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帰郷 33
「瑞樹……入るぞ」
呼んでも返事はない。思い切って病室のカーテンを開いた。
そこに眠る瑞樹の痛々しい姿に、覚悟していたとはいえショックを受けてしまった。
「うっ……」
クラクラと眩暈がして、思わず壁にドンっと手をついてしまった。
「ごめん。瑞樹……俺のせいでこんな目に、こんな酷い怪我を……」
頬にはすり傷、打撲痕、両手には包帯がグルグルに巻かれている。見えない部分もきっと傷だらけのはずだ。
思春期になってもニキビひとつ作らず、いつもすべすべの肌で綺麗だったのに。瑞樹はいつも清楚で爽やかな空気を纏う人だった。そんな人をここまで貶めたのは全部オレのせいだ!
「うっ……うう……ごめんな。ごめん」
瑞樹はまだ朦朧と麻酔でうつらうつらと眠っている状態だと聞いた。だから静かにしないといけないのに嗚咽がとまらなかった。起こさないようにと必死に口を塞いだ。
オレって奴は、いつだって横柄な態度で瑞樹に接していた。彼を兄だと敬うこともせず所詮血の繋がらない貰われっ子だと蔑み、自分の下僕のように偉そうに接していた日々を、苦々しく思い出してしまう。
「本当にごめん。今までずっとごめん。まさか……こんなことになるなんて思っていなかったんだ。ちょっと虐めてやろう。揶揄ってやろうと軽い気持ちで始めたことが、まさかこんな大事に、結果になるなんて知らなかったんだよ……うっ、うう」
廊下から複数の足音が聞こえる。
「おい潤、どうした? お前が泣いてるのか」
「あ……先生の話終わったのか」
「あぁ説明は受けた。瑞樹は暫く入院することになったよ。思ったより大怪我だった」
「そうなのか……」
瑞樹の恋人の宗吾さんと目が合った途端、居たたまれない気持ちに押し潰されそうになった。彼の視線はあからさまに冷たかった。オレを殴りたいのをグッと我慢しているらしく拳がぷるぷると震えていた。
それでいい。
オレがきっかけであの変態野郎に火をつけたことを、兄貴から伝えてもらったはずだから、尤もな反応だろう。
「あの、本当にすみませんでした。俺がしでかしたことのせいです。だから殴るなり蹴るなりしてください」
「……」
大事な恋人をこんな目に遭わせたきかっけを作ったのはこのオレだ。煮るなり焼くなりしてくれと覚悟を決めて頭を深く下げた。
「くっそぉ……」
彼の拳が上に上がったので、俺は歯を食いしばった。なのにいつまで経っても衝撃はやって来ない。不思議に思って目を開くと、彼の眼は真っ赤になっていた。
「君を殴っても元に戻らないし、瑞樹が悲しむから……俺には殴れない」
悔しそうに耐えるように唸るように彼はオレにそう告げた。苦渋の決断なのだろう。
その時、瑞樹が目を覚ましたようだ。
「瑞樹っ、俺だ。広樹だ。見えるか」
「……」
「瑞樹? 」
「あ……ごめん。まだ少しぼんやりして……広樹兄さん、どうしてここに? 」
「どうしてもこうしてもないだろう! みんなで飛んできたよ。お前のことが心配で心配で溜まらなかったぜ」
「あっ、こんなことになって……すみません」
「馬鹿。こんな時にも謝るなんて。お前はどこまでも馬鹿だ! ……でも大好きな弟だ」
「兄さん……ありがとう。 あの、潤は……潤は無事に函館に戻った? 僕、それが心配で……」
「あぁちゃんと戻ってきたし、今ここにいる」
兄貴がオレを手招きして呼ぶ。宗吾さんもコクリと頷いている。
「瑞樹が会いたがっている。ちゃんと顔見せてやれよ」
「あ……あぁ」
一歩一歩、瑞樹の所に行くまでの足取りが異様に重たい。
「潤……どこ? 」
瑞樹の眼から涙が生まれ頬をツーっと伝い降りて行った。傷だらけの頬に透明の涙がまるで宝石のように輝いていた。
こんなになっても瑞樹は穢されていない。美しいままの瑞樹だ。
同時にこんなに清らかなものを汚そうとしたのはオレだ。若社長と同等のことをしたと激しく後悔した。
「瑞樹……瑞樹ごめん。ごめんよ」
「潤……よかった……お前が無事で本当によかった」
瑞樹はオレの泣き顔を不思議そうに見つめていた。そして包帯だらけの白い手を震えながら伸ばし目元の涙を拭ってくれた。
瑞樹の指先ではなく包帯に、涙は吸い取られていった。
「潤……どうして泣く? お前の泣き顔なんて初めて見たよ」
「オレのせいだ。全部オレはアイツをけしかけて……こんなことになった。オレはもう瑞樹に合わせる顔がない」
「そんなこと言うな。僕は潤が無事に函館に戻ることが出来てほっとしたよ。なのに僕の怪我のせいで、また上京させて悪かったな」
「もう……瑞樹はお人好しすぎる。でもオレの大事な兄さんだ……瑞樹はオレの兄さんだ!」
気が付いたら大声でそう叫んでいた。
「兄さんっ」
初めてそう呼んだ。そう呼んで気づいたことがある。
オレはずっとそう呼んでみたかった。
最初は照れくさくて、それから意地悪くなって……ずっとずっと呼べなかったが、ようやく呼べた。すると瑞樹も、オレが欲しかった言葉をくれた。
「潤……は僕の大事な弟だ。僕こそ、ごめんな。長い間避けたりして……遠回りしたね。僕たち」
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