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帰郷 41

「うっ……うっ」  心の奥にぐっと抑え込んでいた涙が溢れて来るのを止められない。 「悔しい……悔しい! 僕が何をしたっていうのだ。何もしていない。ただ普通に生きて来ただけなのに」  あんな目に遭った自分自身が情けなく許せない。その行き場のない叫びを、洋くんの誘導で外へ外へと吐き出していく。 「瑞樹くん大丈夫だよ。それでいい。泣いて吐いて全部流し出してしまえばいい」  僕が遭遇してしまった事件は、きっと誰にも詳細を語ることなく一生溜め込む心の棘になると思っていたのに、いいのだろうか。こんなにも無防備に曝け出してしまって。  涙で霞む視界に洋くんの顔が見えた。彼も僕と同じように涙を流していた。そして何度も同じ言葉で僕の心を根気よく解してくれた。 「瑞樹くん、聞いてくれ。俺も同じだ。苦しんだのは君だけじゃないんだよ。俺も同じ体験をしたからこそ分かるんだよ。君の苦悩が痛い程ここに届く! 」  洋くんは泣きながら自らの心臓を叩いた。その真剣な眼差しに心を打たれた。 「……洋くんも同じような辛い経験を? 」 「あぁ大丈夫だ。俺を見てくれ。ちゃんと生きている。前を見て生きている! それに君はひとりじゃないだろう。俺に丈がいるように、君には宗吾さんがついているじゃないか! 」 「うっ……でも僕はもう汚れてしまった。汚い……」 「あぁその気持ちも分かるよ。俺もどんなに洗っても落ちない記憶に長い時間……苛まれたから」 「あっ……うぅ……うう」  その通りだ。病院ですぐに躰を洗浄してもらい検査もされた。傷は綺麗に消毒され治療されたのに、皮膚のもっと奥が内側から汚れているような気がしてならない。寸での所であの男の胎内への侵入は免れたが、とても喜べる状態ではなかった。窓から飛び降りる頃には悲惨な有様だった。 「君にはやっぱり彼が必要だね。今すぐに」 「え……」  洋くんが何を言ったのかすぐに分からなかった。 「宗吾さん。もう、入っていいですよ」 「えっ! 」  驚いたことにカーテンの向こうには、いつの間にか宗吾さんが立っていた。  何で? さっき確かに帰ったはずなのに、どうしてまたここに? それにまさか今の話を全部聞かれてしまったのか。 「ありがとう。瑞樹が言うに言えなかった、吐くに吐けなかった心の棘を抜いてくれて。だが洋くん、君自身は大丈夫か」 「俺は大丈夫です。長い年月はかかりましたが、こうやって同じような境遇に陥った人の傷を受け留められるまでになったのです。すみません、勝手に荒治療をして。でも俺があなた達に出来ることは、これしかなくて」 「いや……助かった。ありがとう」 「じゃあ俺はこれで」 「あ、待って。洋くん」 「瑞樹くん、君は大丈夫だよ。安心して後は彼に任せて」 「でも」  宗吾さんとカーテンの中で二人きりになってしまった。どうしよう…… 「瑞樹、驚かせてごめんな。洋くんと駅ですれ違った時に、本当の気持ちに気づいてしまった。まだ俺は瑞樹の傍にいたい。瑞樹のすべてを受け留めてないと。それで洋くんを呼び止めたんだ」 「だって仕事が」 「大丈夫だ。全部電話で指示できたので、心配するな」 「でも全部聞かれてしまった」  僕の弱音を全部聞かれてしまったことに、軽いパニックになってしまった。 「宗吾さんに聞かれるなんて……さっきの話はもう忘れてください! 」 「駄目だ。君の苦悩を俺に分けてくれよ! 」 「嫌だ、あなたを汚してしまうことになるから」 「はぁ本当に瑞樹は強情だな」  宗吾さんは病室のベッドを囲むクリームイエローのカーテンを、ぴったりと閉めてしまった。それから僕の前に屈みこんで、いきなり僕の肩を掴み、唇を重ねてきた。   「うっ駄目です」 「俺に上書きさせてくれ」 「あっ……」 「大丈夫。ここは個室だしお母さんには事情を話してあるから暫く帰って来ない」 「でも」  そうは言われても落ち着かない。でも宗吾さんの匂いを近くに感じると心の底から安堵出来た。あの男の体臭が鼻腔に残っていたのが、すうっと消えていくのを感じた。 「宗吾さんの匂いだ」  だから思わず僕の方から包帯だらけの腕を、宗吾さんの肩に回してしまった。 「アイツに他はどこを触られた?」 「くっ」  そんなこと言えない。 「どこだ? 話してみろ」 「……言えないです」 「言わないと駄目だ」  宗吾さんがまた僕にキスをする。キスで蕩けさせようとしてくる。優しい愛情がどんどん流れ込んで躰が温まって来ると、気も緩んでしまう。 「あ………宗吾さんに触れて欲しかった所だった」  それだけ言うのが精一杯だった。 「あぁもどかしいな。もうっ早く君を全部俺の物にしたいよ。だがこんな怪我だらけの君を抱くわけにいかない」 「でも……触れて……欲しい」 「いいのか。傷が痛むだろう」 「宗吾さんの手なら……嬉しいだけです」  宗吾さんの手がいい。  あんな奴にベタベタと触られてしまった素肌に触れて欲しい。  

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