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幸せを呼ぶ 6

「瑞樹、早く!早く」 「ちょっと待ってください」  朝日が眩しい坂道を宗吾さんがダッシュで駆け降りる。僕も必死に後を追い、ようやく信号の所で追いついた。 「はぁはぁ……宗吾さんって、足が早いですね」 「悪い、大丈夫か」 「はい! 大丈夫です」    流石に息が上がってしまったが、こんなに思いっきり走ったのは久しぶりで気持ちいい。函館に比べると、こっちはずっと暖かいのでコートはいらない。その分身体も動かしやすかった。    こういう気温差にも、僕は本当に東京に戻ってきたと実感出来る。  僕は以前と比べて……随分と身軽になった。着ている物だけでなく長年抱え込んでいたものがなくなり、肩の荷が下りた気分だ。もう僕には隠し事はない。だから、これからはありのままの僕でいよう。 「おっこれなら間に合いそうな。少し歩こう」 「えぇ」  それからはお互い肩を並べて歩き、そのまま駅を通り越し、宗吾さんの実家に到着した。  日本家屋の落ち着いた門構えの一軒家。玄関の横の庭に植えられた桜の木。最後に訪れた時は枯れ枝だったのに、今はこんなにも蕾が……春の息吹はこんな所にまでやってきている。    ようやくここに戻って来られた。また宗吾さんのお母さんと芽生くんに会える。それが嬉しくて涙が滲んでしまいそうになったので、そっと目頭を押さえた。 「母さん、おはよう!」   宗吾さんが玄関先で声をかけるとと、すぐに奥の扉が開いた。 「あっパパーだ!」  幼稚園の制服姿の芽生くんの明るい声が響く。何度か函館に電話をしてくれて僕を励ましてくれた可愛い男の子。早くその可愛く幼い声を、生で聴きたかったよ。  白いハイソックスにグレーと黒の格子の半ズボン姿の芽生くんが、まずは宗吾さんの足元にピョンっと飛びついた。 「パパぁおかえりなさい!」 「あぁ芽生、いい子にしていたか」 「うーん、ちょっとさびしかったかな」 「そうか。ほら、約束通り瑞樹も一緒だよ」 「う……うん」 「芽生くん、ひさしぶりだね」  僕も抱っこしたいと手を差し出したが、芽生くんは少し恥ずかしそうに目を伏せてしまった。  あれ……どうしたのかな……暫く会えなかったから、僕のこと忘れちゃった? 「芽生、どうしたんだ? 」 「ん……ちょっと、はずかしいよ」 「何でだ? あんなに瑞樹に会いたがっていたのに」 「うーん、だって、おにいちゃん、なんかすごーくキレイになったんだもん」 「えぇ? 」 「だから、はずかしいの! 」  びっ……びっくりした、何を言われるかと思ったら。 「参ったな。ははっ瑞樹よかったな。ますますん美人に磨きがかかったってよ」  いや……そう、ふられても困るんですけど。でも芽生くんに忘れられていなくてよかった。 「瑞樹くん」  続いて落ち着いた女性の声がした。和装姿の宗吾さんのお母さんが優雅に廊下を歩いて近づいてきた。お母さんの訪問着姿も素敵だ。あ……そうか今日は観劇に出かけられると言っていたからか。 「お帰りさない」  え……今『お帰りなさい』って……僕に? 「あっ、あの……」  どうしよう。何だか今度は僕の方が気恥ずかしくなって、上手く言葉が出てこない。 「瑞樹、こういう時は『ただいま』」だよ」  宗吾さんに背中を優しくトンっと押されたので、つっかえていた言葉を無事に吐き出せた。 「……ただいま」  その次の瞬間、宗吾さんのお母さんにふわりと優しく抱きしめられたので、ますます驚いてしまった。そのまま優しく背中を擦られた。  あぁ……なんだか懐かしいな。お母さんと同じ匂いがする。 「あぁ、本当に瑞樹くんなのね。えぇ、えぇ……お帰りなさい。あなたの無事な姿をこの目で見ることが出来てよかったわ」 「あの……ご心配お掛けしました。クリスマスに手袋も嬉しかったです。直接お礼も言えず……今になってすみません」 「いいのよ。一番大変だったのはあなた。それにしてもしばらく見ない間に、また一段と綺麗になったわね」  わっ! また『綺麗』と言われてしまった。僕は男だから、そういう形容は照れくさくて、どう反応していいのかわからない。 「……そんな」 「ふふふ、恥ずかしがらないで。あのね、何だか前より更に心が磨かれたみたい。だから綺麗なの。とても澄んでいるわ、清々しいまでに」 「そうでしょうか」 「そうよ」  この三か月の変化。僕自身は一度函館に退却し、更に生まれ故郷の大沼で冬眠し、漸くもう一度羽ばたくことが出来た。だから生まれ変わったように、今は清々しく研ぎ澄まされた気持ちでいるのは確かだ。 「あらあら、もうこんな時間よ。宗吾。芽生を送ってあげて」 「あぁ了解」 「お兄ちゃんもいっしょ? 」 「もちろんだよ」 「瑞樹くん、また改めてゆっくりいらっしゃい」 「はい!」  宗吾さんと芽生くんと歩き出すと、芽生くんがおずおずと僕の方に手を伸ばしてくれた。目が合うと、今度はニコッと微笑んでくれたのでホッとした。 「芽生くん……僕と手、つなごうか」 「うん!」  小さな手をキュッと握ってあげると、芽生くんの笑顔が途端に弾けた。  よかった、またいつもの笑顔を見せてくれて! 「お兄ちゃん、あのね、おかえりなさい」 「ありがとう! 」 「あのね……」 「何かな? 」 「その……もう……どこにもいかない? 」  あぁそうか……やっぱり芽生くんにも心配かけてしまっていたのだな。  安心してもらいたい。僕はもうどこにもいかないからね。 「いかないよ。むしろ……僕は芽生くんのもっと近くに行くよ」 「やったー! パパよかったね。パパも手、つなごう」  宗吾さんと芽生くん。芽生くんと僕。  芽生くんを挟んだ三人の幸せそうな姿が、明るい朝日に照らされていた。 「幼稚園、明日から春休みなんだぁ」 「えっそうなのか」 「うん、今日で芽生の年中さんもおしまいだよ」  もうそんな時期なのか。  季節がワープしたみたいに感じるよ。  宗吾さんと芽生くんと共に、これから春を迎える。  三人で迎える新しい季節は、希望に満ち溢れていた。

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