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帰郷 43

「瑞樹くんのお母さんですよね……あの……申し訳ないのですが暫くの間、席を外してもらえませんか。瑞樹くんと宗吾さんだけの時間を作ってもらいたいのです。こんなこと初対面なのに偉そうに言ってすみません」  瑞樹の友人『崔加 洋さん』という美しい青年から、突然そんなことを提案されて驚いたわ。でも素直に従ったの。だって瑞樹のためにここまで駆けつけてくれた人の頼みだったし、彼の眼がどこまでも真剣だったから。  函館の空港で広樹と潤の会話から悟ってしまったの。瑞樹の恋愛対象が男性だなんて知らなかった。今まで何も気づいてあげられなくて、きっとあの子も長い間、言うに言えず苦しんだに違いないわ。  今回の函館への急な帰郷は、もしかしてその事を告げるためだったの?   そう思うと納得できるわ。なのに瑞樹の決心自体を揺るがす事件が起きてしまうなんて、酷すぎる。どうしてあの子ばかりいつもこんな目に遭うの? 同性からそういう対象になってしまうの?   高校時代にしつこく追いかけまわされて大変だったのに、まさかあの男がまだ瑞樹を狙っていたなんて恐ろしい。今回はきちんと実刑を受けて償い、二度と近づかないで欲しい。  私の息子なのよ……繋がらなくても大事な……だから瑞樹の心と躰を同時に傷つけたのが許せない。でも今の瑞樹に必要なのは、私の怒りよりも瑞樹が心から甘えられ、瑞樹を丸ごと愛してくれる人の存在よね。  子供はいつか巣立つもの、それを応援するのが親の役目。  あーあ、瑞樹ってば、いつの間にか大人になっちゃったのね。ちょっと寂しいわ。何だかお嫁に出した気分で……引き取った当時のことを思い出してしまう。  大きな樹の下に茫然と立っていたのは、まだ十歳の瑞樹。  広樹が最初にあなたを見つけ、私も一目であなたを気に入ってしまったの。  瑞樹は遠い親戚の子供で、葬式の日まで一度も会ったことはなかった。でも瑞樹の実母とは面識があったのよ。祖父母の家でお正月やお盆に顔を合わせる程度だったけれども、明るくチャーミングな女性だった。そんな彼女が手塩にかけて育てた大事な息子だということは、引き取ってすぐに瑞樹の性質から伝わってきたわ。  道半ばで去った彼女のためにも、瑞樹を幸せにしてあげたいと誓ったのに……女手ひとつで三人の息子を育てる現実はそう甘くなかったわね。行き届かなかった部分が多々あるのも、瑞樹に苦労させてしまったのも全部認めるわ。    だからあなたが選んだ道が、普通と違っても止めたりしないから安心してね。驚いたけれども……理解する。あなたが幸せになれるのなら送り出すからね。  でも怪我が治るまでの間は、私の手元にいて欲しいわ。だって十八歳で上京してからろくに寄りつかずゆっくり話してなかったから。 「さてと、もうそろそろいいかしら」  たっぷり時間を潰してから瑞樹の病室を覗くと、病室からは話声も物音もしなかった。 「瑞樹……寝ちゃったの?」  返事がないわ。眠っているのかしら。  えっと……このカーテン開けても大丈夫かしら。  イヤだわ……私の方がドキドキしてる。 「瑞樹……宗吾さん?」  カーテンを開けると、幸せそうな表情で眠る瑞樹。  そして瑞樹の足元に覆いかぶさるように眠っている瑞樹の彼……宗吾さんの姿が見えた。    ふたりともとても穏やかに眠っているのね。心穏やかに── 「あ……お母さん」  私に気づいた瑞樹が照れくさそうに笑ってくれた。  躰は傷だらけなのに、とても幸せそうに見えた。   「瑞樹、よかったわね。彼がいてくれて」 「お母さん……本当は今回は宗吾さんのことを話しに函館に行くつもりだったんだ。なのに、こんな形で報告することになって、ごめんなさい」 「馬鹿、何を謝るの? 宗吾さんっていい方ね。瑞樹は今、幸せなのね」 「はい。この人のお陰で救われて……」 「よかった。瑞樹が幸せなら、こんなに怪我をしても微笑むことが出来るあなたを見ていると、彼が瑞樹の傍にいてくれてよかったと心の底から思えるわ」  そう伝えると、瑞樹をほっと安堵のため息をもらした。 「宗吾さんも疲労困憊ね、毛布持ってくるわ」 「お母さん……」 「なあに?」 「……ありがとう」 **** 「宗吾さん……宗吾さん、もう朝ですよ」  瑞樹の優しい声がした。この声は俺の家に泊まった時と変わらない穏やかな声だ。 「あっ瑞樹! 」  ハッと飛び起きると、瑞樹が優しく甘くふわりと微笑んでくれていた。どうやら俺はあのまま病室でいつの間に眠ってしまっていたようだ。でも寒くなかったな。とても心穏やかに眠れたから。 「あの、寒くなかったですか」 「あぁ……あれ? 毛布、いつの間に」 「それは母がかけてくれました」 「え? 俺その時、寝てた?」 「えぇ、グーグーと」 「まさかイビキ?」 「クスッかいていませんよ。とっても大人しかったですよ」  迂闊にも瑞樹の母親に寝顔を見られてしまったのが、何とも決まりが悪い。それにしても瑞樹の足元を朝まで占領していたのか。 「悪いっ重たかったよな」 「えぇ……重くて身動き取れませんでしたよ。少し痺れちゃったかも」  瑞樹が明るく笑っている。なんだかそんな当たり前のことが眩しくて涙が出そうになった。  昨日よりもずっと調子が良さそうだ。彼特有の可愛い控えめな笑い声に胸の奥がドキドキと高揚してくる。やっぱり昨日あのまま帰らなくてよかったと、しみじみと思った。 「どれ? じゃあマッサージしてやるよ。あっそれよりトイレに行きたいんじゃないか」 「え……それはまぁ」  図星のようで瑞樹が俯いてモゾモゾと足を布団の中で動かした。 「いやいや待てよ。入院中の病人はアレを使うのか」 「アレ? あっ……そっ宗吾さんは、もう……いつも変です!」  瑞樹は呆れ気味に、でも楽しそうに、もう一度笑ってくれた。  傷だらけの顔でも包帯だらけの躰でも……微笑んでくれた。  愛しい人の笑顔が、こんなにも眩しくて嬉しいものだなんて!    

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