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北の大地で 12

「瑞樹、あそこだ。覚えているか」 「いや……」  母に大沼へ行くのを願い出た翌週、僕は1泊2日の予定でペンションを訪れた。  ひとりでも大丈夫だと言ったのだが、皆に猛反対されたので、結局、広樹兄さん兄が付き添ってくれることとなった。 「兄さん、仕事は本当に大丈夫だった?」 「あぁ潤は結局俺がいると頼ってばかりだからいいんだよ。あいつも春に軽井沢に修行に行くためにも、少しずつ自立していかないとな」 「そうだね。潤もだいぶ花屋の仕切り方を覚えたようなので助かっているね。だからかな。僕も、そろそろ前に進みたいと思っているよ」  そう告げると、兄さんは嬉しそうに目を細めた。   「偉いぞ。瑞樹がそういう気持ちになって来たのはいい事だ。でも何も覚えていないのか。十歳までここで暮らしたのに?」 「そうだね……まだ思い出せないだけで、中に入ったりすると何か思い出すかも」 「まぁ気負わず行こう。さぁ入ろう」  ペンションは洋館で、芽生くんが好きなおとぎ話の物語に出てきそうな瀟洒な雰囲気だった。それに真っ白な雪で埋もれた屋根からチラッと緑の塗装が見えていた。    あれは新緑の色だな。心の中で思うと広樹兄さんも同じことを考えていたらしく「瑞樹みたいな色の屋根だな」と言ってくれた。その通り、真っ青な青空が似合いそうな草原色の屋根だ。  どこか懐かしい気持ちが胸の奥に芽生える色だ。 「いらっしゃいませ。チェックインですか」 「『葉山』で予約していますが」 「あっはい」  兄さんがフロントでチェックインしている間、ペンションの内部をぐるりと見渡した。  中は思ったより老朽化していた。  本当にここに僕が住んでいたのか。十歳までの記憶が僕の中に確かに存在するはずなのに、あの交通事故を境にシャットダウンしてしまったのか。それともペンションにするために大幅にリフォームして跡形もないのか。必死に記憶の糸を手繰り寄せるが、上手く思い出せなかった。 「瑞樹、鍵もらったから部屋に行くぞ」 「あっうん」  兄さんと客室に向かって廊下を歩いていると、一定の間隔で写真パネルが壁に飾られているのに気が付いた。  あっ……どれも大沼公園の写真だな。  僕は歩きながら一枚一枚を眺めた。すると何故だか目が離せなくなり、興奮して見入ってしまった。 「おーい瑞樹、どうした?」 「兄さん。この写真をもう少し見てからでいい?」 「了解。部屋はここだからな」 「うん、すぐに行くよ」  もう一度写真をじっと見つめた。  雪の中から福寿草や水芭蕉の小さな芽が顔を出している。背景の駒ケ岳にはまだ残雪が多く、ようやく少し歩けるようになった道を歩んでいるような臨場感のある春の風景だ。  こっちは五月の景色だ。野草が芽吹きエゾヤマツツジの花が大沼公園を彩り、華やいだ雰囲気だ。どこまでも広がる野原の写真もある。  これは夏の湖水まつりの写真だろうか。灯篭が湖に浮かんで幻想的だ。夏は大沼湖や小沼湖の水連が見頃で、モネの絵画のような世界が広がっている。緑の生い茂る木陰には心地よい涼風が吹いているようだ。    駒ケ岳の裾野が真っ赤に染まる秋の景色もいいな。  さらに冬場の氷上わかさぎ釣りや、シベリアから飛来し大沼で越冬する白鳥たちが湖で羽を休めている写真にも、ぐっときた。どこまでも清らかな白い銀世界が広がっていた。  懐かしい……どの風景も全部見覚えがあるものだ。  自然に、すーっと涙が流れていた。  これは……ずっと封印していたものが溶け出していくような感覚だ。 「あっ……この景色……全部僕が見たものだ」 「やっぱりそうか」  思わず口に出すと、いつの間にか隣に人が立っていたので驚いてしまった。フロントで受付をしていた男性だ。 「え?」 「君……もしかしてミズキじゃないか」 「え……そうですが」  なんで僕のことを知っているのか……驚いて、まじまじと顔を見つめてしまった。 「やっぱりそうか。チェックインの時から気になってさ。小さい頃の面影あるもんな」 「えっと……」  誰だろう? 明らかに僕を知っているということは…… 「覚えてないのか。小学校の時に同じクラスだった杉山 誠一だよ」 「あっ」  フルネームを教えてもらって、やっと朧げな記憶を思い出した。  僕の通っていた小学校は1学年1クラスのこじんまりとした学校だった。あの事故の前日まで通っていた場所だ。そのクラスに帰り道が同じ方向でよく遊んだ人懐っこい笑顔の友達がいたのを思い出した。  彼の名前は『スギヤマ セイイチ』だ。僕は彼のことを……『セイ』と呼んでいた。 「もしかしてセイか」 「そうだよ! 懐かしいな」 「えっと……セイが何でこのホテルに?」 「あっそうか、お前は知らなかったのか」 「何を?」 「ここは元々お前の家だったんだろう?」 「……それは知っているよ」 「俺の親が買い取って、ペンションにしたんだよ」 「えっセイのご両親が? 」 「あぁ、ミズキの両親と仲良かったし、ペンションの夢を叶えたくて、ここが売りに出された時すぐに買ったそうだよ。にしても、俺たち家族はずっとお前の行方を探していたんだぞ。今までどこに行っていたんだよ。急に消えちゃって薄情だな」 「ごめん……僕は函館で新しい家族に引き取られて暮らしていたんだ」  あの頃まだ十歳だった僕に大人の事情は分からなかった。住んでいた家がどうなったのかも。それに自分で大沼に戻る術も知らなかったし、自由になるお金もなかった。 「そうだったのか。何はともあれよかったよ。今の瑞樹が幸せそうで安心したよ」 「……僕、幸せそうに見えるのか」  思わず聞いてしまった。変なことを聞くと思われたかも……  セイは何も気にすることなく、朗らかに笑ってくれた。 「あぁ、さっきチェックインしたのは新しい家族のお兄さんか。すごく優しそうだな」 「うん、みんな優しいよ。良くしてもらっている」 「良かった。俺の両親が聞いたら喜ぶよ」    今の僕は他人から見て『幸せ』に見えるのか。  嬉しい! 兄さんのことも家族のことも褒めてもらえて、心の底から嬉しくなった。 「それより、この写真分かるか」 「ん? いい写真だよね。懐かしくて……どこかで見たような気がする」 「気づかないのか。 これ全部、お前の母親が撮った写真だぜ」 「え……」  知らなかった。そんなの知らなかった。 「ほら、ここを見て見ろよ」 「え?」  さっきも見た五月の野原の写真をセイが指差した。 「ここに小さく写っているの、ミズキと弟のナツキだろ?」  原っぱにしゃがみ込む子供がふたり写っていた。シルエットになっていてはっきり分からないが、これは僕だ。そして隣は弟の夏樹だ。 『ママーこっちだよぉ。撮って撮ってぇ』 『はーい!』  写真の中に入り込むと……夏樹の声が聞こえ、一眼レフを構えた母の笑顔も見えて来て……更にはカシャカシャと小気味よいシャッター音も、確かに僕の耳に届いた。  色褪せた記憶というものが、色鮮やかに蘇ってきた瞬間だ。 「あっ……そうか……これは……お母さんが撮ってくれた写真だ。あの日の……」 あとがき(不要な方はスルーで)  こんばんは。志生帆 海です。  昨日は更新できなかったので、今日は沢山書きました。今回は宗吾さん絡みの萌えシーンはないのですが、瑞樹がどんどん自分を取り戻していく過程を描きました。  瑞樹が故郷で心身ともに健康を取り戻し、宗吾さんの元で幸せになって欲しいと思っています。  そして昨日で『幸せな存在』が200話達成しました。(本日201話です!)  別途連載中の洋が主人公の『重なる月』は1000話超えですが、他ではここまで長い長編を書いていなかったので新鮮です。いつも沢山のリアクションで応援ありがとうございます。励みになっています。  続きを待ってくださっている方がいるかな~と、私も前向きな気持ちで楽しみながら更新しています。  

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