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第1話
「俺、中二になった!」
目の前の少年は、どうだ、とばかりに胸を張って、満面の笑みを浮かべて言った。
「十四才だ! これでいいだろう?」
ああ、何が言いたいかは分かる。
わかるけれども、ちょっとまだ早いだろうと思うんだが。
「ほら、契約しよう!」
学生服に身を包み、ふんわりとした柔らかい癖毛の少年は、大きな目を輝かせている。
期待に満ちたその目は、断られることなど欠片も思っていないのが窺える。
自信たっぷりのその表情に、つい困った顔でため息をついてしまう。
「まだ時期じゃないよ。もう少し大きくなったらね。」
そう言うと、予想外だと言わんばかりの非難めいた顔でこちらを見る。
「もう十分大きくなった! なんで契約してくれないんだよ。元々、ポーシィが持ちかけたんじゃないか。」
「うーん・・・それはそうなんだけどねぇ。」
どうにも気が乗らないのだ。
彼と初めて出会ったのは、彼が幼稚園の頃。
自分が探していた相手をやっと見つけたと思った。
けれど、あまりに幼くて、こちらの話が理解できないことに気が付いてからは、成長するまで見守ることに決めたのだ。
「今のままじゃダメかなあ、小波 ?」
「ダメに決まってるだろ。何言ってんだよ。散々、人に頼み込んでおいて、何だかんだと先延ばしって、ヘタレすぎだろ。」
「ああぁっ、あんなに可愛かった小波 がぁ、すっかり擦れてしまって・・・」
「うるさい! ポーシィだって、どんどんイメージが崩れてるじゃんか。」
ぷうっと頬を膨らませる姿は、私から見たらまだまだ子供だ。
いや、まあ、どんな大人であっても、人間ではない私から見れば全てが子供にしかならないのだが。
『ポーシィ』は、本当の名前ではない。
呼びにくいからという理由で小波 が勝手に縮めたものだ。
最初は違和感たっぷりだったその呼び名も、今ではすっかり馴染んでしまった。
それだけの時間を共に過ごしてきた。
今更、契約なんてしてもしなくても、似たようなものだと思うのだが。
ここまで拘るってことは、契約の対価がそんなに欲しいってことなのか?
「なあ、小波 。お前、何か望みがあるのか?」
おや?
顔が赤く染まっている。
そうか、好きな子でもできたのか。
だから契約しろと急かすんだな・・・・。
うん、まあいいか。
そういうことなら、契約をしようじゃないか。
ちょっと寂しい気もするが仕方がない。
小波 の望みなら、私も叶えてやりたいからな。
「わかったよ。契約しよう。対価は何がいいんだい? 前から言っているように、私が叶えられる範囲なら、何でも構わないよ。」
驚いたようにこちらを見る小波 は、やっぱり幼く感じる。
うーん、まだ早すぎるかもしれない。
契約しようなんて言っておいて、こんなことを思っているから、ヘタレだと言われるのか。
「何でもいい、んだよな?」
確認するように、こちらをちらりと見る。
「ああ。何でも言ってごらん。世界征服とかは無理だけどね。」
わざと絶対願わないようなことを言ってみた。
さあ、これで願いを言い易くなっただろう?
「・・・・・しい。」
下を向いているせいか、小さな声のせいか、肝心の部分が聞こえない。
「ごめん、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれるかな?」
「・・ポーシィに触って欲しいって言ったんだよ! 気付けよ、バカ!」
涙目で、これ以上ないくらい真っ赤になって、そう叫んだのは・・・本当に小波 か?
目を逸らさず睨みつけてくるのは、何故だ?
「・・・えーっと、それは・・難しいなぁ・・・」
絶望感が見て取れる顔をするが、普通に考えてその願いは無理だと思う。
何故なら、私には実体がないから。
どうやっても触れるわけはない。
いや、そんなことよりも、対価に望むのがそれか??
「他にはないのか? ほら、その年なら、将来の成功とか、好きな子と結ばれたいとかあるだろう?」
「だから言ってるんじゃんか! 俺はポーシィに触って欲しいんだってば!」
え?
は?
・・・・・はああぁ?!
「待て! ちょっと待て! その言い方だと、あれだ。ほら、まるでお前が私のことを好きかのように聞こえてしまうぞ。」
「好きだよ! 悪いか!」
今にも泣き出しそうな顔で、自棄になったように言葉をぶつける。
って、好き?
今、私の事が好きだと言ったか??
「わかってるよ! 俺みたいなのがポーシィに相手にされる訳ないって! 人間の分際で、おこがましいっていうのもわかってる。わかってるけど・・・っっ」
必死に堪えていただろう涙が、ぽろりと零れる。
泣き顔なんて、小さい頃から嫌というほど見てきたのに、こんな泣き方は初めてだ。
一度零れた涙は、次から次へと溢れ出し止まらない。
泣き声を我慢して、口を引き結んでいるのが見ていて辛い。
「それは・・家族に対するものと同じ、って訳では・・」
「違うっ!」
ああ、なんてことだ。
完全に計算外だ。
あの小さな子供が私に恋情を抱くなど、欠片も思っていなかった。
涙を零し続ける彼に、何を言えばいいのだろう。
「小波 、私は・・・・」
「わかってる。俺のこと、そういう好きじゃないんだろ? でも、せめて、ポーシィに触わって欲しいんだ。」
できるものなら叶えてやりたい。
私とて、何度その体に触れたいと願ったことか。
小波 が転んだ時、病の時、どれだけこの手を差し伸べたいと思ったか。
失敗していたことができるようになった時、どれだけ頭を撫でてやりたいと思ったか。
でも、生身の体を持たない身では、叶わない。
「すまない。その願いは、私には叶えてやることができない。私の体は遠の昔に朽ち果てた。霊体でしかない私に、お前が触れる術がないのだ。」
まだまだ本来の力も戻っていない。
力が戻ってさえいれば叶えてやることができたかもしれないが、今の私では絶対に無理だ。
「ポーシィ・・・・っっ!」
ああ、だからそんなに泣かないでくれ。
抱き寄せて頭を撫でてやりたくなる。
でも、それはできないのだからもどかしい。
涙を拭いてやりたくても触れられない。
私ともあろうものがこんなに動揺するなど、きっと兄弟姉妹、従姉妹たちも想像できないだろう。
しかも、たった一人の人間の為にとなれば、驚くに違いない。
「小波 ・・・」
「こっち、こっち! ここの桜がスゴイんだよ!」
私の声に被る様に、知らない人間の声がした。
すっかり忘れていたが、ここは外だ。
それも、満開の桜の下。
まずい。
私の姿は見えないだろうからいいとして、泣いている小波 を見せる訳にはいかない。
咄嗟にその肩に手を掛け引き寄せた。
「ポ、ポーシィ?!」
小波 が驚いた声を出す。
?
何かおかしいか?
とりあえず私の体で囲ってしまえば、他の人間には見えない筈だ。
念の為にしっかりと腰に手を回し、なるべく離れないようにする。
「あ、あの、ポーシィっ!」
「静かに。」
頭に手をやり、胸に寄せる。
姿は見えなくても声は聞こえてしまう。
そのまま人間たちの様子を窺った。
彼らは桜の見事さに感嘆の声を挙げ、花見をするべく食料の調達へ向かった。
この後に人数も増えるようだ。
ここから離れた方が良さそうだな。
「小波 、今のうちに場所を変えよう・・・?」
そこで気付いた。
あ、れ?
暖かい。
細い腰やふわふわした髪の感触がしっかりと感じられる。
・・・え? え? ええっっ?!
触ってる!
そう認知した途端、今まであった抵抗がなくなりすり抜けた。
何度か触ろうとしてみるが、やはりすり抜ける。
「な、なんだ・・? どうして触れた?」
自分の掌を見つめる。
微かに透けていて、実体がないことは明らかだ。
でもさっきは確かに小波 に触れられた。
一体、何が起きたんだ?
「うう・・ポーシィが触ってくれたぁぁぁっ!」
うわーん、と声を挙げて泣き出す小波 。
何が起きたのか、自分でさえ全く分からない。
力が戻った気もしない。
でも。
「小波 、契約しよう。いつまでも共にあり、必要な時にその体を貸してくれ。その対価として、お前に触れることができるようになったら、望む時にいくらでも触れてやろう。もちろん、お前も好きなだけ触るといい。」
「俺、も?」
驚きすぎて、泣くのを忘れたようだ。
しゃくりあげながら、上目づかいでこちらを見る。
「おや? 不満なのかな?」
意地悪に訊いてみる。
「そんな訳ないだろ!」
だーかーらー、そんなに睨むなよ。
私はこの世の人間の中で、お前が一番気に入っているのだ。
お気に入りに触られるのを拒む理由などない。
好きじゃないくせにって?
お気に入りというのは、好きというのが前提だろうに。
おかしなことを言うなあ。
私にとって、小波 がこんなにも私のことを好きになる、というのは想定外だった。
親愛の情、家族愛。
抱いたとしても、その辺りだと思っていたから。
そもそも、私自身、元々男色の気はなかったのだから、そう思っても仕方ないだろう?
「では、契約完了、ということで。」
微笑みながらそう告げると、疑問の声が聞こえた。
「え、もう契約できたのか?」
「あれ? まずかった? 解除はできないんだけど、困ったなあ。」
「違う! 随分あっけないんだなと思って。」
「そう? んー、じゃあ、名前呼んで?」
私の本当の名前。
ほとんど呼んでもらったことがないから。
「なななな、なんでっっ?」
「えー? なんか、誓いの言葉っぽくないかなあ?」
「却下。」
「えええ?! 覚えてるよね? 私の名前、覚えてるよねぇぇ?!」
思わず確認してしまう。
それくらい呼んでもらっていない。
「そんな、如何にも、な名前、呼べるか! ポーシィでいいじゃん!」
「如何にもって・・・本人なんだから仕方ないでしょ。」
酷いなあ。
どうしてこんなに擦れた子供になったんだろう。
昔はあんなに可愛かったのに。
「まさか、私が“何”か忘れちゃってるんじゃ・・」
「そんな訳あるか!」
噛みつくような声が重なった。
その後に、小さな、至極小さな声で聞こえた言葉に、心の中に暖かい気持ちが広がる。
うん。
そうだよ。
それが私だ。
「・・・・海神・・・さま、くらいなら、偶に呼んでやってもいい・・・・」
いや、覚えていてくれればそれでいい。
忘れられると力が戻らないから。
力が戻らないと、いつまで経っても対価が払えないから。
ポーシィと呼ぶ声が、耳触りがいい。
そう呼ばれると嬉しい。
だから、いつも通りに呼んでおくれ。
可愛い私の小波 ーーー
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