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幸せを呼ぶ 15
気が付けば季節は三月から四月へ。
4月1日。今日から僕は仕事に復帰する。
結局、12月中旬から3カ月半も休職してしまった。なのに……まさか同じポジションに戻れるなんて思いもしなかった。また僕の手で花を生かせるのかと思うと胸が高鳴る。
やはり僕にとってフラワーアーティストの職業は天職だ。だからこれからもますます精進して邁進していきたい。
先日渋谷のデパートで宗吾さんに選んでもらった新しいスーツに身を包むと、気が引き締まった。
これを一緒に選んだの、楽しかったな。
宗吾さんは広告代理店に勤めているだけあって、流行に敏感だ、品質の良いものを知っている。僕は正直今までお金もなかったしスーツに拘るどころではなかった。
宗吾さんに見立ててもらった物は少し高めだったので奮発したが、とても気に入っている。
試着した時にも感じたけれども、着心地が良く腕も動かしやすいな。これなら仕事が捗りそうだ。
鏡の前でネクタイを締めながら、洗面所の鏡の奥の自分の顔をじっと見つめた。
あの日ボロボロになった僕はもういない。あの軽井沢で鏡に映った傷だらけの悲惨な状態を見てから暫く鏡を覗くのが怖ったが、もう大丈夫だ。
未来への希望の溢れている今の僕に、過去はもう僕を襲ってこない。
過去は消せないが、そこに留めておけばいい。もう僕に影響を与えるな。
「よしっ、頑張ろう! 」
今日は久しぶりに宗吾さんとバス停で待ち合わせをしている。
僕の住んでいる家から駅に向かう道は長い下り坂になっているので、上りは辛いが下りは楽だ。もうすぐ宗吾さんに会えると思うと足取りもつい軽くなる。
歩いていると桜の花びらがひらひらと少し舞ってきた。
「すっかり季節は巡って、もう春だな」
道の両脇の街路樹は桜の樹なので、この時期は最高だ。桜がアーチを作り見事な光景だ。もう少しすると桜吹雪で風もピンク色になるんだ。毎年毎年繰り返される風景だが、今年はきっと格別だろう。
きっともうすぐだ。見上げると空を覆う桜色。
僕の新しいスタートを祝ってくれるようで、思わず目を細めてしまった。
やがて公園前の幼稚園バスの停留所が見えてくる。
今は幼稚園は春休みなので誰もいないバス停に、宗吾さんが立っていた。
遠目でもすぐに分かるよ。
背が高くてカッコいい。そしてあのスーツを着てくれている。
僕がスーツを買った時、さりげなく宗吾さんも色違いの生地を購入した。僕は濃紺で、宗吾さんは明るめのグレーだ。
本当は僕に淡いグレーのスーツを着せたかったようだが、僕はホテルで打ち合わせをすることも多いので濃紺の方がベターだった。そうしたら『じゃあこっちは俺が買う』と言いだして……宗吾さんって案外可愛い所もあるんだよな。
「瑞樹、おはよう!」
「おはようございます。宗吾さん」
声を掛け合って、あぁようやく日常が戻ってきたとしみじみと実感できた。
いつぶりだろう。こんな風にお互いスーツ姿で、この坂道で朝の挨拶できるのは。
何もない平凡な1日が、僕と宗吾さんにとってどんなに大切なものかを噛みしめた。
「おっやっぱりそのスーツいいな。瑞樹の良さを引き立てていているよ」
「宗吾さんこそ……とても素敵です」
「お揃いだな」
「傍目には分からないかもしれませんが、お揃いですね。嬉しいです」
「俺もだ。それに今日から4月だろう。瑞樹が俺の家に越してくるのをカウントダウンできるな」
「はい、荷物もだいぶ整理できたし順調です」
「うん、待っているぞ」
電車に乗り込むと車両の中はすごい人だった。久しぶりに満員電車にたじろいでしまい、人波に押され、あっという間に宗吾さんと離れ離れになりそうだった。
「うわっ」
「瑞樹、こっちだ! 」
グイっと僕の腕を力強く引いてくれて、胸元に寄せてくれる。
その逞しさに、朝からドキっとしてしまった。
うわ、まずい。
今の僕は宗吾さんに触れられると必要以上に過敏に反応してしまう。僕の躰があなたに抱かれたがっているからとは絶対に言えないけれども。
僕だけの秘密だ。
出逢って間もない頃、やはりこんな風に満員電車で宗吾さんと至近距離で接し、ドキドキしたことを思い出す。
あの時のトキメキと今のトキメキは同じだ。
いやそれ以上かも?
僕はとても新鮮な気持ちで、新しく始まるこの4月を受け入れていた。
「大丈夫か」
「はい」
「俺にもたれていいからな」
「はい」
「無理するなよ」
小声で交わす会話に、ほっとする。
久しぶりの満員電車に面食らっている僕を心配してくれている。
大丈夫。大丈夫だ。
すぐ傍に宗吾さんがいてくれる安心感。宗吾さんの存在が、こんなに心強いことだなんて。
この大都会でも、僕はちゃんと生きていける。
電車の揺れに任せながら、宗吾さんの存在に感謝した。
「あれ? 瑞樹の髪に桜の花びらがついているな」
「え……」
「ほらここだ」
耳の上の髪を梳くように触れられ、ドキっとした。
耳たぶに宗吾さんの指先が掠めるだけで、火照ってしまう。
「どこですか」
慌てて手を伸ばして取ろうとしたら制された。
「可愛いからそのままに」
「……そんなっ」
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