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幸せを呼ぶ 4

 宗吾さんは後ろ手でドアを閉めるなり、玄関先で僕を勢いよく抱きしめた。 「わっ……」    彼の胸元に顔をすっぽりと埋められてしまったので、鼓動が間近に聞こえる。ドクドクドクと早鐘を打っている。 「……宗吾さん?」 「……」  呼ぶと更にギュッと力を籠められてしまった。僕もじっとしてその温もりを感じた。ほわほわと心地良くて蕩けそうになる。でも何だか彼の様子が少しおかしい気がして……そっと背中に手をまわして撫でてあげた。 「あの……どうしました? 何か思い詰めていませんか」 「あぁ悪い……参ったな。瑞樹はカンが良すぎる。その……嫉妬した」 「え? 何にですか」  一体何のことだか、キョトンとしてしまった。 「この部屋にだ」 「……そんな」 「だよなっ」     宗吾さんは一旦僕を引き離し、じっと見つめてから困ったように肩を揺らした。    その表情に僕はドキっとした。  もしかして僕がさっき感じた一馬の気配を、宗吾さんも感じたのだろうか。  そんな心配……もういらないのに。 「なぁ今日は一緒にいてもいいか。そのさ、何もしないから」 「くすっ」  そんな断り……もういいのに……と、思う。 「とにかく、上がってください。コーヒーでも」 「ありがとう」  なんだか付き合い始めたばかりの恋人のような、甘い会話だな。頬が火照ってしまうよ。    **** 「コーヒーでいいですか」 「あぁ、ありがとう」    宗吾さんにコーヒーを手渡して、久しぶりに部屋を見渡した。  ここは若い二人が住むには広すぎる家だった。いつの間にか増えてしまった荷物……整理しないと。宗吾さんの家に行く時には置いて行きたいものばかりだ。あの部屋にしまい込んだ、あいつの荷物も、もう捨てよう。あの時は捨てきれなかったが、もう大丈夫だ。 (一馬……僕はもう大丈夫だよ。もう気にしなくていいんだよ……一馬も元気で)  だから、そうあいつに心の中で伝えた。きっと届く、そんな予感の元。 「もう、こんな時間か」 「あ……」  芽生くんは一人で大丈夫かな。もっと早い飛行機で帰って来られたら、その足で会いに行きたかったな。なんだか急に芽生くんのことが恋しくなってしまった。  きっと大沼で赤ちゃんと共に生活していたからだ。小さくて無垢なぬくもりが恋しい。そうだ……僕の弟のお気に入りのぬいぐるみ。芽生くんに可愛がってもらいたくて連れてきたよ。 「あの……宗吾さん、今日は帰らなくてもいいのですか」 「瑞樹、つれないことを言うなよ。もうこんな時間だ。ここに泊めてくれないのか」 「それは、もちろんいいですが、芽生くんは大丈夫かなと」 「あぁさっき電話したら、もう寝てしまったから迎えるのは明日の朝でいいと言われたよ。母が明日は出かけるので幼稚園の送りだけは頼まれたが」 「僕……芽生くんに寂しい思いさせていますね」 「いや……芽生も今日のことはちゃんと分かってくれているよ。それにこれから沢山可愛がってくれるのだろう?」 「はい! もちろんです。じゃあ……明日は僕も一緒に迎えに行って、幼稚園に送ります」 「そうか。それはきっと喜ぶよ。頼むよ」  明日からのことを考えると、夢膨らむ。  まるで僕が桜の蕾にでもなった気分だ。もう間もなく咲く寸前の気分って、こういう感じなのか。  こんなにも明日というものが希望に満ちたものだなんて……  あの日、函館旅行のためにこの部屋を出た時と今とでは……僕は生まれ変わったようだ。  あの事件をきっかけに色んな事から抜け出せた。そして大沼で過ごしたゆったりとした時間が、僕自身を取り戻させてくれた。 「それにしても、宗吾さんはもう寝ないと駄目ですよ。明日の仕事に支障が出ますよ」 「そうだな。まぁいろいろしたいことは山々だが……」 「あっあの、お風呂いれてきます。そういえば電気やガスちゃんと使えていますね」 「だろう? 俺は抜かりないからな」 「もしかして……いろいろ手配してもらっていたのですね」  宗吾さんがクリスマスに来てくれた時、このマンションのカギを渡していた。しばらく帰れない僕の代わりに管理をしてくれると言ってくれたが、本当に至れり尽くせりだな。  流石だ。僕は気が回らないのに、本当に宗吾さんは頼りになる。  お風呂を磨きながら、実は少しドキドキしていた。函館の家でも大沼でも常に周りに誰かいたから……でも、ここは今、僕と宗吾さんだけだから。 「宗吾さん、お風呂沸きましたよ。って……あれ? 」  宗吾さんはソファで舟を漕ぎ出してしまっていたので、手に持っていた空のマグカップをそっと机に置いてあげた。  くすっ。宗吾さんのそんな無防備な姿……滅多に見られないから新鮮だな。やっぱり無理させてしまった。今日一日の移動距離を思えば納得できる。  隣に座り、宗吾さんにもう一度話しかけてみた。  「宗吾さん、起きて……」  その拍子にグラっと彼の頭が傾いて、僕の肩に乗ってしまった。  うわっ!     なんだかさっきからドキドキが止まらない。  宗吾さんは会社帰りだったのでスーツのジャケットを脱いで、ネクタイを緩めていた。  妙にその姿に……大人の男らしい色気みたいなのを感じて困ってしまう。いつもパリッとしている人が僕にえ見せてくれる寛いだ表情、乱れた髪に、胸が高揚するよ。  好きな人だからだ。僕が好きな人だから、こんなにもトキメク。  僕の薄い肩じゃ辛いだろうと、そっと頭を膝にのせてあげた。  膝枕だ。これ……うわっ、自分から、こういうことをするのは初めてだ!  宗吾さんは全く起きる気配がないので、近くにあった毛布をかけてあげた。  すると僕も宗吾さんの温もりと重みが心地よくなって眠くなってきてしまった。  だからそのまま目を瞑ってみた。 「宗吾さん本当に起きないんですね? じゃあ……僕も、もう今日はこのまま寝てしまってもいいですか」  ずっと会いたかった宗吾さんの重みを感じながら、幸せな重みを感じながら。  僕と宗吾さんは身体を寄せ合い、深い眠りについた。    ふたり一緒に同じ夢を──  

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