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さくら色の故郷 3

 青い空にぷかぷかと浮かぶ白い雲。  どこまでも続く緑の絨毯には、点々と乳牛が放牧されている。  空気が澄んでいるので、かなり遠くまで見渡せるな。  大自然の豊かで牧歌的な景色を吸い込むように深呼吸すれば、都会とは違う美味しい空気で、躰の隅々まで満たされる。  これが函館の空気なのか。まさに『風薫る五月』という言葉通り、最高だ。  瑞樹が生まれ育ち、彼の躰を作り上げた大地だと思うと、吹き抜ける風すらも愛おしい。  牧場の直営店の店で、俺たちはそれぞれ好きな味のソフトクリームを買った。  母もまるで若い娘みたいに溌溂としている。一緒に連れて来ることが出来てよかった。 「おにいちゃん、おいしいね! 」 「うん」 「今日はまっしろなクリームだね。ねぇねぇ、あのお空の雲も同じ味かなぁ」 「きっと、そうだね」  瑞樹と芽生の微笑ましい会話を聞きながら、俺は広樹と肩を並べ、同じコーヒー味のソフトクリームをベロベロと舐めた。  ソフトクリームは濃厚なのに後味がさっぱりで、フレッシュな味わいだった。牛乳そのものの味が舌に広がっていく。  しかしこんな風に舌を使っていると思いだすな。  昨夜も……瑞樹のモノを……こんな風に……  ついつい妄想タイムに入ってしまい(いつものことだが)舐めるスピードが落ちていると、広樹に一括された。 「おいおい、下手だなー ほらほらもっと早く舐めないと、手に垂れてるぞ」 「うわっ、おかしいな。あー昨日使い過ぎたか」 「はぁ? なんの話だ?」 「あっいや、こっちの話」  ビシッと冷たい視線を感じると、瑞樹からだった。  ははは、もう俺の脳内は駄々洩れか。『ごめんっ』とジェスチャーで詫びると、瑞樹は呆れ顔の後、今度は笑いを堪えるように肩を揺らしてくれた。瑞樹もだいぶ俺の怪しい煩悩に慣れてきたようだ。  さっき車の中で瑞樹は『カラフルになった』と言われていたが、同感だ。  瑞樹は明るくなった。どんどん自分の感情に素直になっている。それは……俺がいい影響を与えているからなのか。そう思ってもいいか。そう奢ってもいいか。つい前のめりになってしまう。  その様子に瑞樹がまた苦笑する。 「ん? おにーちゃんどうしたの? さっきから変な風に笑ってるよ」 「いや……芽生くんのパパって……想像力が逞しいよね」 「うん! パパはお仕事でいつもきたえているって言ってたよ」 「なるほど、広告代理店だもんね。人に夢を与え、人を幸せにする大切な仕事だよ」 「あっそれ! パパも同じことを言ってたよ」 「そうなの?」 「うん、お兄ちゃんのお仕事を教えてほしくて『お花をいけるってどんなお仕事なの?』って聞いたときに、パパが」 「わぁ……そうなんだね」  芽生、その答え100点満点だ。さすが我が息子よ。    俺たちはお互いに夢を与え、人を幸せにする仕事に就いている。媒体は違えども、目標は一緒だろう。  瑞樹が頬を赤らめ、嬉しそうに俺を真っすぐ見つめてくれる。  彼と付き合ってから思うことだが、好きな人がいると、ただ見つめあうだけでも幸せになれるんだな。  心がぽかぽかだよ。 「さて、みんな食べたか。次は遊園地に行こう! 芽生くんに見せてあげたい観覧車があってな」 「広樹、そこって、もしかして日本最古の観覧車があるところか」 「あぁ、よく知ってるな」 「兄さん……僕もそこに行きたかったです」 「きっと瑞樹もそうだと思ったのさ。瑞樹とは以心伝心だろ」  さすが瑞樹の兄なだけあるな。弟と『以心伝心』ってわけか。  ん? ということは、俺ともか。やっぱり広樹と俺は似た者同士なのかもなぁ。だがそれって瑞樹が俺の中に少しだけ兄の姿を見ているようで、妬けてくる。  いやいや、もっと俺の色に染めねば!   もっと抱いて抱いて抱きまくってさ。 「パパー あんまりはりきりすぎると、また! 朝のこと、みんなにバラしちゃうよ~」  幼い息子に忠告され、思いっきり苦笑した。 「うわっ、なんでわかった?」 「……」  芽生と瑞樹に無言で鼻の下を指さされ、焦った! ****  函館駅から市電で15分程の所に、目的の公園はある。  はこだて公園は、北海道で最初に出来た洋式公園で、広い敷地内には博物館や動物施設、噴水広場に池まである。僕が子供の頃、大沼から函館市内に遊びに行く目的は、決まってここだった。  ゴールデンウィークのこの時期は、ちょうど桜が見頃なはずだ。 「着きましたよ。この公園です」  公園のゲートを潜ると、やはりそこは一面桜色の世界になっていた。 「まぁ~桜が綺麗ね」 「はい、今の時期が見頃で……ここは函館の桜の名所の一つで」 「今年はラッキーね。東京でも楽しんだのに、ここでも楽しめるなんて」 「いいことは重なってもいいものですから」 「そうよね。あなたのお陰で私も人生を二度楽しんでいるようよ。本当にいい公園ね」 「はい、僕が子供の頃何度か遊びに来た大好きな場所です」 「まぁ……その亡くなったご両親と? 」 「あっはい……」  公園の奥にある『こどものくに』という小さな遊園地は、素朴でレトロな雰囲気が楽しめ、函館っこなら小さい頃、一度は遊びに来る場所だ。 「おーこれが日本最古の観覧車か。お、案内板があるな」 「本当だ。こんな所に……小さい頃は気づかなかったです」 「まぁ漢字だらけだもんな」  そこには『観覧車は直径10メートル。昭和25年につくられ、当初は大沼湖にあったものを昭和40年に、この地へ移設した』と書いてあった。 「大沼……」 「へぇ瑞樹の生まれ故郷だな。縁があるな」 「えぇそうですね。知りませんでした」 「さぁ乗ってみよう」  観覧車のゴンドラは二人乗りで、大人二人でも大丈夫。壁も屋根もないオープンスペースになっている。 「メイくん、パパと乗っておいで」  そう促すと、メイくんが「いいの?」っという表情で僕を見つめたので、コクンっと頷いて背中を押してあげた。僕が幼い頃、父と乗った楽しい想い出を、芽生くんにも作って欲しいんだ。 「じゃあ瑞樹くんは、私と乗りましょう」  宗吾さんのお母さんに誘われて、いいのかなと宗吾さんを見ると「よろしくな」と今度は僕を促してくれた。なんだか照れくさい。  観覧車に乗ると、すぐにギィギィと音を立てて上昇しだした。 「まぁ観覧車なんていつぶりかしら。しかもこんな昔スタイル、懐かしいわ」 「……あの。隣が僕ですみません」  宗吾さんのお母さんも実の息子と乗りたかったのではと、いつもの癖で恐縮してしまう。 「……」  観覧車はあっという間にてっぺんだ。地上から10メートル足らずなので3階建てのビル程度だが、公園自体の見晴らしが良いので爽快感がある。  宗吾さんのお母さんは何も言わずに目を細めて景色をじっと見ていた。その視線はもっともっと先を見ているような気がした。  なので……僕も小さい頃、父と乗った記憶を思い出していた。  何も答えがないまま地上に着いてしまうと思ったが……そのまま止まることなく2周目に突入した。あっそうか……普通は1周で終わりだが、ここでは2周目があったんだ。 「瑞樹くん、ここは2周目があるって案内板に書いてあったのよ。さっきは黙ってしまって、ごめんなさいね。1周目は息子が幼い頃の思い出に浸っていたの。さぁ今度の2周目は、あなたとの番よ」 「え……」 「楽しい思い出って……別に塗り替えなくていいのよね。別々に存在していいの。あなたの産みのお母さん思い出も、今のお母さんとの思い出も大事にしたらいいのよ。そして3人目の母との思い出もね」  宗吾さんのお母さんの言葉は魔法のようだ。  流石……宗吾さんを産み育てたお母さんだとも思った。 「あの、3人目って……」 「私は宗吾にあなたを紹介してもらってから、そのつもりだったのよ。いいかしら。あなたの3人目のお母さんに立候補しても」  小さな観覧車は丁度、てっぺん……   僕に3人目の母が出来た瞬間だ。

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