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花の行先 10

「いらっしゃいませ。おや、滝沢さんじゃありませんか。久しぶりですね」 「ご無沙汰しちゃって……主人が亡くなってから足が遠のいてしまって、ごめんなさいね」  どうやら宗吾さんの実家からほど近い場所にある清潔な店構えの寿司屋は、行きつけのお店らしい。 「とんでもないですよ。今日はご家族お揃いでいいですね。えっと……」 「そうなのよ。二人の息子と孫よ。今日は孫の誕生日祝いなの」 『二人の息子』  さり気なく放たれた優しい言葉に、心が温まる。函館で『僕の3人目の母になる』と言ってくれた事は、夢ではなかったのだ。 「それはおめでとうございます。賑やかな家族団欒で、いいですね。あっ今日はカウンターにしますか、それともお孫さんがお小さいので、奥の座敷にしますか」 「芽生、どうする?」 「ボクーおスシにぎるのみたいな」 「じゃあカウンターにしましょう」  芽生くんらしいな。でも僕もそう思った。カウンターでお寿司をいただく事なんて滅多にないので楽しみだ。右から宗吾さんのお母さん。芽生くん、僕、宗吾さんの順番に座った。 「芽生くん、カウンターの椅子は少し高いから、落っこちないようにね」 「うん! ちゃんと大人しくしているよ! おにいちゃんのとなりでうれしいな」 「僕も嬉しいよ」  ショーケースの中に綺麗に並ぶ新鮮な寿司ネタを見ると、さっき菅野と居酒屋で少し食べてきたのに、またお腹が空いてきた。 「宗吾、生ビール頼んで頂戴」 「あぁ瑞樹もビールでいいか」 「あっはい。でも僕はさっき飲んだので……ほどほどに」 「えっ? 一人で飲んだのか」 「あ……その、菅野と」 「アイツかぁ……くそぉぉ……やっぱりいいトコ持ってくな。あぁそれに引き換え……俺は情けない」  宗吾さんが大げさなジェスチャーで、天を仰ぎ嘆く。 「そっ宗吾さんっ、また怒られちゃいますよ」 「あっそうだな」  芽生くんと宗吾さんのお母さんの冷ややかな視線を感じたので、慌てて制した。 「……宗吾さんが、いけないんですよ」 「ううぅ……」 「クスッでは僕は酔わない程度に嗜みますね」 「おう、頼むよ」  宗吾さんには、こんな軽口も叩けるようになった。何でも真面目に受け止め過ぎ冗談も言えない性格だったのに、最近の僕は少し変わったようだ。 「おにいちゃん、あのね」  隣に座っている芽生くんが、可愛い指先で僕の肘をつんつんと突っついてきた。 「んっ何かな?」 「おにいちゃんはなにをたべる?」 「そうだね。まずはイカにしようかな」  函館生まれ函館育ちの僕は、寿司ネタではイカが特に好きだ。 「わかった。ボクがおにいちゃんのたのんであげるね」 「それは頼もしいな」  芽生くんが背筋をシャキンと伸ばし 「すみまーせん! イカをにぎってくだしゃいな」  と可愛く叫んだので、クスクスと笑ってしまった。まるでお店屋さんごっこの延長みたいだな。 「あのぉ~おにいちゃんのすきなハコダテのイカくんはいますか」 「はははっ、可愛いね。坊や、今日はちょうど函館の朝捕れのイカだよ」 「おにーちゃん、やったね」  今度は僕とハイタッチ。  ほっぺたが落っこちそうな満面の笑みが可愛いから、芽生くんの行動がいちいちツボに嵌まってしまうよ。 「おーい、芽生、パパのも頼んでくれよぉ」 「ボクいそがしいなぁ。パパちょっとまってね。次はおばあちゃん、何たべますか」 「そうねぇ、マグロにしようかしら」 「はーい!」  芽生くんはカウンターでお寿司を握るのを見るよりも注文するのが楽しいようで、その次には宗吾さんの分も注文してくれた。  芽生くんが頼んでくれたイカは、透明感がありコリコリでとても美味しかった。  函館の景色が脳裏に浮かぶ。  月夜の下、海上に浮かぶ漁火はいつだって幻想的だった。函館の前浜がイカ釣り船の漁火で埋め尽くされると頃には、いつも本格的な夏がやってきた。  今年の夏はどんな夏になるだろう。宗吾さんと過ごす二度目の夏休みが待ち遠しい。  宗吾さんも上機嫌だ。  わっ……でも宗吾さん、ビールのピッチが早いのでは? 「宗吾さん、あんまり飲むと……」 「ん? いやぁホッとしたせいか美味しくてな。もう1杯飲んでもいいか」 「えっもう3杯目ですよ」 「まだ大丈夫だよ。なぁ瑞樹……今日は実は突然アイツがやってきて、どうなることかと冷や冷やしたんだ」 「……はい、それは僕も……同じです」 「だよな。ほんとごめんな」  玲子さんとケーキ屋で会った時には、今晩こんな和やかな時間を持てるとは夢にも思わなかった。宗吾さんなりに、やはり気まずい思いをしたのだろう。 「さっきさ、玲子と瑞樹が交わしたバトンタッチをこの目で見て、夢のようだったよ」 「……玲子さんって……爽やかで、潔い方ですね」 「瑞樹……ありがとう。アイツ……そういう所があるよな。パッと決断して結婚したが、そういう潔さで離婚もした。あっごめん……変なこと言った。俺はいつも配慮が足りないよな。こういう所が……皆に煙たがられ、嫌われるんだ」  なんだか少し寂しそうに宗吾さんは微笑み、冷えた生ビールのジョッキを手に取りゴクゴクと飲み始めた。  ぼんやりと前を見つめる横顔が少し切なくて、無性に励ましてあげたくなった。  こんな時どうしたら喜んでくれるかな。元気になってもらえるかな。  そうだ……いつかの、あれなら。※  僕はそっと彼の耳元で囁く。  誰にも聞こえないように、ありったけの愛を込めて。 「そ……宗くん、僕は、そんな、あなたに出逢えてよかったです」  宗吾さんの顔が、みるみる赤く染まる。  いつも赤くなるのは僕の方なのに。 「瑞樹、今のはまた……相当にヤバい」 「あっ……はい、覚悟しています」 「まったく君には敵わないよ」  今日は僕も宗吾さんに触れてもらいたくて……煽ってしまった。 ****    会計を済まし店先に出ると、芽生が母の手を引っ張って甘えている。  「たのしかったし、おいしかったね~ねぇパパぁ、今日はおばーちゃんちにメイおとまりしたいよぉ」 「え?」   「だって、おばあちゃんはいつもひとりぼっちなんだよ。メイは今日はたくさんいい事あったから、おばあちゃんにもいいことプレゼントしたいんだ」  おばあちゃんっ子のメイだから言える、優しい発言だ。 「そうか……母さん、でも、急にいいのか」 「もちろんよ。今日はそれがいいわ。宗吾……瑞樹くんのケアしっかりしてあげなさい。ふたりの間ではもう解決している様子だけれども、彼が今日傷ついた時間も我慢した時間も……きっと長かったはずよ」 「あぁその通りだと思う。母さん……ありがとうな」  瑞樹が一足遅れて店から出て来た。  少し足元がふらついていたので、グイっと腕を引っ張っってやった。 **** 「おにいちゃん、おやすみなさい。あしたね~」 「芽生くんどうして?」 「今日はおばあちゃんちにおとまりしてくるね」 「あっうん」 「瑞樹くん……今日は沢山、宗吾に甘えなさい」 「えっ……」 「うんうん」    芽生くんも隣で頷いている。  これって宗吾さんのお母さんからの粋な計らいなのか。そして芽生くんからのサプライズだ。 「というわけで、瑞樹、俺たちも急いで帰るぞ」 「あっはい!」  このまま自然な流れで、宗吾さんと二人きりの夜を迎えられるのか。  酒に酔っているせいなのか……抱かれる直前の高揚感みたいな気持ちが広まって、クラクラと眩暈がする。 「おっとまだ寝ないでくれよ。というか今宵は寝かさない」  甘い言葉と共に……玄関に入るなり、宗吾さんにすっぽりと躰を抱きしめられた。  腰の高さのカウンター付き下駄箱に背中を押し付けらるような形で、顎を掴まれ上を向かされ……ビールの味が残るほろ苦いキスを思いっきり受け続けている。 「ん……ん、ん……」 「瑞樹……さっきからずっと、早くこうしたかったよ、君を抱きしめて……それから」 「あっ、待って下さい。ここじゃ……」  藻掻くように宗吾さんの腕をすり抜けようとすると、玄関の鏡に映った僕と目が合った。  あ……今……こんな表情をしていたのか。  宗吾さんが早く欲しい、もっと欲しいと訴えるような、甘く潤んだ目をしていた。 「瑞樹、君が今どんな表情を浮かべているか見たか。もう……堪らないよ」  

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