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心寄せる人 3

「パパっ!もぅ~早くしないとバスが行っちゃうよぉ」 「わっもうそんな時間か!芽生ごめんな」  洗面所で念入りに髪型をチェックしていたら、息子に急かされてしまった。 「さぁ行こう!」  芽生と手を繋ぎながらいつもの道を歩くと、商店街のガラスに映る自分の姿が気になった。離婚してから、ずっと前髪を固めパリッとあげていた。  シングルファザーとしてやっていく上で若い父親で大丈夫かと心配されないための鎧でもあったのだが、もう必要ないのかもな。芽生との二人暮らしは俺の実家の協力もあってだが順調だし、何より瑞樹に四十歳に見えると言われたのはかなりショックだった。 「パパごきげんだね」 「そっそうか」 「うん、いつもニコニコしてるね」 「そうだ!パパのこの髪型どうだ?何歳に見える?」 「んー前はちょっとおじさんぽかったけど、パパすごーく若くなったよ。だから今の方がボクもスキ!」  よしっ!心の中でガッツポーズだ。  もちろんバス停のお母さん達にも好評で、ついでに休日の服装についてもアドバイスされてしまった。  芽生の母親の玲子は大人っぽい色気のある女性だったこともあり、俺の路線はクールなモノトーンなイメージに徹していたが、お母さん達が口を揃えて言うのは、瑞樹は陽だまりのような淡い色が似あうから、俺もイメージをガラッと変えるべきだと。おすすめのお店の名前やらコーディネイト案まで出してくれるのだから、結束が固いというか親切な人たちだ。  瑞樹とは結局まだランチすら出来ていない間柄だが、いつか休日デートする時のために準備しておこう。  まったくこの俺としたことが……  十代の時よりも初心な恋をスタートしているなと苦笑した。  でも今の俺が、自分でも好きだ。 **** 「瑞樹くんーこっち手伝って」 「あっはい!四宮先生」 「この花を持っていて」 「分かりました」  僕の職場は有楽町にある『加々美花壇』という老舗の花を取り扱う大企業だ。実家が函館で小さな花屋を営んでいた影響で、小さい頃から花の香りを嗅ぐと心が落ち着いた。だから東京に出てきて大学の経営学部を卒業後、花に関わることに携わりたいと思い就職した。  入社してすぐにイベントプロデュース部に配属されてから、ずっとそこで頑張っている。所属するデザイナーの先生達との調整や先生のアシスタント的なことをこなす日々だ。  今日は以前にも何度かアシスタントをしたことのあるフラワーアーティストの四宮先生と一緒に、ホテルの結婚式場にやって来ていた。 「次、渡して」 「はい!」 「よし、しばらくその百合を持っていてくれ」  そういえば一馬は俺を抱くとよく花のような匂いがすると言ってくれたな。先生の指示で胸に抱くように持っている百合の花の匂いを嗅ぎながら、ふとあの最後の夜のことを思い出していた。  一馬……今頃どうしているか。  結婚式の後は、新婚旅行にでも行ったのか。  いつ大分に帰ってしまうのか。  結局、詳しいことは何も聞けなかったな。  いや、聞きたくなかった。  別れる瞬間まで、僕の恋人でいて欲しかったから。  でも一馬の嫁さんも、すごくお前のことを愛しているみたいだな。嬉しそうに涙ぐんでいる姿を見て、良かったとも思ったよ。  だって俺には出来ない事を、彼女なら全部叶えてくれるだろう。  だから僕もなんとか、温かい目でお前たちの門出を見送ることが出来た。  もう二度と逢わないと決めた人のことを花の香りに誘われて思い出すのは、身の毒になるから、やめないといけないのに。  楽しかった日々の思い出も辛かった日々の思い出も、自虐的に思い出し自らの心を虐めてしまうのが癖になる。 「瑞樹くん、今日はありがとう。あぁもうこんな時間が」 「あっはい」  時計を見るといつの間にか20時近かった。 「随分残業させちゃったね、何か用事でもあったんじゃないの?」 「いえ……今日は大丈夫です」 「へぇそうなの?じゃあ個人的に夕食でもどう?」 「えっ……」  先生からのプライベートな誘いは初めてで、激しく動揺してしまった。

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