、女性社員たちの会話から今更ながら出来の違いを思い知ってしまったのだ。
「告白しないの?」
「うーん……、脈がなさそうだからなぁ」
「そう? ユウは顔も綺麗だし、性格も良いし、俺ならすぐにオーケーするのになあ」
「はは、本当?」
「もちろん。ここだけの話、ユウは女子社員にも人気あるよ」
昼間の話は流石に言えないが、冗談交じりに俺はユウの背中を押す。
「それはありがたいけど……」
ユウは困ったように眉を寄せた。
「なんだぁ? その人以外はどうでもいいってか」
「そんなことは言ってない。けどまあ……やっぱりそういうことかな。僕の好きな人、ちっとも僕を意識してないみたいだし」
「そっか。じゃあまずは恋愛対象だって意識させるところからだな。カッコイイ系ってのは、高嶺の花タイプみたいなの? もしかして上司?」
「ううん、同僚」
「同僚なら結構近づくチャンスあるだろ。俺は行ってないけど、こないだも相場が合コン企画してたし」
相場とは同僚の女性社員だ。大きな会社なので、同僚の女性社員でくくってもざっと十数人はいる。
「あー、そういうのは苦手かな。二人で飲みに行くのが好き」
「え、二人で飲みに行ってんの!?」
俺が驚きの声を上げると、ユウはあからさまに「しまった」と言うような顔をした。その表情を見て、俺は思わず笑ってしまう。
「なんだよお前、全然脈ありじゃないか。好きでもない男と二人きりで飲みになんて行かないだろ、普通」
胸にチクリと痛みが走り、それを誤魔化すように俺は笑顔を浮かべた。なんだ、上手くやっているじゃないか。
「いや、それがさあ、僕が好意を寄せているのに全然気づいてないみたいで」
「そうなの? 他には何かアプローチしてみた?」
「ううん、まだあんまり。よく話しかけてくれるし、飲みにも行くんだけどさあ。相手すごく無防備だから、なかなかね」
「あー、弟タイプだと思われてるとか? もういっそのこと、冗談交じりにでも告白してみればいいんじゃない?」
するとユウはおろおろと目を彷徨わせ、そして何を思ったのかウイスキーの入ったグラスを一気に煽る。
「おいおい、悪酔いするぞ」
ダンっ、と勢いよくグラスをテーブルに置き、ユウは俺を見た。その瞳が予想以上に真っすぐで、思わずどきりとする。
「好き」
耳から入ってきた言葉に、思考が停止する。
今、この男はなんと言った……?
「え……っと?」
口から漏れた言葉にほとんど意味はない。けれどユウには動揺が伝わってしまったのか、一気に顔が曇る。
「ごめん、忘れて」
ユウはそう言って俯いた。そして財布を取り出すと万札をテーブルの上に置く。
「帰る」
「―――っ!」
ほとんど反射的に、俺はその手を取っていた。そして、逃げられないようにその腕ごと引き寄せる。
「待って。もう一回言って」
「なにそれ!? 嫌だよそんなの」
ユウが暴れて振りほどこうとするが、俺はもう我慢ができずにそのまま抱きしめた。心臓がばくばく煩いが構っていられない。今、一生分の勇気を振り絞らなければならないのだ。
「言ってよ。そうしたら返事するから。というか、さっきも言ったし」
「はあ? 意味が分かんないんだけど」
ユウが反抗的に睨むが、俺は目を逸らさなかった。ここで逸らしたら終わりなのだ。
俺の意志が伝わったのか、視線が合うとユウはそれきり静かになった。
「ユウは顔も綺麗だし、性格も良いし、俺ならすぐにオーケーするのになあ」
「…………」
「ってさっき言ったよね、俺」
「本気?」
ユウが不安げに瞳を揺らす。安心させるように、俺はこくりと頷いた。
いつから好きになったのかなんて、もう覚えてない。
入社式で一目会ったときからなのかもしれないし、初めて彼のプレゼンを聞いたときかもしれない。その後同じプロジェクトを通して中が深まって、俺たちは友人同士になった。
自分がゲイなのだと自覚したのは中学生の頃だったが、恋人がいたことはない。性欲が溜まれば適当に風俗に行ったりもするが、ここ数年はそれすらもしていない。一人でするときのオカズは、いつもユウだった。
絶対に、気付かれてはいけないと思っていた。ずっと友人として、隣にいられたらいいと思っていた。
「好き、です……」
「ありがとう。俺も好きだよ」
そう言うとユウの顔が真っ赤に茹で上がった。ああ、なんて可愛いのだろう。
ユウの頭を撫でると、やわらかな髪が指に心地よい。ずっとこの髪に触りたいと思っていたのだ。ユウはされるがままに固まっているようで、それもまた可愛らしい。
抵抗されないのをいいことに、俺はそっとユウの身体を抱きしめる。ただでさえ煩かった心臓の音がさらに騒がしく主張するが、抑え方が分からない。情けないことに今まで恋人なんていたことがないのだから。
先程までの勢いはどこへやら、俺は唐突にパニックになった。
「はは……、顔真っ赤だね」
「ユウもな。というか、えっと……ほんとに俺でいいの?」
「ちょっと、さっきまでの男らしさはどこいったのさ」
ユウがくすくすと笑いだす。その表情に、ホッと肩の力が抜けた。緊張や心臓の音もだんだんと鎮まってくる。
「ごめん」
「謝らなくていいって。そういうヘタレなところも好きなんだから」
照れ隠しのようにパシパシと背中を叩かれる。「イテテ」と言い笑いながら、俺もすっかり元通りになった。
大切な友人と、晴れて両想いになる。
変わったばかりの関係には、これからゆっくりと慣れていけばよい。
そんなことを思った、ある金曜日。居酒屋での出来事。
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