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分かり合えること 3
五歳下の弟、瑞樹と久しぶりに会った。
電話ではたまに俺も母さんも話しているが、実際にこの目で見るのは三年ぶりだ。大学四年の夏休みにほんの数日だけ帰省したっきりだった。それからは仕事が忙しいという理由で全く寄り付かなくなってしまった。
大学の頃より少し大人びて、スーツが似合うようになったな。都会の男って感じで少し気恥ずかしかった。それにしても……随分痩せてしまったんだな。何かあったのか心配になって聞いても、相変わらず瑞樹はいつものように『大丈夫』と答えるだけだった。
俺だって悩んでる。どうしてお前が家を出て行き、実家に寄り付かないのか。お前にとっての実家は……もう函館の家だけなのに。
今でも瑞樹と初めて逢った日のことは、まざまざと覚えている。
****
俺が十五歳の時、母親に連れられて遠い親戚の葬式に行った。それは雨の降りやまない梅雨時だった。
新緑の若葉が水滴をまとい瑞々しい色で見上げる灰色の空を染めていた。その樹の下で独りぼっちで……ぽつんと佇んでいたのが、瑞樹だった。
梅雨の局地的大雨で行楽帰りの家族の車のタイヤがスリップしガードレールに激突。奇跡的に生き残ったのが瑞樹だったそうだ。まだ十歳という幼さで……目の前で両親も弟も一気に亡くしてしまったショックなのか、涙も見せずじっと固まっていた。
「ねぇ母さん……あの子どうなるの?」
「んーご両親に兄弟もいないそうよ。それに祖父母ももう他界されているので、どうやら施設に行くことが決まりそうだって、さっき聞いたわ。可哀そうに……」
「そんな!あんな小さいのに施設で暮らすなんて!なんで?葬式には何人も親戚が来てるじゃないか」
「でもねぇ広樹……皆……それぞれの事情があるのよ」
その時、ふとその遺された少年と目があった。
彼は俺に向かって一礼してくれた。
「へぇ……」
顔立ちが女の子のように可憐で、純粋に綺麗な子だと思った。仕草や佇まいから受ける印象はとても清楚で、両親の愛情を受けてスクスク礼儀正しく成長してきたのが感じられた。
だが彼の瞳は森の湖のように美しく澄んでいるのに、今はどこまでも悲しみに塗りつぶされ……悲壮感が漂い、まるで今にも両親の後を追ってしまいそうな……もしくは心を失ってしまいそうな……不吉な予感に包まれていた。
俺はまだ高校生になったばかりだったが、純粋に助けてやりたいと思った。
「母さん!あの子をうちで引き取ろう」
「えっ!何を言い出すの?」
「俺も高校生になったんだし新聞配達でもなんでもバイトをするからさ、あの子を引き取ってやってくれ。彼は施設じゃ……きっと生きていけない。ちゃんと息が出来る所で水をやって育ててやろうよ!きっと死んだ父さんならそう言うよ!」
病気で数年前に他界した父さんが最後まで俺によく話していたのは『人の役に立つ人間になれ』という事だった。
……
「なぁ広樹覚えておけ……心を正常に保つためには『自尊心』が大切なんだよ」
「えっそれってプライドってこと?なんか変じゃない?プライドが高い奴にいい奴なんていないのに」
「いや父さんの言う『自尊心』というのは、自分を認めてあげる気持ちや自分を大切だと思える気持ちのことだよ。自尊心が低いと自分に対して価値を感じられなくなり、死を望んだり……心が壊れてしまうんだよ」
「あぁそういうことか。それはそうだね」
「だからね……広樹には自分が必要とされていると思える機会を沢山作って、人の役に立つ人間になって欲しい」
「嫌だな……父さん、それ遺言みたいだ」
「あぁ遺言だよ。これは……父さんが花屋を始めたのは、花を贈ることが人を喜ばせたり、元気づけたりすることに繋がっているからだよ。その手助けを出来るから遣り甲斐のある仕事だったよ。道半ばで間もなく逝くのが残念だ。でも……お前たちには必要とされていつも生き甲斐を感じていたよ。ありがとう。これからはお前が……父さんの代わりに困っている人を助けてやってくれ」
……
「そうね……もしもあの人が生きてこの場にいたら、きっとそうするわよね。分かったわ。広樹の言う通りにするわ。まだ小さい潤には理解出来ないかもしれないけれども、私とあなたで協力して、あの少年が上を向いて生きて行けるように育てていきましょう」
「母さん!ありがとう!」
****
懐かしいな。
すぐに彼に近寄って名前を聞いたら『瑞樹』と答えながら、縋るような心細そうな表情を浮かべた。だから俺は労わるようにぎゅっと抱きしめてやり、本当の兄弟になろうと誓ったんだ。
広樹と瑞樹……
同じ『樹』という漢字を名に持つことも強い縁を感じたしな。
「兄さん、先にお風呂どうぞ。沸いたよ」
「おぉ、サンキュ!荷物整理をしたら借りるよ」
瑞樹は俺によく懐き慕ってくれて、俺も可愛い弟が出来たことが嬉しくて、花のことも全部俺の手で教えてやった。
センスのよいお前を高校の時全国フラワーコーンクールに推薦したのも俺だった。期待に応えて全国で二位の銀賞という成績を取ってくれた自慢の弟だった。まぁ……それがきっかけで奨学金をもらえて東京の大学にいっちまったんだがな。
ポリポリと頭をかきながら、持ってきた大量な荷物をクローゼットに放り込もうと扉を開けると、紙袋が隅にポツンと置かれていた。
「これは何だ?前の住人の忘れ物か……おーい、瑞樹ー」
瑞樹を呼んだがすぐに返事がないので、勝手に開けさせてもらった。中にはお茶碗やマグカップ……箸……歯ブラシ……などが入っていた。なんだかこれって、まるで別れた恋人の置き忘れみたいだ。
「兄さん、何か呼んだ?」
ヒョイと瑞樹がドアから顔を出したので、「これなんだ?」と聞くと、瑞樹の顔が突然真っ赤になった。
「なっ何でもない。あっアイツの忘れ物」
「アイツって男だろ?こんなのさっさと捨てればいいだろう?」
「うっうん。そうする」
何故瑞樹がそんなにも動揺したのか、その時は何とも思わなかった。
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