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帰郷 36 

 軽井沢 「ママ、どうして中に入らないの?」 「うーん、やっぱり今日はお見舞い、やめておこうかな」 「そうなの? ねぇあのお兄ちゃんは助かった? 王子さまはちゃんと来た?」 「あぁそういう発想になるのは優也のせいね〜 もちろん来たわ。ちゃんと来たわよ! 」  私が発信した緊急コールはソウルを経由してあの青年の一番大切な人の元に届き、彼は危機一髪の所で助けられた。  私がもっと早く気付いてあげられていたら彼のダメージは少なかったのでは。後悔はあるけれども、彼にはあんなに包容力のある素敵な人がついているから、きっと立ち直れると祈っているわ。  今日は中に入らない方がいいと思うの。ようやく二人きりになれた恋人たちの労わりの時間を邪魔する程、野暮ではないわ。  さっきからソウルに住んでいる弟の優也から何度も連絡が入っているみたい。  彼は王子様に助けられて無事よ。大怪我をしてしまったけれども……だから安心して。    私がかつて優也の異変に気が付いてあげられなかったからなのかな。今度は見抜けてほっとしている。控えめで大人しい優也が悲しみに沈みソウルで過ごした三年間、もっと早くあなたを見つけてあげたかった。  ****  東京 「おばあちゃん、どうしてパパは今日帰ってこないの? 」 「……それがね、瑞樹くんが大けがしちゃったの。入院した場所がここよりも遠くだから今日はパパが付き添ってあげるのよ。芽生はいい子に待てるかしら」 「え……お兄ちゃんが? だいじょうぶかな……すごくしんぱいだな。そうだ! メイ、お手紙を書くよ」 「まぁ優しい子ね」  芽生はすぐにクレヨンを出し画用紙に絵を無心に描きだした。  青い空には白い雲が綿菓子のように浮かんでいる。なるほど黄緑で塗りつぶしたのは草原ね。  それにしても瑞樹くんのことが心配だわ。何て惨い事件に巻き込まれてしまったのかしら。こちらではニュースにならなかったのが幸いだけれども、瑞樹くんの怪我の状態は酷く一週間も入院しないといけないなんて気の毒に。  可愛らしく清楚な人や物を自分本位に手折りたくなる輩が、古今東西いるものね。  彼の指先が生み出す花のアレンジメントが私は好き。彼の指先にかかれば、まるでどの花も地に根をはっているように生き生きと溌剌と自然に咲いていくのが魔法のようだもの。  どうか……あの指に後遺症が残らないように祈るわ。 「おばあちゃん出来たよ。おにいちゃんに送って」  芽生が描いたのは、草原で男の子がぎゅっと男の人に守られている絵だった。手にはシロツメクサかしら。白い花の冠を持っているのね。 「まぁとてもやさしい絵ね。きっと瑞樹くん喜ぶでしょうね。パパに入院先を聞いて送りましょうね」 「うん! お兄ちゃんはメイをいつも守ってくれるから、今度はメイの番だよ」 「あら、これ宗吾かと思ったら、芽生だったの?」 「うん!!」  ふふふ。瑞樹くんはモテモテね。私もあなたが好き。宗吾のことをよろしくね。そしてあなたも存分に宗吾に甘えていいのよ。今こそ甘えるべきよ。 **** 北鎌倉 「洋、落ち着けって」 「だが……」 「さっき宗吾さんから、瑞樹くんは何とか寸での所で無事だったと連絡をもらったばかりだろう」 「それは分かっている……分かってはいるけど! 」 「分かるよ。洋にとって他人事ではないのだろう」  丈が俺を落ち着かせようと、背後から抱きしめてくれる。 「……そうだ。どうして俺の周りでは、こんな卑劣なことばかり起きてしまう? 大切な人が傷つくのを、ただ黙って見ているだけなんて辛いよ。絶対に俺のせいだ。きっと俺が悪縁を呼んでしまうから! 」 「馬鹿、そんなこと言うな。そんな風に自分を貶めるな。洋……」  ソウルの優也さんから俺への電話。最初は何の話か分からなかった。瑞樹くんが宗吾さんではない誰かに連れられて軽井沢で下車した。彼はとても困っているようだと、優也さんのお姉さんから連絡があったので知らせてくれたのだ。  そんな……  直近で彼に会ったのはハロウィンの時だ。皆で楽しく笑い転げて過ごした日々から一転した危険な知らせにクラクラと眩暈がした。 「ごめん。俺……気が動転して」 「分かるよ。洋の気持ち……だが洋が取り乱してどうする。それより彼らをサポートすることを考えよう」 「そうだな、ごめん。そうだ! 怪我のことを聞いてもいいか。指先を縫うって後遺症とかないのか。お前ならどう思う? なぁ教えてくれよ、彼の仕事に影響は? 」 「すぐに消毒処置して縫合したというから化膿の心配はないだろう。ただ抜糸まで入院というから大怪我だったと推測できる。指先は腱や神経が傷ついている可能性があるから、まだなんともいえないが、とにかく暫くは指を酷使するのはやめた方がいいと思うが」 「そうか……」  あぁ……意気消沈だろう。  瑞樹くんとは互いの仕事の話を語り合ったばかりだった。彼は憧れだったフラワーアーティストに今年昇格して、これからの季節はクリスマス・お正月とホテルやイベント会場の仕事を沢山任されていると、嬉しそうに意気揚々と話していたばかりだった。 「洋、そんなに心配なら一度軽井沢までお見舞いに行って来たらどうだ?」 「えっいいのか」 「あぁ私も気になるからな」 「ありがとう!丈」  激しく動揺していた洋に、やっと笑顔を戻ってきた。瑞樹くんは洋が心を許す友人だ。だからこそ悔いのないよう行動するといい。    人のために何かをするということは自分にとっても意味がある。けっして偽善ではない。そんな言葉で片付けてはいけない。 ****  軽井沢 「宗吾さん、僕は……ひとりじゃないのですね。お母さんも広樹兄さんも潤も、ここまで来てくれました」 「あぁそうだよ。皆、瑞樹のことを考えて集まった」  瑞樹はその言葉を噛みしめているようだった。嬉しそうに照れくさそうに。どうやら痛み止めが効いてきたようで顔色も落ち着いてきた。ただ興奮して寝付けないようだったので、俺が彼のベッドに座って負担のないように話相手になってあげている。 「そうだ……あの、どうして宗吾さんがあの場に来てくれたのですか。信じられなかったです」 「それは縁だよ。俺たちが作った縁に助けられたというべきか」 「縁? それは……どういう意味ですか」      

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