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第1話

 綺麗だ。  白い羽が舞う。  まばゆく白い。どこまでも果てしなく白く視界を覆う。  彼の閉じられていた瞼がゆっくりと開く。  白く大きな羽。淡く光る銀色の髪。  伏し目から覗くは黄だ。  カナリヤ。梔子。レモン。それは見知ったどんな黄色よりも黄色く、美しく思えた。左眼の虹彩には、まるで時計模様の入ったカラーコンタクトレンズを着けているかのような円状の発光する柄が見えた。  キザシは息を飲む。  彼の両の瞼は開かれ、キザシを捕え、互いの視線がぶつかった。  その瞬間、彼の輝く月のような金色は鈍い灰色に変わり、浮かび上がっていた発光する紋様も暈したように薄く変化し、灰色に消え失せた。空間に溶けるように彼の背の白い羽根も、部屋中に散らばった白い羽根も消え去った。  彼を:目(、)にして部屋を荒らしていた風が止み、彼は床に軽く降り立った。  灰色だと思った彼の瞳の色は、良く見ると銀にも見えた。銀の髪、銀の目。白い肌。突然現れ、そして浮いていた。 「・・・っ」  思わず後地さった彼女の足の下で、ぐにゃりと何かが潰れた。  吹き荒れた風や光そして白い羽は、彼女の部屋のレイアウトを瞬間に変えたようで、巻数で並びそろえていた漫画本などは床に投げ出され、台所から拝借したカレー用の乾燥月桂樹の葉や、茶色の折り紙で作った歪なトカゲは、吹き飛ばされて、無残にも破けて千切れていた。  ・・・彼女の足の下、スリッパの下のそれは無残にも吹き飛ばされたトマトだった。 信じられない、と彼女は彼を指差す。同じように彼も彼女を指差す。 向かい合ったどちらの指先も震えていた。わなわなと震えるばかりだった互いの口元から、ようやっと声が出る。 「君・・・」 「・・・おまえ」 「「誰!?」」 \\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\ 卒業式  晴天。  暦上は春になって久しいが、まだ肌寒い。  緩やかな坂道には柔らかな日差しが降り注ぎ、満開の桜の木からは淡いピンク色の花びらが舞っている。全く今日と言う日におあつらえむきだった。  帰宅した家の中は薄暗かった。  キザシは母親と2人で、この真新しい一軒家に住んでいる。大きくも小さくもない、でも2人で住むには少し広いと感じる一般的な庭付きの家だ。    最後に校舎を出る前に、渡り廊下を挟んで反対側の図書室が目に入り、キザシは思わず目を逸らす。     ・・・ ・・・・・・  家の中は薄暗かった。  キザシは母親と2人で、この真新しい一軒家に住んでいる。大きくも小さくもない、でも2人で住むには少し広いと感じる一般的な庭付きの家。  キッチンの壁に貼り付けられたホワイトボードには『卒業おめでとう!冷蔵庫にケーキとご飯あるよ』と書き込まれている。母の字だ。本日出張から戻り、本日からまた出張だと聞いていたので、荷物を取りに帰宅した時に書いたのだろう。  冷蔵庫の中には、ラップのかかった皿とケーキの箱が並んでいた。  「忙しいから、俺のことは気にしなくても良かったのに・・・」  キザシはそう呟きながら、ホワイトボードを消し、『ありがとう』と書き込んでおく。メッセージも後で入れておくつもりだ。  いわゆるシングルマザーで、生活のため娘のためと仕事に精を出し、ついには一軒家まで手に入れた母。  「・・・」   ダイニングのチェアの上に無造作に置いていた通学カバンを取り、二階の自室へと向かう。  二階の一番奥がキザシの部屋だ。  勉強机とベット、テレビとテレビ台・・・、基本的に物が少ない部屋だが、本棚には本が大量に入っており、入りきらないものは机の上や床に積み上げられているので、片付いているとは言い難い。  元々読書好きだったキザシだが、高校3年間で読んだ本の量は相当量に増えた。長時間の休憩時間は必ずと言っていいほど図書館に入り浸り、片っ端から本を読んでいたし、小休憩も教師が授業を開始するギリギリまで本を読んでいた。  他にすることがなかったからだ。  以前は、小説を好んでいたキザシだったが、高校生活も半ばになると、興味のある小説や図書室に置いてあるものは読みつくしてしまい、次第にジャンル・新旧を問わずに図書室に置いてある本を端から順に借りていくようになった。  詩集、図鑑、ライトノベル、参考書、自己啓発本に分厚い辞書・・・。  高校の図書室にあるものとはいえ、小難しいものになると、いくら辞書を引きつつ読んでも内容を全く理解できないようなものもあった。――それでも図書室には通いたかった。 「俺、図書室以外の思い出ってないわ・・・」  手にしていた鞄から、本日配られたばかりの分厚い卒業アルバムを取り出す。白地の表紙がどこまでも白く感じられ、厚紙の束が異様に重たく感じられて、その存在感に圧倒される。  クラスメイト達は、配布されてからすぐに表紙を捲り、中身をのぞきこんで盛り上がっていたが、キザシにはそれの何が面白いのかが理解できなかったし、その場でアルバムを開こうという気さえ起きなかった。 「・・・・・・」  キザシはそっとアルバムのケースを外し、表紙を指でなぞる。  しばしの逡巡。中身をあまり見ないようにパラパラと軽く捲っていく。どの顔も、見知っているようなそうでないような・・・、そんな顔ばかりだ。  ケースから取り出すことにも酷くためらったはずなのに、アルバムはあっけなく最終ページに辿り着き、真っ白な真っ白な最後の見開きに辿り着く。  やけに白くまぶしいページを最後に次ページはなくなった。  パタ、と音が響く。  どこに仕舞い込んでしまおうか。簡単には目に付かないところがいい。そのまま捨ててしまおうか、とも思ったが実行はしなかった。  「・・・」  キザシはアルバムをベッドの上に放った。本人は「置いた」つもりだったが、旗から見ればきっと、「放り投げた」という表現がしっくりくるだろう。  大きくため息を着く。  アルバムから目を逸らすと、部屋の隅の姿見に、制服姿の自分の姿が映っていることに気がつく。  濃紺の、厚い生地の学ラン。胸ポケットの赤ライン。藩校の流れを汲むという伝統のある高校の制服で、3年前の自分は、この制服に並々ならぬ憧れを抱いていた。  購入してから3年間、買い換えどころか、汚れたと感じたことすらなかった指定の制服。  この制服を着るのは今日が最後だ。・・・否。学生服を着ること自体が今日でお終いなのだ。  キザシは胸の赤いラインに触れる。   ――脱がなくちゃいけない   俺、この制服を着て、何をしていたんだっけ・・・? 「!」  足元に本が散らばる。積み重ねていた本の山が一山、崩れたのだ。 「いい加減、ここも片付けなくちゃ・・・」  大学に入学する前までには「処分するか片すかしておいて」と母親にも言われていたのを思い出す。  とりあえず元通りに重ねておこうと、キザシはその場にしゃがみ込む。・・・制服を脱ぐのが後回しになったことに少しだけキザシは安堵した。 「あら?・・・こんな本、あったかな」  散らばり重なった数冊の中から、一冊の黒い表紙の本を拾い上げる。 「護符魔術、・・・悪魔召、喚・・・?」  読んだ記憶のない本だった。  表紙には、黒い山羊の頭部、額にはペンタグラム、黒い翼、右手が天を左手が地を指す悪魔――サバトの山羊、バフォメット(以前読んだ小説に登場したため、キザシにもそれがバフォメットだと分かったのだ)が描かれており、白く大きな文字で「魔道書」とある。  中身を捲ると、古めかしいイラストの挿絵と円形の護符や紋章が、目に飛びこんできた。  いかにもなおどろおどろしさを放つその本。紙の状態が良く、傷も折れ目もなかった。  手にしているうちに思い出してくるものだ。この黒い本は、通販サイトで、あなたへのオススメに表示されていたものを上から順にカートに入れていたときに購入した、『ハズレ』の本だ。小説だと思っていたのに、手元に届いたこの本は怪しげなオカルト実用書だったので、碌々中身を確かめずにそのまま積み重ねていたものだ。 「・・・悪魔」  ページを捲り進めると、魔法、黒魔術、悪魔の階級、円形の護符のイラスト・・・、色気のない文章で淡々とそれらが説明されていた。  悪魔召喚の実践、の見出しに目が止まる。 「・・・」  小説などの物語を面白くするためのエッセンスとしての悪魔・オカルトに好きだったが、自分はリアリストであると自負しており、それそのものに興味を抱いたことはない。だからこそ、この黒い本はハズレであったし、今まで購入したことさえ失念していた。  それでも何故か、「やるしかない」とキザシは思った。  強く強く、そう思った。      ※    バタン、と薄暗い部屋にドアを閉める音が響く。 すっかり日が落ち、電気を付けずにカーテンを閉めてしている部屋の中は、さらに薄暗くなってしまった。  不思議な高揚感に包まれるままに、キザシは材料(、、)をかき集めていた。  黒い画用紙を円形に切り抜き、マジック・ミラー(キザシにはそれが一体何か分からなかったが、本に示してあるものに似せて作成した)を用意した。張替えの時に余らせていた白地のふすま紙を持ち出し、カラーの油性マジックで天使の名や三角形を描きマジック・トライアングルなるものを作成した。見よう見まねの歪なものだった。  月桂樹の葉や塩はキッチンで見覚えがあり、すぐに用意ができたが、羊の生血だの蜥蜴のしっぽなどの入手困難あるいは入手経路さえ思い浮かばない品は、トマトジュースや粘土細工等で代用した。特にトマトジュースは、どろりと濁って重く赤黒い液体で、いかにもそれらしく見えるはずだ。きっと悪魔も気付くまい、とキザシは思った。  ――いや、それはない。そもそも悪魔って何だろう  冷静な部分でそうは感じながら、キザシは作業を進めていく。  自室の床に乱雑に積み上げられた本のタワーを端に押し寄せて、中央にスペースを作り、それらを指示通りに並べてゆく。雰囲気も重要そうなので、ドライアイスも焚いて置いた。冷やりとした白い煙がモクモクと立ち込め、雰囲気が出る。キザシは満足げだ。  学ランの少年が薄暗い自室で即席の悪魔召喚の儀式の支度をしている。・・・何とも異様かつ、間抜けな光景だった。  悪魔を召喚するための紋章なるものをマジックで書き写し、学ランの胸ポケットに入れた。  祭壇は完成し、――準備は整った。 「・・・」  ぐぐ、とキザシは背筋を伸ばした。  深く深呼吸をして、本を片手にキザシは祭壇の前に立ち、本の通りに唱え始める。謎の高揚感はピークに達する。 「――われは、汝を呼び起こさん。至高の名にかけて、われ汝に命ず。あらゆるものの造り主、その下にあらゆる生がひざまずくかたの名にかけて、万物の主の威光にかけて!」  祭壇を見つめ、更に続ける。 「いと高きかたのに姿によって生まれし、わが命に応じよ。神によって生まれ、神の意思をなす我が命に 従い・・・」  一呼吸。ドライアイスによって冷えた空気が肺に満ちる。 「現れよ」  キザシの少し低めの、良く通る声が響く。  祭壇には何の変化も見られないが、キザシは本にある通りに続きを唱え始めた。 「アドニー、エル、エルオーヒール、エーヘイエー、イーヘイエー、アーシャアー、エーヘイエー、ツアバオト、エルオーン、テトラグラマトン、シャダイ・・・」  意味どころかどこの言葉かも分からないが、低い声で声を震わせて発声すると指示してあったので、めいっぱい、その通りにして声を出した。  祭壇の出鱈目さ加減にそぐわぬ(その祭壇だってできる限りの再現率を目指しはしたものではあるが)真面目ぶりで、彼なりに真剣に取り組んでいた。 「・・・いと高き、万能の主にかけて、しかるべき姿で、いかなる悪臭も音響もなく。すみやかに現れよ!」  最後まで唱えきり、ポケットに入れておいた紋章を取り出してマジック・ミラーにかざし、悪魔の姿をイメージする。こうすることで、悪魔の姿が現れるらしい。 (悪魔。悪魔・・・)  髑髏と骸骨。そうでなければ青年か中年の男。黒い蝙蝠の羽に黒いマント。もしかしたら、大きな黒い死神の鎌を手にしているかもしれない。きっと落ち着いてしゃがれた声色で、ゆったりと喋るに違いない。  キザシはマジック・ミラーを見据える。 「・・・」  見据える。 「・・・・・・」  睨み付けるように、じっと見つめる。 「・・・・・・・・・、」   何も起きなかった。何も見えない。  高揚感が溶けてゆく。  何かが起きるはずがなかったし、そんなことは当のキザシにだって分かりきっていた。キザシの肩が小刻みに震え、耐え切れず声が漏れる。 「・・・ふふ」  キザシは小さく笑う。  黒い本を片手に祭壇の前に立ち、手書きの紋章をかざしている間抜けなポーズが姿見に映っていた。 (ほんと、なにやってんだろ。俺、)  ・・・制服を脱ぐ前に、何かをしなくては。という、妙な焦燥感に駆られて最後の最後に人知れずバカをしてしまった。母親がもしこの部屋と呪文を唱える自分を見たら卒倒するに違いない、とキザシは自分のことが可笑しくなった。 「あっ、あははは!!」  こんなに大きく声を出して笑うことなどいつぶりだろうか、少なくとも高校生活では一度もなかったであろう。所謂バカ笑いというやつだ。 「---っ、あは、あはは・・・!もー!お、おなかいた、あはは・・・!」  笑いすぎて涙が浮かぶ。何が面白いのかキザシ自身にも全く分からなかったが、とにかく面白かった。 「あー。片付け、しなきゃなあ・・・」  ひとしきり腹を抱えて笑った後、部屋の中を見渡してから、キザシは呟いた。我に返ると、部屋の中はあまりにも凄惨に見えた。  何かをしなくちゃ、と焦った結果が何故「悪魔を呼ぶ」なのか。まったくどうかしていた。早くこの訳の分からない状態の部屋を片して、制服を脱いで、遅くなってしまったが夕飯をひとりで食べて、お風呂に入って・・・、またいつも通りに戻るのだ。  流石に暗すぎるので、部屋の電気をつけようと祭壇に背を向けたその時、背後でカタカタと小さな音がしたような気がした。 「?」  振り返ってみたが、何の変化もない。得体の知れない祭壇にうんざりさせられるだけだった。 「っ!?」  再度、室内照明のスイッチを入れようとしたその時、背後から光に襲われる。室内照明などは比ではない、夜道で車のハイビームライトに背後から照られたような、直接正面から光を浴びていれば目がどうにかなりそうな光だった。一瞬だった。 「なに・・・?」  戦々恐々としながらも振り返り、キザシは目を凝らす。 「・・・!!」  見れば、マジック・トライアングルが白く光を放っていた。蛍光性のあるものではなく、ただの黒の油性マジックで書いたのだから、勝手に光り出すなどありえない。ありえない、とキザシは身構える。青白い発光は次第に強くなっていった。  声も出せないまま、キザシは行方を見守る。  カタカタと音を立てて、祭壇が震え始める。地震かと思ったが、部屋自体が揺れているのではなく、祭壇のみが震えていた。小さかった揺れが大きく変化する。ガタガタと言う音が大きくなり、空気が震える。  びゅう、とカーテンが揺れた。室内に風が吹く。窓もドアも締め切った完全なる密室で、祭壇を中心にして風が吹きはじめた。  マジック・トライアングルの発行は一段と強くなり、風は床に積み上げた本のタワーを薙ぎ崩した。 「何・・・?」  ――熱い!  じわりと胸に熱を感じ、慌ててポケットを探ると、ポケットの中に戻しておいた悪魔の紋章が、祭壇と同じように白く発光し、更に熱をもっていた。  キザシはその紋章を祭壇に向かって翳した。そうすべき、と直感的に感じたからだ。 「・・・うわ!」  祭壇と紋章が呼応し合うように、光が増す。直視できないほどの目映さで。  ゴウ、という音がして視界が揺れる。  風と光に吹き飛ばされ、したたかに背を打ちつけて、一瞬呼吸が止まる。  祭壇を震源に、風と光があふれ出す。風が部屋中をかき回し、物同士がぶつかり合う音が絶えない。  すぐに立ち上がることが出来ず、座り込んだまま、飛んでくる物から顔のあたりをガードする。  何か柔らかいものが頬を掠めた。白い羽根だった。 ――羽・・・?一体どこから、  何が起こっているのか理解できない。恐怖よりも、混乱が先に立っている。目を凝らすと、部屋中に白い羽根がひらひらと舞っていた。 「え・・・?」  祭壇の中央に白い光がぼんやりと見えた。  海面に浮かぶ夜光虫のような光が見える。青白い光は漂い、そして集まり、離れてを繰り返して、だんだん大きくなっていく。  キザシはその様子を、ただじっと見つめていた。・・・それ以外は何もできなかったのだ。  そして最終的に、光は大きな塊となった。宙を舞う夜光虫は、焦らすように緩慢に、時間をかけて、人の形になった。 「・・・・・・!」  光の繭が剥がれるように、それ(、、)は姿を現してゆく。  発光する銀色の髪。白い肌。・・・白くて大きな羽根が背に見える。反射がきつく、細部まで窺えないが、身に纏っている衣装も白い。 (白い・・・)   中から現れたのは、真っ白な少年だった。  夢の世界から、現へと飛び出してきたかのような純白の少年は、眠っているのか、目を閉じたまま宙に頼りなく浮いている。ゆらゆらとまるで胎児のように、浮かび、長いまつげが影を落としていた。  ――天使。  彼はゆっくりと瞬きをした。覗いた瞳は美しい金で、左の瞳の虹彩に発光する模様がはっきりと見える。  彼を包んでいた光の繭は完全に剥がれ落ち、姿が顕わになった。 「「!」」  視線が交わる。  瞬間、ほんの一瞬だった。瞳の模様が溶けて両目共に灰色になってしまった。 ファンタムグレイ。それはいつか見た色彩図鑑に載っていた色の名前だが、きっとそれが一番適切な表現だとキザシは思った。  キザシが思わず後ずさると、飛び散っていたトマトを踏んだ。  彼はぐしゃぐしゃの祭壇に降り立ち、目を白黒させている。混乱しているのはキザシも同じだった。 「君・・・」 「・・・おまえ」 「「誰?」」  声が重なる。  互いの顔を見たまま数秒。少年は周囲を、部屋の中を見回して「なにこれ・・・」と呟いた。キザシにだって分からない。  突然現れた少年に、キザシは不思議と恐怖は感じなかった。ただ、驚いている。  彼はむっと眉根を寄せ、 「・・・クロード。俺の名前は、クロード・エメ」  にべもなく言い、黙ったままのキザシを真っ直ぐに見た。彼はクロードという名らしい。 「俺は、・・・キザシ」 「キザシ?」  キザシは斎藤キザシ、と名乗った。キザシ、という音が耳慣れない音らしく彼は不思議そうにしている。  キザシ、にも漢字があるが、完全な当て字で、初対面の人に読んで貰えた試しがないのでいつも「キザシ」と音だけで説明している。なので、今回も同じように名乗った。 「ど、どうやってここに・・・」 「どうやって、って。俺が聞きたいよ。アンタが呼んだんだろ?」  そもそも此処って何処なの?とクロードは問うた。キザシがどう答えるのが正解なのだろうと黙していると、何処の国なの?と彼が言ったので、日本だけど・・・、とだけ返した。 「ってことはお前、アグノスなのか・・・?」  アグノス。聞いたことのない単語だった。  沈黙。   クロードは部屋の中を見回し、自分の掌を見つめている。クロードは「なにこれなんなの。こんなので呼び出されたの?俺」と呟いた。 ――あんまり見ないで欲しいんだけれど。もう、大惨事だよ。この部屋・・・  ややあって、キザシが口を開く。 「俺があなたを呼んだの?じゃあ、君って、」  キザシが呼び出そうとしていたのは・・・。  ありえない。だって、儀式がデタラメなものだったということは、キザシ自身が一番良く分かっていた。  そもそも本当に何かが呼び出せるとは思っていなかったのだ。  只の思いつきで暇つぶしで、悪あがき。  だけど、目の前の白い少年は現れたのだ。  クロードはキザシを見て、それから視線を外した。 「・・・悪魔、だけど」  歯切れの悪い返答だった。灰色の髪を引っ掻きながら、投げやりに答えるその様は不貞腐れているようにも見えた。  密室に突如現れた銀髪の少年。魔法のように瞳の色が変化した。その容姿や服装も常識的なものではない彼が、もし、人間でないと言うならば、そうなのかもしれない。そう、キザシは思った。 「あくま・・・」  キザシは彼の言葉を反芻する。完全なるひとり事だったが、彼は反応した。 「何」  クロードはめんどくさそうに返事をした。 「悪魔って本当に悪魔?だってあなた、」  想像と違いすぎる。あまりにも彼は白く、まるで天使のように見える。悪魔には見えない、そう言おうとしたが不機嫌そうに遮られる。 「悪魔だって言ってんだろ、・・・たぶん、」 「・・・多分?」  たぶん。多分とはどういうことだ。やはり得体の知れないものを呼んでしまったのだろうか。 ――あの祭壇でこの状態で、この変な人・・・。有り得る・・・ 「アンタ、なんなの?何これ、いきなり呼び出されたんだけど!」  やたらとラフに喋る悪魔だ。チンピラの自称悪魔かもしれない。  キザシが黙っていると、焦れたのかクロードがキザシに詰め寄ってきた。その数歩の間にちぎれた粘土を踏んだらしく、舌打ちをしている。天使ではないだろう、柄が悪過ぎる。  詰め寄られ、顔が近づく。灰色の瞳がキザシの瞳を覗きこむ。 「っ、あの・・・」 「・・・だから、何。何のために、こんなことしたの?」  何か用があるのか、と聞かれるが、正直なところ、思い浮かばない。 「用ないなら、俺帰るけど」  飽きたのか、クロードは軽い身のこなしでキザシから数歩離れた。  「え、ああ、うん・・・」  拍子抜けだ。 「もう帰るの?」 「だって用ないんだろ。俺、授業あるし」 「授業?」  悪魔の口から授業という言葉が飛び出した。 ――なにそれ面白い。悪魔の学校!  本来、キザシは好奇心が旺盛な性質だ。悪魔の学校、どんなところなんだろう。学校と聞いて、俄然興味が湧いてきた。  危害を加えられるかもしれないと最初はクロードを警戒していたキザシだったが、自分のような初心者(?)が用意した、訳の分からない物をてんこ盛りに並べ立てた儀式で呼び出した自称「悪魔」だ。どうせ碌な力などないだろう。弱そうだし・・・。キザシは舐めてかかっている。  目を輝かせ、急に食いついたキザシにクロードは押される。 「ね、悪魔の学校って?」 「・・・悪魔の、っていうか。フツーの・・・魔法学校。人間もいるけど。っていうか、人間のが多い」 「魔法学校!」  キザシの目が輝く。この白い悪魔は魔法が使えるらしい。 「貴方は魔法が使えるの?学校で魔法を習うの?」 「魔法自体は誰でも使えるだろ?」  キザシは生まれてから今に至るまで、魔法など使ったことがない。映画や本の中でしか見たこともない。キザシが今まで生きてきた世界では、本物の魔法は存在しなかった。 「や、アグノスは魔法使えねえんだっけ」  クロードは呟いた。 「ねえ。貴方、どこから来たの?」  キザシは訊ねた。この質問は、ここではない世界から来たのなら何処の世界からやってきたのか?それを訊ねた。きっと彼は、キザシがうんざりしているこの世界じゃない、どこか違うところからやってきたのだろう。そう思ったからだ。その問いに、クロードは喚くように口を開く。 「だから、俺は学校に居たんだってば――!!」 言いかけて突然、クロードが血相を変えた。白い肌がさぁっと青くなるのがはっきりと見えた。 「?」 「学校、・・・そうだよ。魔法史の授業・・・」  クロードは頭を抱えてぶつぶつとひとりで呟いている。  魔法史、始めて聞く単語にキザシは反応する。 「魔法史って?」 「・・・・・・」  俯いたまま、クロードは答えない。 「ねえ、聞いてるの?」  キザシはクロードの顔を覗きこんだ。返事はなく、表情は見えない。 「ねえ?」  がばり、とクロードが勢いをつけて向き直り、キザシは一歩後退った。 「お前、どうしてくれんだよ!!」  そう叫ぶクロードは、青くなり悲壮感たっぷりの情けない表情を浮かべていた。ついさっきまで、愛想のない表情に声色だったのに。よく見ると、その肩口が小刻みに震えていた。 「え、なに?いきなりどうしたの」 「だから、どうしてくれんのか、って・・・!」  ほとんど涙声だった。どうしてくれるのか、と詰め寄られながら、キザシはこれは本物のチンピラの悪魔かもしれないわ、と頭の隅で考える。  もう、この悪魔を警戒する気持ちはキザシからほとんど消えてしまっている。 「魔法史の単位、ぜってー落とせねーのに・・・」 「はい?」 「もう後1回でも授業出なかったら単位でねえのに!」  悪魔の台詞は思えない最高に情けない声と内容だった。  (魔法学校なんて夢があるところかと思いきや、学校自体のシステムは此方と変わりないのかもしれないわね) 「・・・残りの授業、全て出席すれば?」  キザシ自身は単位不足や出席日数など気にしたことすらなかったが。キザシの知っている学校は、そうすればよかったはずだ。  そういうことでしょう、とキザシは言った。それを聞いたクロードは目を見開く。その形相に、キザシはまた一歩後退った。  その一歩を、クロードが詰め寄る。 「だから、今がその魔法歴史の授業中だったんだよ!お前がいきなり俺を、呼び出すから!」 「え」 「・・・欠席扱いで、このままだと俺は退学になるんだよ・・・!!!」 「ええ!?」  どうしてくれんのアンタ!と、肩をつかまれ揺さぶられる。 「すっげえ強制的に!有無を言わさず!俺を!!こんな訳わかんねえとこに拉致して!!」  段々と口調に熱が篭っていく。揺さぶられるままになっていたキザシは、ぐいとクロードの腕を押し返した。聞き捨てならない。  怒っているというより、焦っている口ぶりだった。  しかし、キザシにはそんな悪魔の学校事情は関係なかったし、もっと深刻な問題がある。 「わけ分からないのはこっちも同じだよ。や、むしろこっちの方!!」 「ハァ?」 「見てよ、この大惨事!貴方が風なんか起こすから!極めつけは羽根!こんな散らばって、片付けるの絶対大変!」  部屋の中は、本当に間違いなく惨事だった。クロードが巻き起こした風で、並べておいた際算の材料たちは飛び散り、積み重ねた本たちは倒れ飛ばされ、白い羽根があちらこちらに落ちている。全てを元通りにするのは骨が折れること間違いなしだ。・・・窓ガラスや証明が割れなかったのが唯一の幸いだが。  キザシが大きな声を出したので、今度はクロードが一歩下がる。  キザシはその距離を詰めた。 「そっちこそ、どうしてくれるの!」 「なっ、何でお前がキレんだよ!」  2人ともゼイゼイと肩で息をする。  ――そうは言いつつも、キザシはこの状況が楽しくなってきた。実のところ、クロードに大して怒りがある訳ではない。  詰め寄られたので、言い返したに過ぎなかった。  久しぶりなのだ。同年代(に見える)と会話をするのは。 「・・・っ!」  2人はじいっと睨み合う。  クロードは怯んで、納得いかないという表情を浮かべて、それから「あー」だとか「うー」だとか言いながら、数歩下がってベッドに腰をかけた。身体の力を抜いて、仰け反るクロードの表情は陰になって見えない。 「・・・クロード?」  返事はなかった。代わりに、大きなため息が聞こえてきた。 「アンタと言い合ってても仕方ねえよな・・・、どうしよう。マジで」  クロードはそう漏らした。  気がつけば、すっかり日が落ちている。キザシは今度こそ証明を入れた。パチン、というスイッチの音がやけに響き、部屋の中が明るくなった。  証明の下で照らされたクロードは、やはり肌も服装も、白かった。学生だと思ってみれば、奇抜なものだったがその衣装は制服に見えた。 「・・・うー」  頭を抱え、唸るクロード。  キザシは何か言おうとして、口をつぐんだ。何を言えばいいのかわからなかった。迷って動かした視線の先に、今日貰ってきたばかりの卒業アルバムが目に入る。 「・・・」 ――あれ、どうしよっかな。  もしかしたら、もう二度と開くことはないかもしれない「卒業の証」。丸めて筒状のケースに入れられていた証書は、帰宅後、どこに置いたろうか。 「・・・・・・ねえ、クロード」 「・・・ん。んん?」  クロードがゆっくりと顔をあげた。半眼の、恨みがましいじとりとした目つきだった。自業自得のくせに、と思う気持ちもなくはなかったが、それ以上に気になることがあった。 「退学に、なるの?」 「・・・たぶん」  暗い声だった。  このままだと、とクロードはほとんど聞き取れない大きさで、もごもごと言った。 「俺が、呼び出しちゃったから?」  何を考えているのだろうか、クロードはキザシをぼうっと見つめて、それから、 「・・・・・・、決め手は」  と言った。  引っ掛かる言い方だった。 「正直に説明して、どうにかならないの?急に呼び出された、って」 「ムリ。俺には前科がありすぎる。今度こそ問答無用で退学になると思う」  クロードはキザシから視線を外し、俯いた。  薄い灰色の髪と、その真ん中につむじが見える。項垂れたその姿からは、悲壮感が漂っている。  キザシがなんと声を掛けようか、と考えあぐねていると、がばりとクロードが頭を持ち上げた。 「ある・・・。俺が、退学にならないで済むのが・・・、あれなら・・・!!」 「!」  クロードは立ち上がり、キザシに詰め寄る。  この悪魔は、本当によく表情が動く。キザシは感心していた。 「なあ!」  がしりと腕を掴まれる。 「なあ、俺と一緒に学園に来てくれないか!」 「!?」  突然何を言い出すのか。 「バディと一緒の学外活動時は認められたはず!公休が!!」 「ちょっと、何の話よ・・・?」 「だから、俺と一緒に学園に来てババアに会って、公休を認めさせてくれよ!」  (ええー、今更だけどちょっと意味が分からない・・・。)  キザシは困惑したが、クロードは話を続ける。 「お前が呼ばなきゃ、俺の魔法史の単位は落ちなかったんだよ!」  そんな言い方をされると罪悪感が芽生えそうになる。キザシは怯んだ。 「え、えっと・・・」 「なあ、頼むから!」  クロードは今にも泣き出しそうになりながら、必死に懇願した。  「お願い助けて!俺、どうしても学校辞められないんだ・・・!」  トン、と壁に背が当たる。いつの間にやらキザシは壁際まで追いやられていたらしい。  「・・・」 「なあ」  顔が近い。 ――あ。  照明の下で見るクロードの灰色の瞳は、左右で少しの色の違いがあるように見えた。目つきは良くない。 「バ、バディって?」  とりあえず、分からない単語について質問をしてみた。 「パートナーだよ。学園に認めてもらった2人組。学園では相棒を『バディ』って呼んで、学内外でパートナーとして扱われる。バディでの学外活動は公休扱いで授業の出席に影響しない!もう、これしかない!!」 「で、でもそれって、俺でもいいの?」 「いける!多分!あの学園は適当だから!!」 ――クロードの言ってることが適当な可能性の方が高い気がする・・・。どうしよう。でも、必死すぎてかわいそうになってきたなぁ。  それに、悪魔の学校が気になる。話を聞くだけじゃなくて、一緒に行くなら実際に見ることができる。キザシの心は傾き始める。 「いや、でも。うん・・・、一緒に行くって・・・」 「アンタが呼ばなかったら、こんなとこに俺いないんだもん!」 「そうだけど、」  ――駄々っ子みたい。そもそも、俺もクロードを呼びたかったわけじゃあ・・・。でも、まあ彼の言うことがホントなら、俺がトドメ、刺しちゃったことになるし・・・) 「なあ!」 (ど、どうしよう)  迷う。 「お願い!・・・俺、・・・・・・学校、辞めるわけにいかないんだ!」 「!」  クロードが頭を下げた。  深く深く頭を下げた。 「卒業、したいんだ・・・!」  自分が呼び出したせいで、学校を辞めなくてはならないというのは、重すぎる。責任がとれない。キザシ自身、本日めでたく高校を卒業したわけだが、これまでの学費だってばかにならないものだと知っていたし、学校を卒業する事で未来に繋がるのだ。今春から大学に進学できるのは、受験の結果と高校卒業証を手に入れたからだ。どんな進路に進むかは人それぞれだが、大抵の場合、退学処分はよろしくない場合が多い。  少しの沈黙と大きなため息。頭を下げたままのクロードの肩がびくと揺れた。  キザシの声が静寂に終わらせる。 「辞めたくないの?学校」 「・・・うん。辞めたくない。卒業しないとダメなんだ」 「・・・・・・・・・・・・。しょうがないなあ」 「っ、まじで!」  クロードは勢いよくキザシに向き直る。薄い眉毛をぴんと伸ばして、潤んだ瞳を見開いて、ほっとしたような嬉しそうな表情だった。その表情に、キザシはどきりとさせられた。まだキザシの部屋現れて、ほんの数十分だが、怒ったり笑ったりとクロードは忙しそうだ。  見ていて飽きない。 「うん。なんだか責任を感じてきたから。ねえ、クロード。どうやって行くの?それって俺はちゃんと安全?帰って来られる?」  キザシが矢継ぎ早に質問をすると、クロードは一言「大丈夫」と言った。あまり答えになっていないが、不思議と不安は感じなかった。 「いきなり襲われて食べられたりしない?」 「しないよ。学園なんだって」  言いながら、クロードは部屋の真ん中、ぐしゃぐしゃになってしまったマジック・ミラーの真ん中に立った。それと同時に、ぶわ、と小さく風が起こる。やっぱりキザシはそれを怖いとは思わなかった。 「そこから、行くの?」 「うん」  キザシはゴミ箱からローファーを取り出し、それを急いで履いた。もう履くことは無いだろうから、捨てようと思っていた黒いローファーだった。  クロードはキザシに向かって、手招きをした。 「・・・クロード。何かあったら、俺を守ってくれる?」 「ん?」 「君のために行くんだよ。当然でしょう?」 「俺の為?」  手を取りながら、キザシが最後のダメ押しをすると、クロードはきょとんとした。 「?そうだよ」  それ以外はない。多少の好奇心はもちろんあるが、クロードが退学になるのを回避するためが一番の理由だ。 「・・・そう、か。そっか」 「ん?」 「なんでもない」  足元が青白く発光する。 「あ、そうだ。バディってさ、バッジ交換すんだっけか。――俺のしかないから交換にはなんねーけど、はい」  そう言ってクロードが差し出してきたのは、彼の胸に付いていた金属製の小さなバッジだった。キザシは促されるままに受け取り、それを自分の学ランの胸に付けた。  マジック・トライアングルが強く発光する。  足元から光に包まれ、2人は光に包まれ、溶けるように部屋から消えた。  

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