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分かり合えること 12
「おい!ちょっとそこに立ってみろ!」
ビールを片手に戻って来た瑞樹の兄さんの一喝に、緊張が走る。
「何ですか、急に」
「いいから立ってみろ」
厳しい眼差しで顎立つことを促されたので、下半身を気遣いながらノロノロと立ち上がると、彼はギョッとした眼差しで俺の股間付近を凝視した。
「おいおい……参ったなっ、マジかよ」
憐れむような声に誘われ足元を見下ろせば、驚いたことにスーツのスラックスの股間部分に張り詰めたものが、しっかり存在を誇示していた。
うわっマジかよっ……高校生じゃあるまいし、さっさと萎えればいいものの……とうとう制御不能に陥ったのか。瑞樹の美しい裸体を目の当たりにした脳ミソは、俺の意志を無視して性欲にまみれてフル活動中のようだ。
「あっこれは……すいませんっ」
思わず股間を両手で押さえて立ち竦む。
大の男がなんとういう情けない姿だ。醜態を晒すとはこのことを言う。
俺のそんな様子に瑞樹の兄さんは「あーあぁ」と憫笑を浮かべていた。
「くくくっ、なんだか気の毒だな。でも結構気に入ったぜ!都会の男ってもっとスカして感じ悪いと思ってたが、あんたは見掛け倒しでイイナ!」
うーむ、それは喜ぶべきか否か……この場合喜ぶべきなんだろうが……俺は生まれも育ちも世田谷で垢ぬけたクールな都会人を気取っていたので、実に複雑だ。
「コホン……あの、改めて自己紹介を……俺は滝沢宗吾です。その……男同士ではありますが……瑞樹くんと真剣にお付き合いさせてもらっています」
まるで結婚の挨拶に伺う婿気分だ、これ。
「うわっ変な事言うな!まっまだ受け入れたわけじゃないぞ。瑞樹が男と付き合っていること……あっ俺は葉山広樹だ。まぁ……その、とにかくよろしくな」
「へぇ……広樹と瑞樹か、すぐに兄弟だと分かる名づけですね」
「おっ!やっぱりそう思うか!いやぁあんた結構いいこと言うな~そうだなんだよ。とにかく俺にとって瑞樹は目の中に入れても痛くない程可愛い弟だ。なんだろうなぁ……歳が五歳も下だし、瑞樹は、あの顔と性格だろ。昔から変わらず清楚で……守ってやりたくも応援したくもなるんだよ」
瑞樹の兄さんという人は、目を細めて口元を綻ばせていた。その様子に見た目は熊みたいな大男だが、優しくておおらかな人柄のようだなと思った。
「そういえば……瑞樹には弟もいるんですよね」
「あぁ……まぁ」
なんだろう?急に真顔になったような。
「瑞樹から弟さんの話をよく聞いていました。小さい頃の可愛い様子とか」
「あぁ……そっか……それは……いや、何でもない」
今度は悲し気な顔になった。
俺はまだまだ瑞樹のことを一握りしか知らないのかもしれない。
瑞樹、君がどうやって成長したのか……過去を知りたい。
もっともっと瑞樹のことを知りたい欲求が高まっていく。
「まぁその話は置いて、これちょっと食っていいか。さっきから気になってさ」
俺の弁当を勝手に開けながら、彼は舌鼓を打った。
うーむ、本当は瑞樹のために作ったものだが、仕方がない。
「どうぞどうぞ、お兄さんのお口に合うか」
営業スマイルで勧めると、遠慮というものを知らないのか「上手いなー!スゲェー」とか連呼しながらどんどん口の中に放り込んでいくので、気が気じゃない。おいおい……それ瑞樹にも残してくれよぉ……と願うと、願いが通じたのか、彼は突然箸を置いた。
「あんた相当料理上手いな。俺、これを瑞樹にも食べさせてやりたい」
「ええ是非!そのために作ってきました」
「嬉しいぜ。あいつ痩せちまっただろう?きっと随分と悲しい別れだったんだろうな……その……この部屋に住んでいた奴とはさ」
「……だと思います。実は俺とはその別れの後、すぐに出会って……瑞樹くんは、今……その思い出を少しずつ昇華しながら、俺と前向きに付き合う努力をしてくれています」
「はぁ……瑞樹が昔から男にもてるのは知っていたさ。でもなぁまさか……なぁ。でもこの料理をいつも瑞樹に食わしてくれるのか……うーむ」
瑞樹の兄さんは、まだ釈然としない様子で顎を撫でていたが、全面的に否定されていないことが伝わってきて安堵した。同時に『昔から男にモテル』という言葉が気になってしょうがなかった。
****
えっと……僕は何を着たらいいんだ?
脱衣場に逃げ込んだものの、困ってしまった。
滝沢さんはビシッとクールなスーツ姿だった。でも兄さんは……上半身裸だったな。
もうっ兄さん……なんであんな姿になっていたんだよ。まったくいつの間に……油断も隙もない。そういえば実家でもいつもパンツ一丁とか上半身裸で歩いたよな。まだあの癖は抜けてないんだな。豪快な兄さんらしいや。
しかし……よりによってこのタイミングは、やっぱりまずかった。
まさか今日滝沢さんが会いに来てくれるなんて夢にも思わなかった。兄さんと鉢合わせしてさぞかし驚いただろうな。いきなり上半身裸の男が現れたら、僕がその立場だったら逆上してしまうだろう。
でも一馬と間違えるなんて……
一馬も確かに兄さん並みにガタイのいい男だったが、全然違うタイプなのに。
それから兄さん……兄さんにバレてしまった。僕がずっと男性と付き合っていたことをとうとう知られてしまった。
なのに……兄弟の縁を切られてもおかしくないのに……兄さんは昔から僕に甘すぎる。驚かせただろうしショックだったろうに、結局受け入れようとしてくれるなんて……ありがた過ぎて涙が出るよ。
こんなこと母や潤が知ったら大変なことになる。でもきっと兄さんは黙っていてくれると思う、そう信じている。
もしかして考えがあざといのかな……僕は。
滝沢さんはスーツなのに申し訳ないと思いつつ……結局パジャマにしている部屋着姿で、部屋におそるおそる戻った。
リビングのソファの前のローテーブルで、二人は缶ビールを飲んでいた。
「おっ瑞樹も来いよ。こいつの料理上手いぞ」
「え?」
見れば兄さんが買ってくれた弁当の他に、ランチボックスに入ったご馳走がずらりと並んでいた。だいぶ食べつくされているが、今ならまだ間に合いそうだ。
「瑞樹も早く食べてくれ。これを差し入れに来たんだ」
「滝沢さん……」
「そんな不安そうな顔するなって」
「でも……」
「改めてお兄さんには挨拶したし、もう大丈夫だ。安心しろ」
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